goo blog サービス終了のお知らせ 

Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 911 週間レポート:ヤクルトスワローズ

2025年08月27日 | 1977 年 



森昌彦氏の入団で高まる不安
本誌先週号で報じた通り森昌彦氏(40歳)のヤクルト入団が正式に決定した。11月15日、東京・赤坂のホテルニュージャパンで相馬球団代表は森氏と二度目の入団交渉をし、契約金1000万円・年俸840万円で合意を得て2年越しの " V9頭脳 " の導入に成功した。これで広岡監督、堀内投手コーチ、淡河二軍バッテリーコーチなど燕党ならぬ巨党体制が整い他の4球団と共に巨人包囲網の基礎作りを完成させた。だが一部でヤクルト生え抜きコーチと巨党の外様グループとの軋轢を危惧する声があるのも事実。「森君には一応バッテリーを担当してもらうが作戦面でも大いにアドバイスしてもらうつもりでいる」と広岡監督。従来からヘッドコーチは配置しないという言質と異にする。

実は生え抜きコーチはいずれも1年契約だが森氏は2年契約。一説には入団交渉の席で森氏は3年契約を求めていたという。だがそれは自分の身の保証ではなく、これまでとは違った野球観をチームに浸透させるには3年は必要だと考えたからだ。結果、2年契約となったわけだがヤクルトにとっては異例の待遇だと言える。「ウチは守備コーチが打撃に、打撃コーチが守備について意見を言うことが許されている。お互いが自分の領域に閉じ込まらず活発な意見交換をした方がチームにプラスだと考えるから」と広岡監督は言う。ここ1~2年は表立った動きはないがヤクルトは生え抜きと外様の軋轢がコーチだけでなく選手間にもあるらしい。不安は尽きない。


晴れバレ
例の「徹マン事件」発覚で二軍落ちしてから一軍に戻ることはなかった " ヨサ " こと中村国昭選手が、実に晴れバレとした表情で秋季練習に参加している。根が職人気質の " むっつりヨサさん " に一体どんな心境の変化が。「未来が開けたからね。俺をかってくれる所があると思えば気合いも入るさ」とニヤニヤする。何があったのか?実は三浦政基投手(日ハム)との交換トレードが内定したのだ。両球団からの発表は未だされていないが気分は既に日ハムの選手で新天地での活躍を胸に描いている。尤も、周囲では「あのやる気をもっと早く出していればウチに残って活躍できたろうに勿体ない」との声が。


コメント

# 910 週間レポート:読売ジャイアンツ

2025年08月20日 | 1977 年 



まさに突然!悲しい顔と嬉しい顔
日本シリーズがあと3日に迫った10月19日、巨人に明暗クッキリの2人の投手がいた。大阪へ移動前の最後の練習をする後楽園球場に腫れぼったい目をした新浦投手が来た。聞けば父親・永植さんが心筋梗塞で亡くなったのだという。53歳の若さだった。「夕べ遅くに連絡があって実家に駆け付けんですが…日本シリーズを楽しみにしていたのに残念です」と練習を早く切り上げて昼過ぎに実家に戻って行った。新浦投手は長男だが日本シリーズがある為に葬儀には出られない。19日の通夜に顔を出し巨人ナインとは1日遅れの20日に1人で大阪に向かった。不幸に見舞われたショックを隠して新浦投手の奮闘が始まる。

同じ19日の練習中に小林投手が沢村賞を受賞したとの知らせが舞い込んだ。この賞はマスコミ各社の運動部長が選ぶ権威ある賞。小林投手は28人中21票を得て初めての受賞だった。「本当に嬉しい。今シーズンは自分としては今一つの感じだったんですが、防御率が良かったのと奪三振数が多かったことが評価されたのかな」と笑顔。細腕からズバリズバリと三振を奪った小気味イイ投球は立派に " 剛腕沢村 " の名に恥じない。巨人では昭和47年の高橋一三投手(現日ハム)以来だが歴代受賞投手は江夏投手や堀内投手など本格派投手が多くサイドスロー投手の受賞は大友工投手(元巨人)以来となる。


切符や~い
「試合のチケット余っていませんか?」と周囲に聞いて回る選手たち。巨人の選手ですら日本シリーズのチケットを入手できない。王選手ら一部の主力選手には何十枚か渡されたが充分な枚数ではないそうだ。中には「対戦相手がロッテだったら全試合を後楽園球場で行うだろうから何とかなったかもしれないのに」と的外れな苦情も。関西出身の選手の中には親戚などに西宮球場での試合チケットが入手できないか相談しているという。でもチケット不足は関西でも同様で入手困難のようだ。


コメント

# 909 週間レポート:クラウンライターライオンズ

2025年08月13日 | 1977 年 



もはや勝手にしやがれ、の江川
来るのか、来ないのか。ドラフト会議で「イの一番」指名した法大・江川投手に振り回されっ放しの毎日だが、雲隠れした怪物くんに担当の浦田チーフスカウトや毒島スカウトも手持ち無沙汰状態。マスコミ関係者周辺では入団拒否濃厚のムードが漂い始めて博多のライオンズファンはイライラが増すばかり。台湾に出張していた中村オーナーも急遽予定を変更して帰国し、局面打開の為にオーナー自身が直接行動に出ることを確認した。球界内では一発屋とか電光石火男などと異名をとる物事のスピードを第一に考える中村オーナーだけに一向に進まない状態を憂慮しており「今後は私が交渉の先頭に立つことになる」と明言した。

ただ中村オーナーが厳重に戒めているのがドラフト指名直後に球団内部にあった岸元首相の出馬を仰ぐという意見だ。江川サイドが船田元衆議院議長に身柄を一任しているのならこちらも政治力の介入で立ち向かうという考え方は世論の反感を買うに違いないという判断があり下手な裏工作は絶対にやらないと決めている。そんな折りも折り、岸元首相が船田元衆議院議長に電話で江川投手のクラウン入りを頼み、江川サイドも「考えさせてほしい」と返答したと一部マスコミで報じられた。球団は「悪質な嫌がらせだ」と反発し即座に報道を否定しカンカン。神経を削るような毎日が続いている。

地元の福岡ではファンによる署名活動も行われている。20万人分の署名を目標にするこの運動は11月27日(日曜日)の1日だけで6万人の署名が集まり地元ファンの注目の高さを証明した。西鉄福岡駅の東側出口は毎日のように幾つかの団体の署名活動や活動費用のカンパが行なわれている。『江川くんを平和台へ』という呼びかけに普段は無関心な小・中学生や女性も足を止めて署名に応じている。署名簿はコピーをとって上京する団体責任者に託し江川投手本人は勿論、父親・二美夫氏や後見人の船田代議士に渡す予定だそうだ。また江川投手獲得の援助になればと東京や大阪に在住する有志からの寄付金も続々集まっているが、その願いは届きそうはないのが不憫だ。


正々堂々
根本陸夫新監督の就任と江川指名騒動ですっかり忘れ去られてしまった格好の鬼頭政一前監督。どうやら球団フロントの一員として残留が決まったようだ。中村長芳オーナーが鬼頭氏の飾り気のない人格に惚れ込み「ライオンズのOBの中で君ほど手放したくない人物はいない」と口説き落とした。一時は悠々自適な評論家生活を考えていた鬼頭氏だったが「私でお役に立つならもうひと働きしてみたい」と翻意した。任期が終わればハイ、サヨナラが通例の球界だが引き留めた中村オーナーも立派ならその受け方も堂々として見ていて気分が良い。


コメント

# 908 週間レポート:日本ハムファイターズ

2025年08月06日 | 1977 年 



これがニンマリせずにいられようか
昨年のドラフト会議では指名した6名のうち上位1位・2位・3位指名の3選手を含めて計4選手に入団を拒否された。「去年の失敗がいい勉強になりました。今年は絶対に大丈夫です」と編成担当の小島取締役が自信を披露していた通りに今年は入団交渉がスムーズに進んでいる。ドラフト会議から1週間で入団決定、内定が続いている。12球団のトップを切って契約第1号になったのは4位指名の八代工・川本智徳投手。瓜生スカウトが11月24日の夜に初交渉し、翌日には正式契約となった。「プロでやりたいと思っていましたから1日でも早く契約したかった」と川本投手。中央球界では無名だが夏の甲子園大会予選で強豪・熊本工をキリキリ舞いさせた本格派投手だ。

11月30日午後1時から東京・小平市にある亜細亜大学・矢野監督宅で正式契約したのが2位指名の古屋英夫内野手。古屋選手も28日の初交渉で契約金2500万円・年俸300万円で一発合意した。古屋選手本人はその場で契約書にサインする気持ちでいたが、丸尾スカウトが「御両親に挨拶をしないと失礼ですから」と前のめりの古屋選手を落ち着かせた。翌29日に千葉・富津市の実家で挨拶を済ませた後で矢野監督宅での契約となったのだ。木更津中央高から亜大2年まで投手だったので野手としての守備は鍛え直さなければならないが、高校時代は千葉県選抜チームで四番打者を務めた打撃は本物だ。ちなみに同チームの三番打者は習志野高の現阪神・掛布選手だった。

6位指名の関東第一高・田村藤夫捕手も29日に三沢・金山スカウトとの交渉で入団が内定した。ドラフト会議前には9球団が挨拶に訪れるなど無名ながら隠れた逸材であり、色白で三浦友和ばりの二枚目で女学生の人気の的だとか。3位指名の谷村工・山本桂選手は仮契約を済ませ正式契約は吉日を選んで行うとか。1位指名の大東文化大・石井邦彦投手も大筋で合意しており入団に支障はない。残るは5位指名の慶大・土居靖典選手だが、こちらは既に入社が内定している日本鋼管との話し合いを優先させる必要があるので少々時間がかかりそうだ。


自衛隊
菅野光夫選手と織羽ソノエさん(19歳)との結婚披露宴が11月27日に新横浜ホテルで行われた。この会場で爆笑の渦を巻き起こしたスピーチがあった。「菅野選手はイイ素質を持っているのに今の所は " 自衛隊 " です」出席者は一瞬???状態だったが、続く話で大爆笑となった。「守りだけで攻撃せずまるで日本の自衛隊そのものです。結婚を機に攻撃の方も頑張って下さい」と。これには大沢監督も大笑いし、菅野選手は「ハイ、外国の軍隊並みに頑張ります」と苦笑い。新婚旅行はヨーロッパなのでついでに軍事基地を見学する?


コメント

# 907 週間レポート:近鉄バファローズ

2025年07月30日 | 1977 年 



「やりたい」とは言えない
杉浦投手コーチの解任劇はミステリアスな謎に包まれている。去る11月4日、藤井寺球場の会見場で山崎球団代表が突如「指導法の解釈の違いで杉浦投手コーチを解任しました」と発表した。南海との出来レースと見る向きもある。つまり広瀬新監督の下で投手コーチに就任する為の措置ではないかというもの。広瀬監督と杉浦コーチは現役時代から仲が良く、杉浦コーチが近鉄入りしてからも親交は続いていた。一方で杉浦コーチと西本監督の野球観の違いを指摘する声も少なくない。 " ガッツで突進 " を合言葉にチーム作りをしてきた西本監督に対し杉浦コーチは選手に優しすぎた。指導方法が本質的にそぐわなかったという説である。

杉浦コーチが去ることを惜しむ人は多い。力投型の鈴木啓投手が行き詰まっていたのを投球術で復活させたり、伸び悩んでいた太田投手や井本投手ら中堅クラスを一本立ちさせたのも杉浦コーチの実績だ。近鉄球団の解雇理由が今一つ具体的でないのも様々な憶測を生んでいる理由だ。解雇通達を反論せず直ぐに受け入れたのかと記者に問われると杉浦コーチは「辞めてくれと言われて続けたいとは言えない。選手の不調は指導する我々の力が及ばなかったからだ」南海ホークスのお家騒動が絡んでいるのではないか、には「よく言われることだが痛くもない腹を探られて心外だ。解任のタイミングが悪かったようだ」と苦笑いした。

後任の投手コーチには既に複数の候補があがっている。中西二軍投手コーチの昇格、板東投手のコーチ兼任、西本監督と気心が知れている真田重蔵元阪急投手コーチなど。球団フロントの某氏は「コーチ経験のない板東をいきなり一軍でコーチにはしない。一番良いのは西本監督の阪急時代の教え子で引退した米田投手のコーチ専任だったが実現しなかった。中西二軍投手コーチの昇格も有力だが現在、外部からの招聘を含めて検討中だ」と明かす。どうやら開けてビックリの人事にはならなそうである。


シリーズ再現
秋季練習が行われている藤井寺球場でテレビ局の企画番組 " あゝプロ野球 " (本誌グラビアで連載中)の録画撮影が行われた。これは2リーグ分裂直後の昭和25年に松竹 vs 毎日で争われた日本シリーズを毎日に在籍していた西本監督、本堂二軍監督に松竹のスラッガー小鶴誠氏と岩本義行氏が加わって当時を回想してもらう企画。藤井寺球場のスコアボードには毎日が日本一を決めた第6戦のメンバーや得点が記され解説者の青田昇氏の司会で番組が収録された。当時の思い出話に花を咲かせ、西本監督ら4人は顔を見合わせ「今や白髪のお爺ちゃんだがあの頃はワシらも若かったなぁ」と懐かしんでいた。


コメント

# 906 週間レポート:ロッテオリオンズ

2025年07月23日 | 1977 年 



6年ぶりにジプシー返上
ロッテが来シーズンから川崎球場を本拠地として使用することが正式に決まった。神奈川県に移転することは決まっていたが、川崎球場を専用球場とするか新装なった横浜スタジアムと併用するかが検討されてきた。横浜スタジアムで何試合をするのか、同じく横浜進出する大洋球団との協議は物別れに終わった。当初ロッテは横浜スタジアムを専用球場にと考えていたが金田監督以下、現場スタッフは人工芝だと選手の疲労が大きくなるとして天然芝の川崎球場を要望した。加えて横浜進出が成っても練習場の確保が難しくなるとして否定的な意見が多かった。結局、ロッテは横浜スタジアムでは1試合も行わず、川崎市で53試合・仙台市で12試合を行うと発表した。

この発表に川崎市と川崎球場側は「ロッテ球団に全面的に協力を惜しまない。市民球団としてバックアップしていく」と大喜び。6年ぶりにジプシー生活から脱却し、来シーズンから過酷な遠征移動も激減する。「優勝へ条件は揃った。もう待ったなしや。勝つことがロッテを温かく迎え入れてくれた川崎市民への恩返しになる。優勝できなかったらジプシーじゃなかったら…と言い続けてきた自分にウソをついてきたことになるんや」とカネやん。松井静郎球団社長も「これで監督も言い訳ができなくなった。是が非でも、もう一度日本一になってほしい」と発破をかけた。

再びの日本一へ球団の後押しは始まっている。南海・野村前監督の獲得に成功した後もドラフト1位入団で期待されていた田中由郎投手と大洋・奥江英幸投手との交換トレードが進行中だ。そればかりか野村騒動で去就が注目されている南海・江夏豊投手にもご執心。カネやんは「南海側と話し合って何としても江夏を迎え入れたい」と鼻息が荒く、11月30日に行われたスタッフ会議で早速 " 川崎球場プロジェクトチーム " を立ち上げて「ワシは監督として初めて自軍の球場を得た。川崎球場の特徴を分析して勝てるように生かしていきたい」とロッテ野球の持ち味をフルに発揮できよう環境作りをしていく覚悟だ。


不仲のウワサ
" キンちゃん " の愛称で親しまれていた村上公康捕手が退団することになった。「野球に未練がないと言ったらウソになる」の言葉通り今シーズン終了直後に来シーズン用のミットをアメリカから取り寄せていた。それにもかかわらず身を退くことになったのは自身の将来を考えてのことだった。「四国に帰って義兄が経営しているスポーツ店の仕事を手伝うつもり。数年後には独立したい」とか。これまで何かと取り沙汰されていたカネやんとの不仲はどうやら関係ない模様。「最も印象に残っている場面は八木沢投手が完全試合を達成した試合でマスクを被っていたこと」とキンちゃんは11年のプロ生活を振り返った。


コメント

# 905 週間レポート:南海ホークス

2025年07月16日 | 1977 年 



野村監督解任で公約のボーナスが…
12球団のトップを切って早々と来季の契約更改が始まった。今年の交渉は難航しそうな気配である。それはシーズン前に野村前監督が公言していた対阪急戦でのボーナス支給に関してだ。例えば阪急戦に完投勝ちした投手には1勝を2勝相当とし、1セーブを1勝相当として査定する。他にも完封勝ちした場合には更なるアップも。野手は決勝点をはじめチームの勝利に対する貢献度によってボーナスが加算される仕組みが採用された。こうしたボーナス査定の採用は南海だけではなく日ハムも取り入れており、阪急キラーの高橋直投手は「阪急さんのお陰で稼ぎがアップしてカミさんも喜んでいます」と公言している。

このボーナス査定が実施されると藤田投手は今シーズン16勝だったが、阪急戦で1完封を含め3勝しており「20勝投手」としての評価となる。他にもアップ組がゾロゾロいる。阪急戦に4勝して阪急キラーとなった金城投手は今シーズン10勝だが15勝扱いになる。昨シーズンのセーブ王から0セーブに終わった佐藤道投手や勝ち星が20勝から11勝と半減した山内新投手は年俸ダウンは避けられないが、阪急戦でそれぞれ2勝しており減額分をカバーすることが可能となる。野手の場合は阪急戦で高打率を残した選手は必然的にアップとなり、門田選手は年俸1500万円も見えてくる。南海ナインの多くが " 野村ボーナス査定 " の行方を心配している。

「当然ボーナスを要求するつもりですけど、どうなるんでしょうかね」と某投手は首を傾げた。ボーナスを約束した野村前監督がいなくなり必然的に約束の方も消滅するのではと心配する声があがっている。「でも当時は球団もボーナスを了解していたし約束は生きていると信じてますよ」と主力野手はボーナスの件を前面に押し出して契約更改に臨む姿勢を明らかにしているが、どうなるかは球団側の胸ひとつだ。野村体制が瓦解したことの影響でボーナスが反故にされる可能性はゼロではない。「どうですかね、あの時と今は事情が違うでしょ(監督が交代したという意味)。それに阪急戦に勝ち越せば優勝すると思っていたが優勝できなかった。優勝してこそのボーナスですから」と球団スタッフの担当者はボーナスを暗に否定する。


OB & OB
南海ホークスの第7回OB会(鶴岡一人会長)総会と親睦ゴルフ大会が開かれた。和歌山県の橋本カントリークラブで開催されたゴルフコンペには懐かしい顔ぶれが揃い賑やかそのもの。木村保、中村大成、木塚忠助などかつてのスター組をはじめ、日ハムの村上など移籍組など現役選手を含め総勢55人が駆け付けた。体力のある若い連中には勝てない超ベテラン組はもっぱら舌戦で応酬した。お陰で藤田投手はOBを連発し2ホールで20打も叩き顔面蒼白に。結果は樋口正蔵(浪商⇒法大)が優勝した他、笠原和夫(市岡中⇒早大)が続いた。ちなみにブービーメーカーは107打を叩いた藤田投手だった。


コメント

# 904 週間レポート:阪急ブレーブス

2025年07月09日 | 1977 年 



福島⇒仙台⇒大阪⇒上郡… " 上田スカウト部長 " ハッスル
" V3監督 " の威力・魅力は何物にも代えられぬほど絶大だった。ドラフト1位指名の松本正志投手(東洋大姫路高)と2位指名の三浦広之投手(福島商)の入団交渉に上田監督自ら出馬した。先ずは福島市内にある三浦投手の実家を訪ねた。甲子園大会のテレビ中継を観戦し、三浦投手の活きのいい投球を目の当たりにした上田監督は藤井編成部長や三輪田スカウトに獲得を強く要望し、運良く交渉権を得た。当初は本人・両親ともに大学進学を希望していたが上田監督の説得に両親は「息子を預けても大丈夫そう」、三浦投手も「プロ入りの気持ちが四分六分から六分四分に変わりました」と阪急入りに前向きになった。

難航が予想された三浦投手の説得に好感触を得て勢いづいた上田監督は続いて松本投手のもとへ。福島市からそのまま松本投手の実家に向かった。福島⇒仙台⇒大阪⇒上郡と1000kmを遥かに超える距離を移動した。ドラフト前から阪急に好意的だった松本投手の父親・正さんだったが「1位指名のウチより先に三浦君の所に行かれたのがちょっと…」とヘソを曲げたが上田監督の巧妙な話術で事なきを得た。入団交渉は順調に進み「お世話になります(松本投手)」と内諾を得るのに成功した。いやはや、V3監督の肩書の威力は半端ない。


大熊、1000本安打記念ゴルフ
過日、奈良・飛鳥カントリークラブで3組の阪急勢が18ホールのストロングプレーを楽しんだ。そのコンペのタイトルは「大熊忠義1000本安打達成記念ゴルフ」。主催者は大熊選手で招待されたのは野呂瀬・牧・渡辺守らのバッティング投手だった。今シーズン、プロ入り14年目で待望の1000本安打をマークした大熊選手は「記録というものは決して自分ひとりで作れるものではない」とずっと縁の下の力持ちとして黙々とバッティング投手を務めてくれた3人に対する感謝の気持ちを表したゴルフコンペだった。いかにも昭和10年代生まれの泣かせる台詞。義理と人情に厚い大熊選手ならではの話である。

カレンダー
ワインカラー地にカーキ色のチャンピオンフラッグを染め抜いた「1978年ブレーブスカレンダー」が定価800円で12月3日から発売になった。販売場所は球団事務所内と阪急百貨店5階にあるブレーブスコーナーに設けられた。何だ、地方に住むファンは手に入らないのかと落胆することなかれ。送料450円さえ払えば郵送してもらえる。福本・山田・加藤秀選手ら主力選手がカラーで載っているこのカレンダーはV3人気もあって飛ぶように売れており、球団スタッフはホクホク顔だ。




コメント

# 903 突然の解任劇 ②

2025年07月02日 | 1977 年 



8日間もの熟慮の末に出た爆弾発言
それは驚くべき発言だった。これまでにも過去に複数の球団で内部抗争はあったが、今回の南海のように公式の場で堂々と相手の氏名を挙げて不満をぶちまけたという例は見当たらない。それも一時的な感情の高まりによる衝動的な発言ではなく、何日も熟慮の末の発言でありそれを聞いた相手側の驚きは大きい。球団から解任を通告された野村監督は外部との接触を一切絶ち豊中市刀根山の自宅に8日間籠った。昭和52年10月5日、大阪北区のロイヤルホテル「桐の間」で記者会見を開いた。シャンデリアが輝き金屏風を背にマイク9本、テレビカメラ10台、記者70人、カメラマン30人が詰めかけて会見場は異様な雰囲気を呈した。

「この一週間、私なりに色々と考えてまいりましたが、私は鶴岡元老にぶっ飛ばされたと思っています。スポーツの世界に政治があるとは思ってもいませんでした。鶴岡政権の圧力の前に私はぶっ飛んだわけでございます」といきなりの爆弾発言で始まった記者会見だったが、その後の記者との一問一答でも衝撃の告白が続発した。解任の経緯や裏で工作した人物の名前など積もりに積もった鬱憤を一気に吐き出した。プライベートな女性問題にも触れて「すべては彼女というきっかけでつけ入れられた」と愛人関係にあった女性が選手起用に介入した事実はないと否定し、川勝オーナーをはじめ球団トップグループの無能さに怒りをぶつけた。


野村発言の要旨
女性問題について「色々と言われているがこれはプライバシーのことであり公私混同と取りざたされているが針小棒大にされている。特に彼女が采配に口を出したとかコーチ会議に出席して意見を述べたとかは全くのデマである。彼女自身は野球に関して無知で、そこまで非常識な人間ではない。また私もそんなことは絶対に許したりしない」と全面否定。「こうした在りもしないことが週刊誌に出たのは陰謀としか考えられない。私に成りすました人間が選手の奥さんに電話をかけて怒鳴りつけた事実を確認している。まるでスパイ映画のようなことが裏で展開されてた」と球団側による陰謀説を展開した。

自らの去就について野村監督は「シーズン中の早い段階で嫌な予感はしていたし、第三者からも " 危ないよ " と忠告をされていた。しかし自分としては一度くらい球団から呼び出しがあって然るべきだと思っていた。こちらから求めても会ってもらえなかった」と球団側と話し合いたかった胸の内を吐露した。9月27日に森本球団代表から会談を提案されたがそれを断った件については「25日付けのスポーツ紙を見て一方的に解任されることを知った。翌々日に会いたいと言ってきたが遠征先から大阪に戻ってみたら会談後に解任を正式発表する道筋が既に決まっており会っても仕方ないと判断して断った」


謝罪しないという野村第二次告発が?
当然、この野村発言は関係者に波紋を広げた。名前を挙げられた鶴岡一人氏は「とんでもない話や。なんで俺が野村の足を引っ張らなきゃならんのや。人事権も無いのに」と立腹し、一時は謝罪を求めるなど態度を硬化させたが時間が経つにつれ「関わるのもアホらしい」と自ら動くことはやめて球団に善処を求め現在は静観している。球団側は野村発言に対して事実無根の内容として訓告文書を送ることになり、特に鶴岡氏に謝罪するよう要求した。「野村君は現在も南海の支配下選手であり球団命令として訓告した」と森本代表は対決姿勢を露わにしたが野村監督は「発言内容は舌足らずの部分もあったが鶴岡氏が動いたのは確認したし謝るつもりはない」と反発した。

記者会見の日と時を同じくして某週刊誌に手記を載せた野村監督。またテレビに出演してファンに別れの挨拶も検討しているという。まだまだ野村監督の逆襲は始まったばかりだ。問題は南海と野村監督との間だけに納まらない。永年の功労に対して岡野パ・リーグ会長がコミッショナー表彰をするよう連盟に進言していたが、この問題の発覚を受けて取り下げられた。「とにかく野村といえば長嶋や王と並ぶ日本プロ野球界の宝。プロを目指す若者の目標でありシンボルであった。それが今回の騒動で大きくイメージダウンした。女性トラブルは勿論だが大恩ある鶴岡氏を陰謀の主役のように公言したことが拙かった」というのが球界関係者の代表的意見だ。



コメント

# 902 突然の解任劇 ①

2025年06月25日 | 1977 年 



まだシーズンが終了していないのに突如表面化した野村監督の解任劇はファンに大きな衝撃を与えた。その理由とされるものも珍しいものだったし、これに対する野村監督の沈黙も内蔵された問題の深さを思わせる


情報漏れで後手に回った球団側
今回の解任劇が公になったのは9月26日付のスポーツ紙だった。シーズンオフになると監督人事は目玉だが、大方のスポーツ紙記者は南海は無風と予想していた。何しろ川勝オーナーと野村監督の密接な関係は周知の事実なのに加えてテスト生から南海一筋24年の立志伝中の球界の至宝をあっさりクビにする筈ないと考えられていた。事実、" 1万打席 " の大記録を達成した8月26日に感想を求められた川勝オーナーは「来季も野村体制」と明言していた。それだけに『野村監督解任』の大見出しは南海ファンのみならず多くの野球ファンを驚かせた。僅か1ヶ月後に180度の転換には何があったのか。

解任への決定的な首脳会議が行われたのは9月13日。出席者は川勝傳オーナー、球団役員で後援会会長の飯田新一高島屋社長、野村監督の人生の師と言われている葉上照澄東南寺住職、森本球団社長の4人。会議のテーマは世間で噂となっている野村監督の公私混同の件だった。公私混同とは某女性(親しい人たちは「奥さん」と呼んでいる)がコーチ会議に出席し選手たちから顰蹙を買っていることを指す。野村監督は現夫人とは離婚協議中だが正式には成立しておらず某女性は全くの部外者である。会議で野村監督を擁護する意見はなく特に葉上住職が厳しい態度で批判したことが決め手となったと伝えられている。

これで野村監督解任は決まったのだが川勝オーナーは「野村監督本人の話を聞いてから結論を出すことにしてはどうか」とまだ未練タラタラであったが、話を聞くなら関係者全員から聞くべきと反対する3人の意見を無視することは出来ず " 泣いて馬謖を斬る " こととなったのが真相のようだ。一部報道後も川勝オーナーが「まだ正式に決まったわけではない」と発言していたのも単なるカムフラージュだけではなく、監督留任に一縷の望みを持っていた川勝オーナーが非情な手段に踏み切れない葛藤の思いからだったのだ。シーズン終了後まで伸ばし時間稼ぎをしたい川勝オーナーだったがスポーツ紙にスッパ抜かれて事態は猛スピードで進展することになる。


態度硬化した野村監督
野村監督は公私混同が甚だしく選手からの人望がなく監督として不適格とするスポーツ紙の報道に慌てた球団側は事態の収拾に動いたが野村監督は「公私混同は球団の方だ。私生活のことまで指図されるのは心外。そもそも女性のことは球団に報告済で私から辞表を出す気はない」と態度を硬化させた。第一報が出た26日の夜、遠征先の都内のホテルで報道陣に対応したのを最後に球団とも接触を避け姿を消して両者の話し合いは実現せず電話で解任を事後通達するという前代未聞の事態となった。翌日の解任発表の会見場にも野村監督は現れなかった。数々の記録を達成し、王選手と並ぶ球界の功労者は晩節を汚すこととなった。

あるベテラン記者は「球団側が言う公私混同は建て前で問題はもっと深いところに根差している。端的に言うと南海OBの重鎮らが巻き返したということ」との見方を示す。何やら複雑怪奇な話だが要は鶴岡一人氏との確執が原因だという。昭和44年にプレーイングマネージャーに就任した野村監督が先ず着手したのが鶴岡派と言われていたグループを排除することだった。新たなコーチ陣も南海OBではなく外部の人間を重用した。これが鶴岡派ばかりかOB達の不評を買うこととなり、以後は野村監督と鶴岡派を含むOBとの冷戦状態がずっと続いてきたと言われていて岡本伊佐美二軍監督や杉浦忠、皆川睦雄、三浦清弘らが野村監督のもとを去っている。


南海OBの野村批判も内臓されていた
反野村派はただ一人残った鶴岡派の広瀬選手を支持して巻き返しを図り、野村監督のウィークポイントを突いて行動を興した。それが " 公私混同 " だったのだ。先述した四者会談で先ず野村監督に反旗を翻したのは飯田新一高島屋社長だった。つまり鶴岡派とOB連中の代弁者である。また葉上住職の東南寺は現野村夫人・正子さんの実家の菩提寺で相談役でもある。女性問題で精神的に追い込まれた正子夫人が離婚を考えた時に諭したのが葉上住職だった。野村監督に「南海に残りたければ女性と別れろ」と進言したが、「野球と私生活は関係ない」と突っぱねられて夫婦関係修復の匙を投げた。

捕手としてそのリードは芸術品に近いものとなっており、数多くの投手を再生させたことでも高く評価されている。監督としてもある評論家は「今の球界で一番野球を知っているのは野村だ」と絶賛する。こうした偉大な男が一瞬にして消え去るのは余りにも物悲しい。自由契約選手となれば引退試合という花道はない。南海一筋24年間の功績もあっけなく押し流され、背番号「19」が永久欠番になるのが既定路線だった筈だがそれも風前の灯火。球界を代表する選手が芽が出ず2~3年で辞めていく選手と同様の扱いなのだからこの世界は非情である。なんとかこの男に相応しい花道はないものだろうか。








#12 監督解任 - Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

以前広岡監督の手腕について書きましたが、今回は野村監督の解任劇です。成績を理由にクビを切られたり契約満了でその座を退くのが通常ですが、野村監督の場合は前代未聞で...

goo blog

 
コメント (1)

# 901 日本シリーズ情報戦

2025年06月18日 | 1977 年 



日本シリーズは10月下旬からだがそれは情報の戦いである。スパイ合戦では本家本元のパ・リーグが巨人相手にどう出るのか。これから始まる " 裏の戦い " を展望してみよう。

サイン盗みの先駆者は野村南海
「あんな方法は時代遅れやで。今じゃ通用せんよ」と上田監督(阪急)が振り返るのは昭和48年のペナントレースで南海が行なったスパイ行為。大阪球場のスコアボードの得点表の空いた部分から男が双眼鏡を覗きながら球種をゼスチャーで南海ベンチに伝達し、それを解読して打者に伝えたのである。至極単純な方法だが「次はカーブ、次はシュートと分かったらそりゃ打てますよね。でも相手もサインを複雑にするなどして解読に時間が掛かるようになってからはダメでした」と当時の某主力選手は回想した。野村監督は「頭は生きているうちに使うもんじゃ。ずるいと言われても禁止されてないんだから」と悪びれる様子はなかった。

もちろん?その年の前期シーズンを制したのは南海だった。後期シーズンに優勝した阪急をプレーオフで退けて日本シリーズへ進出した。このプレーオフこそまさに両軍によるスパイ合戦となった。外野席に「赤・白・黒・青」のシャツを着込んだ男を配して、球種によって色違いのシャツを着た男が立ち上がって球種を知らせる。こうなるとパ・リーグの他の球団も黙っていなかった。「野球はフェアなスポーツだ。そんなことをしたら面白味がない」と当初は否定的だったカネやん率いるロッテもスパイ合戦に参戦した。太平洋クラブの稲尾監督に至っては「双眼鏡よりよく見える」と天体望遠鏡まで買い込んだ。

翌々年の昭和50年の阪急と広島の日本シリーズもスパイ合戦が話題となった。広島市民球場の中堅後方のスタンドに2~3人の男らが陣取って何やらサインを送っていた。「なんや不審な動きをしとる。 " 007 " がいるのはパ・リーグだけやと思っていたけどセ・リーグもやっとったんかい。これで五分五分やから文句は無いわな」と上田監督は苦笑いしていた。広島の古葉監督は昭和48年まで南海でコーチを務め、野村監督と共にスパイ戦術にアンテナを張り巡らしていた1人でノウハウは頭に叩き込んでいた。だがこの年以降、スパイ合戦は下降線を辿っていくことになる。


パの打者を弱体化したスパイ過多
理由のひとつは相手球団が防止策としてサインの大幅な変更をしたこと。中には捕手が出すサインはダミーで本当のサインはベンチから投手に送っていた球団もあった。また外野席から覗かれることを逆手にとって投手から捕手にサインを送ったりもした。今では投手が帽子のツバや肩や腕を触る仕草は当たり前になっている。スパイ合戦が若手選手の成長の妨げになっているという指摘も無視できない。事前に球種が分かればヒットを打つ確率は格段に増す。「ロボットと同じで力量の劣る打者でも苦労しない。球種を読むという洞察力を磨く必要もなく打撃技術は低下するばかりだ」と嘆く球界関係者は少なくない。

この先もパ・リーグのスパイ合戦がエスカレートするとどうなってしまうのか。かつてロッテが東京球場を本拠地にしていた頃、相手チームのベンチやロッカールームに盗聴器を仕掛けたことがあり、試合前のミーティングやベンチ内の会話が筒抜けとなった。「でもいくら作戦とか対戦相手の調子が分かっても力のないチームは勝てんものなんだ。どんなに卑怯な手段を使われても力量が上なら負けるわけない。そりゃ力が均衡している同士なら話は違ってくるけどね」と当時、全盛期だった西鉄の三原監督は相手チームの姑息な手段を蹴散らした。


日本一へ貢献した阪急式情報収集
昨年、2年連続日本一を達成した阪急打線は相手の巨人投手陣をものの見事に打ち崩した。その裏には阪急の情報網の確かさと威力の大きさが発揮された。150万円を投じてビデオレコーダーを購入したのは一昨年のオフ。昨シーズン、前後期を制覇した阪急は日本シリーズ用の偵察部隊を編成して巨人を追い続けた。八田スコアラー・藤江チーフスカウトらがデータを集め、金田スコアラーがビデオフィルムを回し続けた。「フィルムの長さは1万8千メートルになりました。30試合くらいは撮影しましたね」と話す八田スコアラーらは膨大なフィルムをもとに巨人投手陣を丸裸にしたという。実際、投球フォームを分析されたライト投手や小林投手は癖を読まれ打ち込まれた。

投球リズムから配球パターンまで分析されライト・小林以外の巨人投手陣も阪急打線の餌食となった。「ウチの日本一は " 007 " の働きなしには有り得なかった。こういう情報部門の徹底がイザという時に力を発揮するもんだ」と上田監督は最大限の賛辞を送った。だが今年は阪急と巨人の立場が入れ替わった。開幕から独走してリーグ優勝した巨人は昨年の借りを返そうと早々と偵察員をパ・リーグの優勝争いの場に送り込んだ。阪急かロッテかまだ対戦相手は決まらないが準備に怠りはない。「監督命令です。去年はデータ不足で負けたようなもんですから今年はじっくり見させてもらいます」と巨人の小松スコアラーはデータ集めに躍起になる。

「阪急は今年も色々と仕掛けてくると思うが最後は力のあるチームが勝つんだ。それが真の勝負というもんだ。その為にデータ集めは重要です」と昨年の日本シリーズで苦汁を飲まされた投手陣を預かる杉下投手コーチは力説する。データに優るスパイ戦術はなし。それが9連覇を成し遂げた川上時代から引き継がれた巨人の伝統であり確信でもある。シンキングベースボールを掲げたのは野村南海であり、スパイ戦術という奇抜なアイデアを生み出したのも南海だった。現在も南海は球種を電気を使って打者に伝送する方法を駆使していると言われているが、その野村監督が今シーズン限りで南海を退団することになった。スパイ行為かデータ集めか、答えは間もなく出る。






#14 スパイ行為 - Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

10年ほど前、当時のダイエーホークスがスパイ行為をしてるとの報道がありました。しかもそれを報じたのが地元の一般紙だったので単なる飛ばし記事ではなかったと思われます...

goo blog

 


コメント

# 900 三井雅晴

2025年06月11日 | 1977 年 



故障に苦しめられて
大阪・本町にあるロッテオリオンズの宿舎。取材の約束時間にホテルのフロントに着いたと同時に三井投手がエレベーターから現れた。甘いマスクにスマートな身なりが育ちの良さを感じさせる。だが苦労が尽きない三井投手。今シーズンも肩やヒジの痛みに悩まされている。昨シーズン終了後に金田監督は「三井のヒジ痛さえなければ阪急に勝てた」と悔しがった。昨シーズンは開幕早々3勝し、エースに育ったと周囲は喜んだが5月に入るとヒジ痛が再発し6月には二軍に降格した。ようやく投げられるようになったのは秋風が吹く頃だった。心機一転、臨んだ今春キャンプで今度は右肩を痛めた。右腕が肩より上にあげられなくなるほど重症だった。

「肩を痛めた時は、またかと暗たんたる気持ちになった。もう自分はこのままダメになるのかと落ち込みました」と三井投手は当時を振り返る。7月末まで二軍暮らし。一軍に戻ったのは7月29日だった。復帰後は着実に勝ち星を重ねて、只今4勝。遅ればせながら阪急と後期シーズン優勝を争うチームに貢献している。「キャンプの頃の辛さを考えたら、今こうして投げられることが出来て本当に嬉しい」と話す三井投手の表情は明るく常に笑顔だ。取材日の前日に三井投手は近鉄戦に先発し6回まで近鉄打線を1点に抑えて勝利し、ロッテの優勝へのマジックナンバーを「7」に減らした。


速球投手が憧れだった
愛知県の半田商を卒業して昭和48年にロッテ入り。今年でプロ入り5年目になる。3人兄弟の真ん中で兄も弟も半田商で投手だった。その兄と弟は名古屋商科大学に進学し、今は2人とも家業を継いでいる。地元では多くの人が訪れるスーパーマーケットだが三井投手は「いやいや八百屋ですよ」と謙遜する。子供の頃からプロ野球選手になるのが夢だった。できれば地元の中日入りを願っていたがロッテにドラフト2位で指名されプロ入りした。そして入団2年目に新人王に輝いた。「たったの6勝で新人王になれたのはチームが優勝したお陰でしょう。プロ入りしていなかったら父や兄弟と一緒に働いていたでしょうね」

長身、広い肩幅、しなやかな肉体と見るからに本格派の速球投手という感じだが、本人は「胸にも下半身にも、もう一つ厚みが足りない。それが体に負担をかけて故障に繋がっているのかもしれない。またいつか痛みが襲ってくるかもしれないと常に薄氷を踏む思いがする。絶壁に立たされているような心細さもある」と不安を吐露する。だが速球投手は子供の頃からの理想で「ストレートで三振を奪うところに投手としての醍醐味がある。自分が理想とする投手はウチの監督(金田正一)と阪神時代の江夏さん」と肩やヒジの痛みの再発を恐れながらもビシビシと速球を投げ込む。


後れを取り戻したい
昨年、そして今年の前半と肩やヒジの故障に悩まされている。それが逆に野球人としての欲が湧いてきた。5年前にプロ入りした時は太く短くてもよいから活躍したいと思っていたが現在は「痛みに責められれば責められるほど1日でも長くプロの世界で頑張ろうと思うようになった」。ロッテは本拠地のないジプシー球団。それだけでもハンデであるが「自分はロッテしか知らない。プロ野球はこんな世界なんだろうと思っていてジプシー球団と言われてもピンとこない」と本人は気にしない。苦しみに耐え、三井投手は人間的に鍛えられ成長した。これは何もプロ野球の世界だけの話ではない。常に仕事というものが人を鍛え伸ばす証なのだ。

最近は女子高生からのファンレターが多い。「二軍落ちして川口市のグラウンドで練習していた時に地元の女子高生たちがよく見学していたんです。内容は早く怪我を治して一軍で頑張ってください、というのが殆どです」と三井投手は少し照れた笑顔を見せる。9月16日が誕生日でその日にファンレターが集中して届いた。「ファンて誕生日まで知っているんですね」と感心したように言いながらまた照れる。23歳・独身で現在はマンションで独り暮らし。そろそろ結婚を考えてもよい年頃だが本人は「結婚はまだまだ先の話。先ずは怪我をしっかり治して一軍でバリバリ活躍しなければ。応援してくれるファンの皆さんの為にも頑張ります」と浮ついてない。



コメント

# 899 ホトケのゴローさん

2025年06月04日 | 1977 年 



私は何度か阪神が甲子園球場で試合がある時に自転車で球場入りをする遠井選手の姿を目にした。時にはチリンチリンとベルを鳴らして悠々と自転車を漕いでいる光景を見て、何とも言えぬ微笑ましさを感じていた。

ホトケのゴローさん
飾り気というものが全くない。そして一種独特の茫洋とした風格がある。悠々迫らざるという感じもする。その表情には常に柔和な微笑みが漂っている。 " ホトケのゴローさん " と呼ばれることを本人は「厳しい世界だし、そうニコニコしてはいられないんだけどね。まぁ性格的に呑気なところがあるんだろうな」とメガネの奥の目を細めて笑った。只今、打率は3割を超える。プロ入り20年の得難い代打の切り札である。「でもね、代打といのは大変。やはり野球は打って走って守るのが面白い。代打に起用される時はランナーがいてここで一発、と期待される場面が多いからプレッシャーは大きい」と淡々と話す。

○○会社の部長さんという感じがしなくもない。「そうだなぁ、プロ野球選手になってなければ今頃は平凡なサラリーマンになっていたと思うね。高校を卒業したら八幡製鉄に入って野球をしようと考えていたよ」昭和33年に柳井高を出て阪神入りしている。高校時代から長打力には定評があったが、実は投手としても有望視されていた。昭和32年のセンバツ大会に出場し2回戦で早実と対戦した。当時の早実のエースだった王選手と投げ合ったが0対4で負けた。そんな昔話をする遠井選手は青春時代を懐かしむように笑顔になった。


ベストテン2位の時
「阪神に入った時は給料が4万円で契約金は200万円だった。合宿所では上下関係も厳しく便所掃除もやったし、先輩より先に風呂に入ったら怒られたり大変だったけど楽しかった」怖かった先輩の名前を尋ねると「そうだなぁ、田宮さんが特に厳しかった印象が残ってる」と話をしながら良い表情になった。昭和41年に長嶋選手と首位打者争いをして打撃ベストテン2位の成績を残した時の話をすると表情が険しくなった。「最初は私がトップを走っていたけど怪我しちゃってね…」ランニング中に左太もも肉離れを発症し戦線離脱。その後復帰したが調子は上がらず首位打者を逃した。

練習後の爽快感が
とても練習熱心な人だ。ある日の西京極球場。グラウンドで打撃練習をしていたと思ったら休む間もなく今度はノックを受けている。その姿を山内ヘッドコーチが目を細めるように眺めながら「ゴローはベテランだが練習は人一倍熱心。若い選手以上に動いている。オールスター戦以降、バットのヘッドを上手く使って打撃に一段と磨きがかかってきた」と褒める。練習を終えて戻って来た遠井選手は拭っても拭っても滴り落ちる汗を光らせ「大変な仕事ですよプロ野球ってのは。でもね練習後の爽快感がたまらない。その感覚を味わいたくて野球をやっているような所もある」と肩で大きく息をした。

家には小学6年生の長女と1年生の長男の2人の子供がいる。「2人とも野球には関心がないようだ。カミさんによるとテレビで野球中継を見ていても私がテレビに映ることがないから飽きちゃうみたい」と苦笑いする。「長男が野球をやりたいと言ったらやはり嬉しいね。でもプロ野球選手は止めておけと言ってサラリーマンになるよう勧めるかな」とメガネの奥の目を細めて笑う。厳しい世界を知っている親としての本音だろう。自分は野球が大好きでプロの世界に入って幸せだと思っているが、先の事を考えると不安も少なくないそうだ。

「もう37歳。引退後の生活設計を考えねばならないが今は白紙状態。野球に全てを賭けているから、と言えば格好いいが考えると不安になるから意識的に考えないようにしているのも事実」と正直に言う。自由に使える時間が増えるから趣味に没頭すれば、と聞くと「趣味は特にないね。たまにドライブしたりスナックに呑みに行くくらいかな。ドライブといっても遠出はせず近くの武庫川の堤防あたりにプラッと出掛けるくらい。お酒は好きだからいっそのこと自分で呑み屋をやるっていうのも趣味と実益を兼ねて一石二鳥かも」と笑う。



コメント

# 898 金の卵探し ②

2025年05月28日 | 1977 年 



高校球界の双璧、小松・松本投手
春のセンバツ大会では多くのスカウト達は投手に関して不作だと嘆いていた。それが夏の大会には逞しく成長した投手がゾロゾロと現れた。右の小松辰雄(星稜)と左の松本正志(東洋大姫路)が双璧。小松投手は2年生の夏にベスト4まで進出し、3年生のセンバツ大会では更なる快進撃を期待されたが滝川高から13奪三振の好投を見せるも2回の僅かな投球の乱れが致命傷となり1回戦で敗退した。捲土重来となる夏の大会では好投手・山口哲治を擁する智弁学園に1対2でセンバツ大会に続き1回戦で敗退した。しかしスカウト達の評価は高まった。「スピードは高校No,1。このままプロに入ってもAランク」「身体のバネは天性のモノ」と絶賛した。

松本投手を見るスカウト達の目も異様なほどに輝いた。何せ希少価値のある左腕であり、178cm・76kgと均整のとれた体格から投じられるストレートは速くて重い。「10球のうち2~3球はプロの打者でも手が出ないような球」「下半身がしっかりしていて江夏(南海)の高校時代に近い」などの賛辞がある一方で、「5月の近畿大会以来、盲腸の痛みに耐えながら投げている影響なのか春から成長していなくて物足りない」と不満を漏らすスカウトもいた。それだけ松本投手に対する期待値が高い証拠でもある。確かなのは上手く育てば早い時期に10勝ラインは行けるという声が大半であるということ。


将来性と完成品
現状ではこの2人には及ばないが将来性という意味で人気を集めたのが三浦広之投手(福島商)。何しろ昨夏、今春、今夏と見るたびに成長していると多くのスカウト達は目を細める。軟らかい身体、豊かなバネ。投手に必要不可欠な要素を持ったこれこそ正真正銘の金の卵だ。「注文をつける点はないね。これで走り込んで足腰をもっと鍛えれば文句なしだよ」「2~3年ファームで鍛えれば間違いなくエースに、それも球界を代表するエースになれる素材」と手放しに誉める。だが三浦投手本人は早稲田大学進学を考えているという。しかしプロとして手をこまねいている筈はなく、周辺調査にもグッと熱がこもるスカウト達。

そんな三浦投手と対照的に完成品と呼び声が高いのが三谷志郎投手(今治西)。「もう少しストレートにスピードが欲しい」と注釈はつくものの「ヒジやヒザの使い方が上手く高校生離れしている」と。今後、大きく伸びる余地という点で物足りなさは残るが逆に言えば、さほど時間をかけずに第一線に登場できる可能性は高い。他には甲子園出場組では見形仁一投手(宇都宮学園)、住吉恵一投手(広島商)、梅津茂実投手(九州産業)も即戦力に近いと評価されている。住吉投手に関しては打者として評価するスカウトも多い。


打者では駒崎が抜群
有望な逸材が多い投手と対照的に野手にはこれといった選手は少なく、文句なしの評価を得たのは駒崎幸一選手(川口工)のみ。「攻走守どれをとっても穴がない。非常にバランスがとれた外野手」と駒崎選手だけはスカウト達もじっくり観察したが、進路については某社会人チームが深く食い込んでいると言われておりプロ側はヤキモキしている。甲子園不出場組で抜群の人気を得ているのは鈴木康友選手(天理)。181cm・71kgと大柄ながら俊敏な動きで内野ならどこでも守れる。今春のセンバツ大会ではバックスクリーン横に本塁打を放ちスカウトの度肝を抜いた。ただ本人は早稲田大学進学を考えているという。

さびしい社会人
有望選手がいる高校・大学と比べて人材不足とスカウト達を嘆かせているのが社会人選手だ。数少ない有望選手が松沼博久投手(東京ガス)と伊藤弘利投手(三協精機)の2人。松沼投手は社会人2年目の今年は素晴らしい進境を見せてアンダースローからの速球に磨きをかけているが周囲からは「彼は余程のことがない限りプロ入りはしないでしょう」との声が出ている。東京ガスという安定した大企業でエース格となった松沼投手を引き抜くには条件が厳しくなる。他には昨年のドラフト会議で日ハムが2位で指名したが入団拒否した藤沢公也投手(日鉱佐賀)や同じく南海の4位指名を拒否した村上之宏投手(日本通運)が目立つくらいだ。


コメント

# 897 金の卵探し ①

2025年05月21日 | 1977 年 



アマチュア球界は都市対抗、全国高校野球選手権と真夏のビッグイベントを終え、あとは大学リーグ戦の開幕を待つばかり。近づくドラフト会議を控え、プロ各球団のスカウトたちも情報収集・調査に拍車をかける。そこでプロが狙うドラフト候補生を紹介しよう。

袴田・山倉の強打捕手に高い評価
江川(法大)は別格。どのスカウトに聞いても一様にこの言葉が返ってくる。阪急の1位指名を蹴って法大入りして4年。怪物は益々輝きを増し見守るスカウトたちは期待と不安の入り混じった複雑な思いで待ち構えている。一方で1番クジを外した場合に備えての準備は怠りない。大学球界には江川投手以外にもなかなかの逸材が揃っている。近年は東都大学リーグに押され気味の東京六大学に逸材が揃っている。その筆頭が袴田選手(法大)と山倉選手(早大)の捕手コンビだ。ともに高校時代から注目されていた2人で高校卒業時のドラフト会議で袴田選手はロッテの3位指名、山倉選手は南海の2位指名を受けたが大学に進学した。

江川投手とバッテリーを組んだ袴田選手は幸か不幸かずっと陰の役回りを演じてきた。だがその内助の功ぶりは見逃すことは出来ない。2年生の春から常時出場し5シーズンの間、ベストナインの座を明け渡したのは一度きり。キャッチングやインサイドワークに多少の難があるが、それを帳消しにする鉄砲肩と強打が魅力だ。今春シーズンこそ打率.261 と不本意な成績だったがコンスタントに打率3割を残してきた打撃は本物だ。また一度調子に乗ると手が付けられなくなり固め打ちが多いのも特徴のひとつ。単打ばかりではなく神宮球場のバックスクリーンに叩き込むパワーも並みのものではない。

愛嬌のある顔つきの袴田選手と対照的に山倉選手は端正なマスクの持ち主。性格もクールで都会的なセンスを感じさせる。この山倉選手に惚れ込んだのが野村監督(南海)だった。東邦高校3年生の時に春夏甲子園に出場した山倉選手をテレビで見た野村監督は好リードぶりに感心し、ドラフト指名を決めたのだ。野村監督のお墨付きのリードは早稲田大学進学後も磨きがかかり、巧みなインサイドワークは精彩を放った。今春シーズンの対立大戦はその典型だった。マスク越しの鋭い観察眼で立大ベンチの作戦を悉く見抜いてピンチを未然に防いだ。弱小の早大投手陣は山倉選手の頭脳なしでは他大学の打線に太刀打ちできないのである。


捨てがたいマックスの強打
野手陣に話を移そう。先ず佐藤選手(早大)と植松選手(法大)の名前が挙がる。マックスの愛称で現役最多の12本塁打をマークする佐藤選手には「振りが荒くて速球に振り遅れる」と指名を躊躇するスカウトもいるが、反対方向の左翼席に本塁打を放てるパワーは捨て難い。植松選手はセンスで売る。好打・俊足・強肩の持ち主で一・二番打者としての特性を感じられる。高校時代(静岡高)と比べると成長していないという厳しい意見もあるが、それでも天性の野球センスは光る。その他では金光選手・島本選手の法大コンビが注目されている。金光選手は肩の弱さ、島本選手は変化球打ちの課題があり指名されるか微妙だ。

小柄な首位打者・山本に光る目
人材豊富な六大学に比べ東都が寂しいのも今年の特徴。そんな東都で目立つのは古屋選手(亜大)・山本文選手(駒大)・達川選手(東洋大)。古屋選手は日米大学野球で四番打者を務め、各スカウトも二重丸。三塁手としては送球に難があるが外野手に転向させれば問題ないと大方のスカウトは見ている。元々が投手なので外野手の方が強肩を活かせるというわけだ。今春シーズンの首位打者になった山本文選手は170cmと小柄だが守りが安定していて二塁手で使えると上々の評判だ。既に社会人入りが内定しているが玄人受けする選手であり指名に踏み切る球団があってもおかしくない。

達川選手は怪我で今春シーズンを棒に振ったが高校時代(広島商)以来培われた捕手としての才能は素晴らしい。打撃は六大学の袴田選手や山倉選手にやや目劣りするが強肩と巧みなインサイドワークは劣らない。長距離砲の渡部選手(駒大)は指名されるか否かのボーダーライン上の選手だが、身体が固く怪我をしやすいことが惜しまれる。首都リーグでは大東大と東海大の「投打の石井コンビ」だ注目される。大東大の石井邦彦投手は中央球界では無名な存在だが、185cm・82kgの巨体を折り曲げるようにして投げる下手投げ投手で「シュートを覚えれば面白い」と評価するスカウトもいる。

東海大の石井昭男選手は東海大相模高の2年生の時に夏の甲子園に出場したが1回戦で敗退した。大学進学後は首位打者や最高殊勲選手にも選ばれた。昨年の日米大学野球では石毛選手(駒大)、中尾選手(専大)、原選手(東海大)ら強打者を差し置いて四番打者として活躍し一躍名前を知られるようになった外野手だが、「自分の性格はプロ向きではない」とノンプロ入りを既に決めている。だが「肩と足がないので守りに不安はあるがシュアなバッティングは捨てがたい」と話すスカウト達は放っておかない様子だ。



コメント