Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 815 記録の意外史:千葉茂

2023年10月25日 | 1977 年 



新人離れしたデビュー
昭和13年5月1日、甲子園球場での阪急対巨人戦は巨人軍の歴史にとって画期的な試合であった。次代の巨人軍を背負う2人の新人がデビューしたのだ。六番・一塁手としてスタメン登場した熊本工・川上哲治選手と9回表に代打起用された松山商・千葉茂選手である。川上選手は2打席凡退で退き、千葉選手は四球だった。千葉選手はボール球には手を出さず、際どい球はファールするなど新人らしからぬ粘りを見せた。好球必打を身上とする千葉選手は四死球が多かった。年間100四死球というのは現在では敬遠四球が多い王選手が14シーズンも記録しているが、当時は誰もおらずプロ野球史上初めて記録したのが昭和25年の千葉選手だった。

昭和25年から同27年にかけて3年連続でセ・リーグの四死球王で、通算919四死球は史上9位。通算出塁率は王選手・張本選手・榎本選手に次ぐ3割8分5厘で同期の川上選手と肩を並べる第4位である(5000打席以上)。また数字では現れない面でも千葉選手はチームに貢献していた。昭和24年4月29日の試合で千葉選手は3打数0安打・1四球だったが四度の打席で千葉選手が相手の三富投手に27球を投げさせた。この日の三富投手が巨人打線に投じた球数は36打者に142球。1打者に平均3.9球だったが千葉選手には6.8球を要した。四球で出塁した第2打席は実に9球も投げさせた。


右翼打ちの職人芸
もうひとつの特徴は典型的な右翼打ちだったこと。通算96本塁打のうち81本が右翼席に打ち込んだものだった(1本は右中間のランニングホームラン)。特に昭和25年9月9日から同29年までの39本はいずれも右翼席への本塁打という他者には決して真似できない職人芸の持ち主だった。通算1512試合出場で打率も2割8分4厘だがタイトルとは無縁だった。昭和24年の千葉選手はリードオフマンとして打率3割7厘をマークし巨人の優勝に貢献し、自身初の最高殊勲選手賞は間違いないと評されていた。ところが記者による投票で選出されたのは千葉選手ではなかった。

・藤村富美男(阪神):142点
・千葉 茂 (巨人):129点
・藤本英雄 (巨人):112点
・川上哲治 (巨人): 57点

千葉選手は次点で、なんと最下位阪神の藤村選手に栄冠をさらわれてしまったのだ。この年の藤村選手が46本塁打という新記録を樹立したこともあるが、つくずく運に見放された千葉選手だった。昭和31年に現役を引退し、巨人の二軍コーチを経て昭和34年に近鉄の監督に就任した。それを記念して行われた巨人対西鉄の " 激励試合 " が日本における引退試合の第1号である。
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# 814 記録の意外史:森昌彦

2023年10月18日 | 1977 年 



長かった正捕手への道
プロ野球史上、捕手として最多出場の野村監督に次ぐ2位は森昌彦選手だ。昭和30年に岐阜高から巨人に入団した。当時の正捕手は日系2世の広田選手、控えは藤尾選手や棟居選手らがいて森選手が正捕手になるのに4年の歳月を要した。シーズン閉幕間近の10月8日に代打に起用されるも中飛に倒れ、1年目はこれで終わった。プロ初安打は翌31年7月29日の広島戦で、通算12打席目のこと。だが2年目もこの1安打きりで初スタメンに起用されたのは昭和32年7月17日の広島戦だった。

この試合で森選手は3打数2安打と活躍し、翌日の試合でも4打数2安打と気を吐いたが正捕手への道はまだ開けていなかった。やっと捕手陣で最多出場となったのが昭和34年。それ以来、昭和48年まで15年間も巨人の頭脳として正捕手の座を守った。日本シリーズにも昭和40年の第1戦から昭和48年の第3戦までの47試合連続してスタメンマスクを被った。つまり昭和40年からの九連覇は森選手の存在なしでは有り得なかったわけだ。


20年でたった29盗塁
捕手は鈍足というイメージ通り20年で僅か29盗塁。そんな森選手にも走塁で注目を集めたプレーがあった。昭和34年7月7日の広島戦で森選手が放った左中間の打球を追っていた横溝選手が転倒し打球の処理にまごついている間にランニングホームランに。昭和45年のロッテとの日本シリーズ第5戦で左翼線付近にフラフラと舞い上がった打球を追ったアルトマン選手と飯塚選手がお見合いをしている間に三塁打に。またこの年の日本シリーズで森選手は盗塁を三度試み全て成功させた。これは日本シリーズにおける捕手として盗塁最多記録である。ロッテにはまさか森選手は走らないだろうという油断があったのだろう。

効果絶大だった本塁打
通算本塁打数は81本だが、そのうちサヨナラ本塁打が3本もある。昨年まで716本塁打の王選手でもサヨナラ本塁打は7本だから比率からいうと森選手の方がかなり多いことになる。昭和41年9月26日の中日戦では巨人は9回裏二死まで佐藤投手に無安打に抑えられていたが柴田選手が初安打を放ちノーヒットノーランの屈辱は免れ、続く王選手は当然のこと敬遠。ここで森選手の逆転サヨナラ3ランが飛び出し勝利した。それから12日後の10月8日の阪神戦では0対0で迎えた9回裏に右翼席にまたもサヨナラ本塁打を放った。

3本目は昭和43年6月2日の阪神戦。5対5の9回裏に飛び出した。3本のサヨナラ本塁打に代表されるように効果絶大な一発が多かったのが森選手の特徴だ。20年間の現役生活で本塁打を放った77試合(1試合2本塁打が4試合あった)の巨人の戦績は65勝11敗1分けで勝率は8割5分5厘。特に昭和43年の第9号から昭和48年にかけての22本塁打は全て勝ち試合に結びついており、森選手の一発は巨人の勝利に大いに貢献するものであった。
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# 813 巨人ファンとアンチ巨人 ②

2023年10月11日 | 1977 年 



3連敗で阪神優勝が確定した。巨人の奇策は奈落の底への兆し。常道阪神に悠々たる余裕。

許してはならぬ巨人が流した罪悪
セ・リーグ前半戦の天王山といわれた甲子園球場での阪神対巨人戦で阪神は3連敗を喫した。阪神ファンにとっては悔しい思いの敗北ばかりだった。大リーグのような球団お抱えのアナウンサーではないのに何故か巨人の好機のみ1オクターブ高い声を張り上げるテレビ・ラジオのアナウンサー。巨人を褒め上げるだけでよい評論家たちは口を揃えて巨人のV2街道邁進ぶりを讃え、巨人系列のスポーツ紙は日本一になったかのような慶賀紙面に飾り立てた。だが私(伴野朗)は違う。決して野球の専門家ではないし諸氏の前に誇れる球歴もない一介のファンに過ぎないが平均的な常識を持った健全な一社会人だと自負している。

私は前々から巨人の横暴を決して許してはならないと考えている人間である。古くは南海・別所投手の引き抜き、国鉄・金田投手の移籍、更に立教大・長嶋選手を南海から横取りした一件。などなど、書いているだけで気分が悪くなる。各球団はおろかテレビ解説陣やスポーツ紙にOBや関係者を配した謀略、何故か巨人に甘い審判団、巨人の全てをバックアップする系列マスコミ勢。巨人がプロ野球界に流してきた罪悪は枚挙に暇がないほどだ。「巨人軍は覇者であらねばならない」という何の根拠もない筋の通らない命題の為にドラフト制実施前の強引きわまりない引き抜き、自分さえ良ければという身勝手さ。巨人の強さは作られた強さである。

巨人系列のマスコミは選手を必要以上に煽て上げる。碌に実績のない新人や移籍選手も例外ではない。エラーをしても敗戦投手になっても巨人系列のマスコミは責めない。乱打されて降板しても「堀内3回で沈む」で済ます。御用マスコミは巨人の強さの虚像を作り上げた。巨人OBの指導下にある他チームはこの虚像に怯え意識過剰の独り相撲を取り自滅し巨人に名を差占める。V9時代の川上巨人はこのように成長したと言ってよいだろう。先日の対阪神3連戦の巨人の強さは見事であった。私もそれは認めよう。では何故その3連戦に巨人の凋落の第一歩を見たのか説明しよう。


お調子野球
今シーズンの巨人の強さは「お調子野球」の強さである。言葉を換えれば「小手先野球」「誤魔化し野球」と言っていい。長嶋監督のお調子がつきについている感じである。先ず初戦の9回表二死後の代走・松本選手の二盗である。御用マスコミは長嶋監督の勝負度胸ともてはやしたが結果論でモノを論じるのはいかがなものか。そして次戦の小林投手の先発起用である。阪神の走塁ミスに助けられて完投したが、対阪神戦に実績のない投手起用に問題はなかったか。野球は確率の競技であり松本選手の盗塁や小林投手の起用は奇策と言える。当たれば戦果が一段と派手に見え、大向こうからの喝采も期待できるが奇策は奇策に過ぎない。

そしてツキはあくまでもツキであり、いつかは落ちる。いや、もう落ちかけている。その時の反動が怖いのである。確かに孫氏は「兵法とは詭道なり」と言った。つまり敵の意表を突くことである。だが間違っては困る。詭道とはしっかりした戦力、つまり常道に裏付けられてこそはじめて詭道となることを。野球における常道とは何か。投手陣である。今の巨人は決して投手力によって戦い、勝っているチーム状況ではない。必ずしっぺ返しが来る。かつて日本軍は劣勢な戦力を補うため対米開戦に真珠湾攻撃という奇襲をかけたが、この奇策の帳尻はすぐさま多大な負債となって帰ってきた事実を考えればよかろう。


3連敗の阪神に一味の違いを見た
私は学生時代にラグビーをやった。ラグビーは意外性はあまりないスポーツだ。実力のあるチームが99%勝つ。正月の日本選手権で早稲田大学は強力な新日鉄釜石のフォワード陣の前に蹂躙された。近年、早稲田大学は小手先のラグビーに走り過ぎているのではと危惧していた。ラグビーの常道はフォワード戦である。華麗なスリークォーターの攻撃は見ていて派手で気持ちが良い。だがフォワードがボールを奪うことこそラグビーの常道であり王道なのだ。賢明な早稲田大学関係者は今回の敗北で改めてフォワード戦の重要性を痛感したことだろう。

3連敗した阪神の優勝を確信した理由がここにある。吉田監督は初戦を落とし次戦も失っても尚且つ常道に徹したところに今年の阪神の余裕を感じた。ムードメーカーの掛布選手を欠き、3戦目にはラインバック選手が退いた。3試合全てあと一歩の詰めを欠いて敗れた。だが注目される阪神巨人戦とはいえまだ序盤戦である。ここで目先の勝利の為に小手先の奇策を弄するようでは今年の阪神に見込みはないと思っていたが、阪神ベンチは最後までチームが持つ常道の戦いに自信を持っているように感じた。3連敗の中に一味違う阪神を見たのだ。「まだ三度戦っただけやおまへんか。巨人さん入れ込んでましたなぁ」と吉田監督の独り言が聞こえてくるようである。
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# 812 巨人ファンとアンチ巨人 ①

2023年10月04日 | 1977 年 

今シーズン初の伝統の一戦は巨人の3連勝で終わった。同じ3連戦を見た巨人ファンとアンチ巨人ファンでは見方が全く違うのが興味深い


長嶋巨人は10度優勝する。勝負に賭ける大胆さ、冴えわたる長嶋采配に無敵の強さを見た。

共演者・藤村富美男さんに悪いけど
テレビドラマ「必殺仕置人」で共演している元阪神監督・藤村富美男さんに招待されて甲子園球場で熱戦を見ることができた。藤村さんには申し訳ないが、わたくし山崎努は根っからの巨人ファンである。その巨人がいかにも巨人らしさを発揮し、ここ一番の強さを十二分に堪能させてもらった。小生は小学生の頃から後楽園球場の一塁側ベンチの横で黄色い声援を送っていた。その当時の巨人軍は青田に川上や千葉といった猛者連中が目白押しに並んでいて現在の長嶋巨人とはいささか趣を異にしていた。だが長嶋巨人の魅力もまた格別で今回の対阪神戦でも随所にその " らしさ " が発揮されていた。

阪神に1点のリードを許した9回表二死から土井選手が出塁すると代走の松本選手が二盗し、代打の山本功選手の適時打で同点に追いつき延長10回表に勝ち越して勝利するなど一発だけじゃない機動力を生かした攻撃は見ているファンを興奮させるのに充分である。2戦目は細腕の小林投手を辛抱強く使って粘り勝つ。まこと長嶋采配は2年目に入ってますます冴えわたる。今の巨人軍は機動力が溢れ試合巧者で、その差が阪神を圧倒している。200発打線と称される阪神は打っている時は豪快だが、いったん鳴りを潜めると何と他愛のない負け方をすることか。長嶋巨人は大技、小技ともに多様でそこが阪神と違うところなのである。

ところが長嶋監督の持つ、ここぞという時の大胆不敵な采配を " 勘ピューター " だとか " ヒラメキ野球 " だと揶揄し、場当たり的で長続きしないと批判する声も少なくない。さる野球界の元老いわく「長嶋くんはチームの指揮者となってまだ3年目。1年目は最下位、2年目は優勝。今は勢いに乗っているがやがて長嶋くんも本当の勝負の怖さが分かってくる時が来る。そして長嶋野球も行き詰まって否応なく野球のスタイルを変えざるを得なくなるだろう」と否定的だ。だが長嶋監督の思考は天性のものであり、余人には真似できず理解するのは難しいだけなのだ。


奔放さを失わず55歳まで長嶋監督
誰かに聞かれたのだが長嶋巨人は今後何度優勝するのかと。長嶋監督は小生と同年代の41歳。恐らく長嶋監督は川上監督の14年間に近いくらいの年数は監督を続けるのではないだろうか。その頃は御年55歳。九連覇した川上監督が引退した長嶋選手に監督の座を禅譲した年齢と同じだ。あと15年ほど、小生は3年間に二度くらいの割合で優勝すると考えている。つまり長嶋巨人は今シーズンを含めて10回優勝すると確信している。長嶋巨人は敵地でも強いが後楽園に帰ると『之繞を掛ける』ごとく強さが増す。それが堪らなく嬉しい小生である。現在の長嶋巨人に不満はない。不満はないが注文はある。いつまでもV9戦士に頼っていてはダメだ。

ペナントレースは130試合のロングラン。永遠のライバル阪神の巻き返しは当然ながら当然である。だが巨人の堅城を揺るがすところまでは無理だろう。と言うよりは一も二もなく長嶋巨人が強いことに間違いない。小生が巨人軍に望み、ひたすら祈ることは永遠に今の奔放さを失わないこと。それと王選手がまかり間違っても怪我などをしないことである。タイガースOB・藤村富美男さんには申し訳ないが、「勝ったゾ!ジャイアンツ!!」と溜飲が下がる思いで意気揚々と甲子園球場を後にした小生であった。
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