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Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 896 八木沢壮六

2025年05月14日 | 1977 年 



豪速球を、また懸河の如きドロップを見せてくれるわけではない。淡々としたマイペースのピッチングで表情も殊更ない。一つも派手なところのない八木沢莊六投手だが今やロッテの支柱。あのカネやんさえも「みんな見習え」と叫ぶ。

不意のアクシデントを克服して
勝負には力とは別に運がどれだけ大事かを誰もが知っている。八木沢投手は高校(作新学院)、大学(早大)、プロ野球(ロッテ)でそれぞれ日本一になるという滅多にない経験をしている。強運のチャンピオンみたいに思われている長嶋監督でも高校時代は甲子園優勝どころか出場すらしていない。だが簡単に運が良い選手だとは言えない。ちょうど15年前のセンバツ大会で優勝投手になり、その夏に作新学院は高校野球史上初となる春夏連覇の偉業を成し遂げたが、八木沢投手は甲子園入り直後から下痢の為に満足にプレー出来ない不運に見舞われた。それでも気落ちせず進学した早大でエースとなり三度の優勝に貢献した。

輝かしい球歴を持つ八木沢投手だがプロ入り後しばらくはパッとしなかった。ようやくその名を馳せたのはプロ10年目の昨年だった。それまでの9年間で2桁勝利は無く、コーチ兼任となった昨シーズンに15勝をあげてやっと球歴に相応しい一線級投手の仲間入りを果たした。それでも監督のカネやんは「ロクを当てにはせんでぇ」と言っていた。つまり先発ローテーションには入れないということだった。「台所事情が苦しくなったらロクに頑張ってもらえばエエ」とカネやんにとって八木沢投手は " 員数外 " の投手と考えられていたのだ。更に今シーズンは投げる度に防御率は良くなるにも拘らず勝ち星は一向に増えない不運にも見舞われた。


投手生命を長くするための心配り
172cm・75kgはプロ野球選手の中では小柄な部類で、加えてロッテ宿命のジプシー生活が体力の消耗を増加させる。特に夏場の体力消耗度は相当なものだ。「中4日の登板が続くと体力的にシンドイ」と吐露するのも33歳のベテランにとっては無理からぬ話だ。スタミナ回復の為に次の登板までの日数が増えることもカネやんが八木沢投手を員数外扱いする理由のひとつ。スタミナ消耗を減らす為に理にかなった投球フォームを身に着け、球威よりコントロールを重視し打者の心理を読むなどして打たせてとる投球術で球数を減らす工夫をし、右打者の外角への変化球も大小のカーブとサッと逃げるスライダーを使い分けている。

選手生活に全てを集中させている八木沢投手が野球の緊張をほぐすのが日曜大工である。棚を作るなんて朝飯前で、図面を引かずにデラックスな犬小屋も作り上げてしまう。根が起用なのであろう。本職裸足もここまでくるとピッチング同様に職人芸だ。由美子夫人や長男・公男くん、長女・美香ちゃん、次男・祐児くんが見守る前でトントン・カチカチ。平凡なサラリーマンの幸せな家庭生活を思わせる。シビアな世界に生きるプロ野球選手には似つかわしくないほど素朴で温かみのある家庭を築き上げている。ナインから「ロクさんのコントロールの良さは家でも発揮されているよ。お子さんも " 一姫二太郎 " ですべてストライクだもん」と冷やかされる。


勝ち星を計算できる32歳の投手に
コーチ兼任になったのは昨年。シーズン中は投手に専念だったが自主トレ・キャンプ中はコーチの二足の草鞋を精力的にこなしていた。ロッテ名物の " 死のランニング " も自ら率先して参加した。「あのランニングのお陰で投球に力強さが増して15勝できた」と振り返る。こうした八木沢投手にカネやんは「もう投手陣はロクに任せておけば大丈夫や」と「ロクを当てにはせんでぇ」の前言を翻した。9月3日現在、8勝12敗1S・防御率 2.50とフル回転の一方でコーチ業も抜かりはない。移動日など投手陣の練習には自身が登板後で疲れていても必ず顔を出し若手を励ます。

「投げている時はコーチ兼任だという意識はないですよ。でもあんまりヘマなことは出来ないですけどね」と淡々とした語り口はいぶし銀そのものだ。周囲からの称賛にも八木沢投手の態度は変わらない。ロッカールームでは努めて明るく振る舞ってナインを鼓舞する。八木沢投手が持つ野球人生の " ツキ " はその生活信条から得られるものだと考えられる。カネやんロッテを支える32歳の強運投手兼リーダーが、何やら今年は勝利の女神に祝福されそうなムードが漂ってきた。



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# 895 悲願の初優勝へ

2025年05月07日 | 1977 年 



『西本監督留任』このニュースはさほど人々をビックリさせるものではない。むしろ留任が当然の名監督をこんなに早く発表したのかという意地悪な感想の方が強いのである。それとも何か早々と留任を決めなければならない理由でもあったのだろうか?

最も固い西本監督の急拠発表の不思議
秋風が吹き始めると首スジのあたりがヒンヤリと感じる人が増えるのがプロ野球界。あのツルさん(鶴岡一人氏)でさえ「孫子の代まで絶対にプロ野球の監督はやらせたくない」と言うほど非情な世界なのだ。そんな中、長嶋監督(巨人)と共に絶対安泰と言われるのが西本監督(近鉄)。なのに…だ。近鉄球団は8月22日に大阪・森の宮の球団事務所で早々と西本監督の留任を正式に発表した。昨年暮れに富和宗一近畿日本鉄道社長(当時はオーナー代理副社長)、山崎弘海球団社長と西本監督の三者会談で球団側が5年契約を提示したが西本監督が「1年1年勝負している選手に示しがつかない」と1年契約を申し出て了承された経緯がある。

つまり契約延長は既定路線であるにも拘わらず、わざわざ異例の時期に留任を発表した意図は何だったのか。それは西本監督が今シーズン限りで近鉄を退団するらしいという噂が球界を駆け巡ったからだ。その為、フロント陣が西本監督に「売約済み」の札を焦って張り付けたのが真相だ。ではその噂の出処はどこだったのか。8月22日の契約延長の記者会見で富和オーナー代理がチラリと漏らした。「最近あるマスコミが西本監督がチームに嫌気がさして退団するようだと書いた。そこで私は佐伯オーナーの意向を汲んで近鉄はあくまで西本監督で優勝を目指すのだということを改めて確認しておく必要があった」と述べた。


" 西本辞める " の怪情報は意外な人が
留任発表の1週間ほど前、仙台・宮城球場でのロッテ戦の為に遠征中の野村監督が市内のホテルのロビーで南海担当記者と雑談中に「西さんが今年で辞めるで」と発言した。まさか、と記者たちは信用しなかったが「ワシが得た情報では西さんはスギ(杉浦投手コーチ)に後を任すらしいぞ」と追い打ちをかけた。球界人事に関しては情報通と定評がある野村監督の発言だけに記者たちは色めき立ち、すぐさま電話に飛びついたのは言うまでもない。「西本監督が辞める」仙台から大阪に飛び火したノムさん情報で近鉄球団周辺に徹底したマーク作戦が取られることになった。人間という者は奇妙なもので先入観でどんどん見方が変わる。

どんな大負けをしても西本監督は記者からの質問に淡々と答える。気に食わない質問にも嫌な顔をすることもなく。それは既にチームを見放しているかのようにも感じられた。もしかしたら本当に辞めるのかもしれない、と考える記者も増えた。「怒らない西本監督なんて○○を入れないコーヒーみたい」と冗談を言う阪急監督時代を知る各社ベテラン記者は直感的に何かあると取材を開始し、西本監督の周辺がキナ臭くなった。そんな空気を察した山崎球団社長が予定より早く留任を発表したのだ。8月22日の会見当日に練習を終えた西本監督を急遽、球団事務所に呼んで留任発表の了承を得るほど急な話だった。


敗戦続きにクールな西本監督のナゾ
前期シーズンから低迷が続き、猛練習をしても負ける。弱い、ボール球に手を出す、バントは失敗する。一体このザマはなんだ。西本監督の心に「俺の指導法が間違っているのか」という疑問が自然と湧いてきた。弱気になる西本監督の最大の原因が羽田選手の存在だ。羽田選手は西本監督就任1年目のシーズンに4打席連続本塁打を放つなど華々しいデビューを飾り、一体どんな大打者に成長するのかと期待が大きかったが羽田選手の気の弱さと体の柔軟性に欠けるなどでズルズルと時間だけが過ぎた。西本監督の持論であるダウンスイングを仕込んだがモノにならず、西本打法そのものの価値を左右する事態まで発展した。

その羽田選手が後期シーズンに入ると徐々に実力を発揮し4年かかって四番打者に成長した。指導者として1人でも育てられたら合格なのにそれが四番打者なら満点だ。内心では羽田選手が第二の長池選手になる目途がたったことで、たとえチーム成績が芳しくなくても西本監督の心は穏やかなのではないだろうか。他にも石渡・平野・栗橋・島本選手ら西本監督が期待する若手選手が少しずつではあるが成長していることも西本監督を上機嫌にさせているのだろう。「西本監督を喜ばせるのは簡単。若手選手が育ってくれば監督はヤニ下がる人だから」と担当記者は言う。




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# 894 球団創設初の2位

2025年04月30日 | 1977 年 



いつかは定位置のBクラスに落ちると見られていたヤクルトが巨人には離されてはいるが堂々と2位を維持している。このまま行けば来春のブラジルキャンプも景気の良いモノになるだろう。このヤクルトの強さはやはり硬骨漢・広岡監督の頑固なまでの新イズムの浸透にあるようだ。

王と真っ向勝負を厳命した姿勢
広岡監督の背筋はいつもシャキッとしている。" 名は体を表す " 通り、広岡監督の姿勢はそのまま人間・広岡達朗を表している。最近の例で言えば756号騒ぎがあった先月末の対巨人3連戦(神宮)。投手にとっては新記録に名前を残されるのは嫌で、出来れば避けたいのが本音だ。しかし広岡監督は「逃げずに勝負しろ」と厳命した。先発投手に会田・松岡・安田と主戦級を起用し、安田投手には初戦と2戦にもリリーフ登板させた。例え打たれてもそれはそれで良し。打たれて悔しい思いをしたくなかったら打たれないように考えて投球しろというのが広岡監督の考えだ。だからこそ第3戦の最終打席で四球を与えた西井投手に不満をぶつけたのである。

明らかに勝負を避けた投球ではなかったが「堂々と向かって行けば球場のファンもテレビ中継を見てるファンも西井を評価してくれたのに残念だよ」と広岡監督は落胆した。それ以上に広岡監督が悔しかったのは大騒ぎの観衆を前にしてヤクルトナインが委縮して自分を見失うプレーをしたこと。合格点を与えたのは安田投手くらい。若松選手でさえフォームを崩し悪球に手を出してしまった。大杉選手や外人選手までもが雰囲気に飲まれて普段通りのプレーが出来なかった。「浅野を見てみなさいよ。ウチから巨人に移籍して1年も経たないのに堂々としているじゃないか。情けない話ですよ」と歯がゆくて仕方ない。

昨シーズン途中に荒川前監督を引き継ぐ形で指揮を執り始めると、さっそくヤクルトナインの意識改革に着手した。しかしそれは容易なことではなかった。それまでのヤクルト球団は成績不振を監督のせいにし、毎年のように監督のクビをすげかえてきた。これがいつしか選手らに責任逃れの観念を植え付けることになる。厳しさから逃避し不平不満だけは一人前のヤクルトナインは広岡監督の手法に猛反発した。「門限はやめてほしい」「試合後に麻雀をして何が悪いのか」「酒を飲むことは悪いことではない」などなどチーム内に広岡監督への不満や反発が充満した。某コーチなどは麻雀復活を広岡監督に直談判したくらいだ。


不満分子を納得させた論より証拠
広岡監督がいくら説明しても納得せず「ウチと巨人は違う」「ずっとこれでやってきたので今さら変えるのは無理」と従わなかった。業を煮やした広岡監督は「ならば好きにやってみて好成績を残せたら私は何も言わない」と選手らに一任した。結果は52勝68敗10分けの5位に終わり、ヤクルト生え抜きの某コーチは「監督、僕らが間違っていました。どうか監督のやり方でチームを強くして下さい」と頭を下げた。「いくら言っても分からん人には、いっぺん好きにやらせてみるしかないんだ。自分の頭でこのままじゃダメだと気がつかないといくら練習したって身につかない」と広岡監督は言い切った。

昨年オフに広岡監督が秘密裡に動いたのが巨人から土井選手を借り受ける交渉だった。ヤクルトに欠けているのは守備力とインサイドベースボールの思考力と判断し、この2つを土井選手なら実践しながらチーム内に浸透させることが出来ると考えたからだ。しかしこの金銭トレードは長嶋監督が許可せず頓挫した。代わりに浅野投手と倉田投手の交換トレード交渉となったが今度は広岡監督が難色を示した。すると巨人側は上田選手を追加し1対2でのトレードはどうかと言ってきた。だがこれも広岡監督は拒否した。その理由が背筋がシャンとした広岡監督らしかった。付け足しの印象が強くなる上田選手が気の毒だと。結局、浅野⇔倉田の投手トレードに落ち着いた。


若松コンバートと松岡2軍の野球観
若松選手はもともと実績のある選手である。その若松選手が今シーズンひと皮むけたのはレフトからセンターへコンバートされた影響が大きい。中堅手は捕手が出すサインや構えの位置で飛んでくる打球を推測することが可能で、それを左翼手や右翼手に伝える役割がある。自然と野球に対する心構えが変わり若松選手の野球観は深くなった。過去の名前だけで起用しない広岡監督は開幕からピリッとしない安田投手や松岡投手を先発ローテーションから外し、代わりに鈴木康投手や新人の梶間投手を重用するようになった。安田投手は自ら打撃投手を務めるなど奮起し先発陣に戻ったが、松岡投手は処遇に不満を表わした。

6月末に脇腹痛の診断書を添えて負担軽減を広岡監督に申し入れた。これが広岡監督の逆鱗に触れた。「そんなに状態が悪いなら徹底的に治す必要がある」と松岡投手の二軍落ちを即決した。先発投手陣の層が薄く台所事情が苦しいヤクルトにとって1人が欠けるだけでも大変なのに、たとえエースであってもバッサリ切り捨てる非情さを広岡監督はチーム内に示した。助っ人のマニエル選手とロジャー選手も例外ではなかった。広岡監督は両助っ人の弱点を指摘し改善するよう命じた。まさか自分らが標的にされるとは考えていなかった2人は慌てて奮起し現在の好成績を残すようになったのである。


2年後の優勝に照準合わす計算
現在のヤクルトが人材不足なのは誰の目にも明らかである。ならばトレードは不可欠なのだが前述の土井選手や上田選手の獲得は難しい。ならば狙いをパ・リーグ球団に変更しようと模索している。広岡監督の持論は「同じ位の力量なら強豪チームの選手の方が基礎もしっかりしていて野球に対する考え方も間違いない。パ・リーグなら阪急や南海がそれに適している」である。巨人との差はまだ大きいが、目標は2年後の1979年のシーズンに置かれている。その頃には酒井投手も成長し投手陣の柱になっているだろう。単に投げて打って走るだけでなく頭脳の方も広岡イズムに磨かれている筈。今は優勝を問われて苦笑いする広岡監督が胸を張れる日も近い。


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# 893 原・酒井を上回る大器

2025年04月23日 | 1977 年 



高校野球にスターは不必要というが、何人かの抜群の好選手がいてそのスターを倒そう、抜こうということから高校野球はますます大きく逞しく向上する。今年の夏の甲子園大会参加校の中からピックアップしてみよう

度胸も球威も江夏そっくりの大物
今大会は打高投低と言われていた昨年の傾向を一変し投高打低との前評判だ。先ず東洋大姫路高の松本正志投手。松本投手を見た人は「まるで江夏の若い頃にソックリ」と唸る。ノッシノッシと歩くガニ股の足取りから母校を1人で背負う度胸と不敵さもソックリ。また「球質は重いしカーブが曲がりきらんところまで似ている」と江夏投手を阪神に入団させた川西スカウトは言う。開幕前の甲子園練習で松本投手は早々と大物ぶりを見せた。昨年春のセンバツ大会以来1年半ぶりのマウンドでほんの肩慣らしの投球練習だったが最後の5球をバックネットに向けて直接ぶつけた。梅谷監督の指示でワザと暴投したのだった。

これまでの松本投手は三振か四球かという投球だった。昨秋の兵庫県大会での滝川高戦で3回まで9アウトのうち8奪三振。スタンドを大いに沸かせた直後から四球、四球のオンパレード。結局、13奪三振・13四球という悪い意味で松本投手のワンマンショーと化して、松本投手の注目度は増したが東洋大姫路高は県大会で姿を消し近畿大会にも出られなかった。そんな松本投手に野球部の仲間が付けたあだ名は " オーメン " 。悪魔に取り憑かれた少女が次々と恐ろしい行動に出る映画から得たものだ。このあだ名に松本投手は大喜び。「だって次々と予想もしないことを起こすんでしょ。相手に恐怖心を与えるなんて最高じゃないですか」と笑う。


三振をとれる注目の新旧エース
松本投手の魅力は速球であるがそれに匹敵するのが小松辰雄投手(星稜高)と三浦広之投手(福島商)の2人。小松投手は昨夏の甲子園で星稜をベスト4に進出させた立役者。今年のセンバツ大会では滝川高に敗れたものの、持ち前の快速球で13三振を奪った。夏の県予選を前に右かかとを痛める不運もあり体調は万全ではなかったが6試合で計65奪三振と見事な投球を披露した。快速球とシュートやカーブといった変化球の切れ味も抜群で総合力は松本投手の数段上をいく。更に3年生になってからは力任せの投球だけから打たせて取るコツも覚えてセンバツ大会の時より一回りも二回りも成長している。

「高校生の投手がプロで通用するか否かの基準は何といってもどれだけ空振りが取れるかにかかっている。1試合平均2ケタ奪三振なら合格。その点でも小松君は文句なし」と中日の田村スカウトは言う。能登半島の小さな漁港で生まれ育った。運動神経は群を抜いていて、早くから地元のスポーツ少年団に入った小松少年の名前が知られるようになったのは小学校5年生の時の体力測定だった。ソフトボールの遠投でそれまでの最長記録53mを大幅に超える75mを投げた。この記録は未だに破られていない。天性の肩の強さに加えて強烈なスナップスロー。制球力も良いとあっては星稜・山下監督の信頼も厚い。

もうひとり楽しみなのが福島商の三浦広之投手。県大会で44イニング無失点を記録した大型右腕だ。185cmの上背からのストレートは角度がある上に滅法速い。2年生まではただ大型投手というだけでコントロールも悪かったが、昨冬から今年の春にかけて徹底的に走り込んで下半身が安定したお陰で制球力が増した。福島商打線が好調過ぎてコールド勝ちが多く、参考記録ながら完全試合やノーヒットノーランもマークしている。県予選6試合で62奪三振はコールドゲームで投球イニング数が少ないことを考えると松本投手や小松投手に引けをとらない数字だ。加えて四球が僅か2個というのも驚かされる。

ネット裏に駆け付けた在版のスカウト達の評判もすこぶる良い。「確かに福島県全体のレベルを考えると44イニング無失点を鵜呑みにするわけにはいかないが、良い球を投げるのは間違いない。低目をつく速球は高校生では打つのが難しい。体が少し開き気味なので右打者の内角を突くストレートが棒ダマになるのが気になるが、球威は江川(作新学院➡法大)と遜色ない。コントロールを乱すことがなければ甲子園でも全国の強豪校相手に勝てるのではないか。今大会に出場する投手で5本の指に入ることは確かだ。ウチも注目している選手のひとり」と阪神の谷本スカウトは力説する。

今夏の甲子園大会は好投手のオンパレードで野手で昨年の原辰徳選手(東海大相模➡東海大学)のようなスター選手は見当たらない。そんな中でも各球団のスカウト達が注目するのは津久見高の遊撃手・古田徹選手と川口工高のスラッガー・駒崎幸一選手だ。古田選手は攻守ともにソツなくこなす三拍子揃った選手。パンチ力で優るのが駒崎選手で180cm・78kgと均整のとれた強肩強打の外野手。埼玉県予選では20打数6安打と振るわなかったが6安打中4安打が長打とパワーを見せつけた。



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# 892 756号 ⑤

2025年04月16日 | 1977 年 



初めて守ったライト
8月31日の大洋戦の1回裏に世界タイの755号を打ったあとに王選手はペナントレースでは初めて1イニング限定で右翼の守備位置に就いた。新人時代にオープン戦で右翼から一塁に転向して以来、公式戦では一塁以外を守ったことはない。この日で通算2426試合出場。2000試合以上の出場した10人の選手の中で一つのポジションしか就かないのは王選手だけだ。 " 生涯一捕手 " と呼ばれている野村監督だが実は捕手以外に一塁を6試合、外野を3試合守っている。

公式戦以外では昭和44年の東西対抗第2戦、翌45年のオールスター第2戦、更に今年のオールスター戦では2試合右翼を守っている。幸い?なことに右翼手・王選手の所には一度も打球は飛んでこなかった。公式戦で初めて守った今回は長崎選手が放った右翼前打を無難に処理しただけで済んだ。右翼手・王選手の通算守備成績は5試合で依然、守備機会(刺殺・補殺・失策)はゼロである。


四球も世界新
今シーズンの王選手は本塁打記録より前に " 世界新記録 " を達成している。それは四球である。大リーグの最高記録はベーブルースの2056四球。ハンクアーロンはグッと少なく1420四球。王選手は昨シーズンまで1989四球(死球は除く)。7月16日の広島戦で今シーズン67個目の四球を選んでルースの記録に並んだ。翌17日の広島戦の2四球で世界新を樹立し、目下97四球で着々と世界記録を更新し続けている。死球を含めると100個を超えるだけに本塁打を放つ機会を失うことにもなる。

10.4打席に1本塁打を放っている割合の王選手なら、せめてアーロン並みの四球数なら600打席は多いわけで割合からすれば60本ちかい本塁打が加算されていてもおかしくない。日米の球場の広さや野球のレベルの違いがあるので世界新記録と呼ぶことに議論が交わされているが、王選手が物凄いペースで本塁打を放っているのは厳然たる事実だ。アーロンは1万2364打席で755号を放ったが王選手は7871打席で達成したのである。


三振も多いけど
四死球で断然トップの王選手は通算三振数は1125個で1354個でトップの野村監督に次ぐ2位。洋の東西を問わず長距離砲にとって三振は付き物でルースの1330個は長らく大リーグ記録だった。プロ2年目の昭和35年には101個、同37年には99個と三振が多い選手だった。昭和35年7月31日の阪神戦で4三振を喫し、7月15日以来12試合連続三振を記録した。一本足転向直後の昭和37年7月22日の対国鉄ダブルヘッダー戦では両試合3三振ずつ計6三振もしている。

そんな王選手も最近はめっきり三振が少なくなった。昨シーズンは45個、今シーズンは開幕から43打席目が最初の三振だった。8月20日の阪神戦で3三振したが26個目と少ない。あれだけの本塁打を放つ選手としては驚異的に少ない三振数だ。昨年までシーズン年間40本塁打以上を放った延べ34選手の年間平均三振数は58.6個なので王選手の三振数は明らかに少ない。王選手は取りも直さず今や技術の頂点を極めたという感じである。



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# 891 756号 ④

2025年04月09日 | 1977 年 



苦手の投手もいる
三浦投手(大洋)が打たれた世界タイ記録の755号は王選手に許した初本塁打だった。それまでの11打席で4安打・4四球で打率は5割を超えていたが本塁打は打たれなかった。これで王選手と10打席以上対戦し被本塁打ゼロの現役投手は次の6人となった。

 ・平岡一郎(広島):66打席
 ・江本孟紀(阪神):42打席
 ・榎本直樹(広島):22打席
 ・堂上照 (中日):17打席
 ・斉藤明雄(大洋):14打席
 ・田村政雄(大洋):11打席

このうち田村投手は7打数で無安打。江本投手は28打数2安打で打率は1割以下(7分1厘)に抑えている。既に引退した投手の中では北川芳男投手(国鉄➡巨人)が51打席、バーンサイド投手(阪神)が50打席で1本も打たれなかった。特にバーンサイド投手は37打数6安打・打率.162 と王選手をカモにしていた。


1本もない幻のホームラン
王選手は19年の現役生活で雨天ノーゲームで消えた本塁打はゼロだ。昭和38年8月25日の中日戦(ナゴヤ)は試合前から雨が降り続けて5回表の巨人が攻撃中に一時中断となった。51分後に試合が再開され、6回表二死一塁の場面で王選手は右翼席に勝ち越し2ランを放った。6回裏に江藤選手の一発で1点差とし、なおも攻撃を続けて一死一三塁の場面で再び雨が強くなり中断になってもおかしくなかったが、長打が出れば逆転できる状況だったので中日は試合続行を主張した。そのまま中止になれば5回裏終了で試合は成立するが6回表の王選手の勝ち越し本塁打は取り消される。結局、石川選手の適時打での同点止まりで試合は引き分け、王選手の本塁打は幻とはならなかった。

送りバントと盗塁
今では考えられないが王選手に送りバントが命じられたことがあった。記録上、犠打として残るのは昭和34年「1」、35年「3」、36年「4」、37年「3」。昭和43年10月6日、中日戦の延長11回表無死一二塁で三塁前に送りバントしたのが最後で合計12犠打。このうち1つはスクイズである。昭和35年7月16日の大洋戦(川崎)の初回に長嶋選手の二塁打と坂崎選手の安打で1点を先取し、一死一三塁で六番の王選手が打席に入った。大洋の先発・鈴木隆投手を苦手としていた王選手に対し水原監督は初球からスクイズのサインを出し、王選手は投手前に転がし生涯唯一のスクイズを成功させた。

犠打と同様に最近の王選手は盗塁とも疎遠になっている。昭和47年以降の盗塁は2・2・1・1・3個と1桁どまりで、今シーズンも6月8日の広島戦で記録した1個だけ。そんな王選手だが昭和36年には10盗塁している。この年の5月18日の国鉄戦で3盗塁を成功させている。それも二盗、三盗、本盗の " サイクル盗塁 " を達成した。先ず3回に二盗とダブルスチールによる本盗、4回には二塁打で出塁後に三盗に成功した。


不死身のフラミンゴ
偉大な本塁打記録に隠されて目立たないが王選手は怪我に強い選手でもある。昭和34年以降の巨人の試合数は2490試合に達するが王選手は2426試合に出場している。レギュラーに定着した昭和35年以降に限ると欠場は僅か28試合だ。シーズン全試合出場も昭和35年・37・38・39・44・46・47・48・49年で、今年も全試合出場を継続中だ。藤村富美男(阪神)や飯田徳治(南海)が持つ「10シーズン」というプロ野球記録に今年で肩を並べることになりそうだ。だがこれまで無事息災だったわけではない。死球だけでも104個を数え、欠場を余儀なくされることもあったがそれを最小限にとどめてきた。

昭和43年9月18日、甲子園球場での阪神戦でバッキー投手と乱闘騒ぎとなり、継投した権藤投手に頭部死球を喰らい救急車で病院に運ばれた。翌日の試合はもちろん欠場。21日になっても右耳鼓膜に炎症を起こした状態でまともに立っていられない状態だった。ところがナゴヤ球場に乗り込んだ王選手は元気いっぱいにフリーバッティングで10本の柵越えを披露し急遽、スタメンに起用された。結果は2本塁打を含む3打数3安打・5打点の活躍を見せ周囲を驚かせた。死球などで欠場したのは過去に六度あるが、そのうち五度で復帰した試合に本塁打を放っている。その5試合を通算すると21打数10安打・打率.476・6本塁打。怪我をものともしないまさに怪物である。



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# 890 756号 ③

2025年04月02日 | 1977 年 



世界の最高峰に立つ王貞治。しかし王選手の記録は本塁打だけに限られるものではない。知られざる王選手の意外な記録を調べてみた。

初ホームランまで
昭和34年のキャンプに参加した王選手は開始1週間で投手失格と見切りをつけられた。2月28日のオープン戦(近鉄戦)に八番・右翼手で起用され3打数2安打で野手デビューを飾った。7試合目の3月11日の阪急戦で秋本投手から右中間スタンドに " プロ初本塁打 " を放った。オープン戦23試合に出場し5本塁打を放ちシーズン開幕後の期待値も高かったが公式戦の壁は厚かった。4月11日の対国鉄の開幕戦に七番・一塁手で先発出場した王選手は金田投手と対戦して第1打席・三振、第2打席・四球、第3打席・三振に終わった。翌日のダブルヘッダー第1試合の第3打席で初めて打球が前に飛んだが二ゴロ。この試合も2打数0安打・2四球。

第2試合で犠飛を放ち初打点を記録したが依然として無安打が続いた。4月25日の時点で16打数0安打・9三振だった。翌26日の国鉄戦ダブルヘッダー初戦も3打数0安打だったが水原監督は辛抱強く王選手を八番・一塁手でスタメン起用を続けた。第2試合は巨人・伊藤投手と国鉄・村田投手の投げ合いで両チーム無得点のまま7回裏に入った。二死一塁で打席に入った王選手はボールカウント2-1後のカーブを叩くと打球は逆風をものともせず右翼席に飛び込んだ。待望のプロ初安打が初本塁打と後の世界の本塁打王誕生を予言するかのような一発だった。


一本足の前と後
ようやく初安打したが後が続かず、やがてスタメンから外されて5月は僅か5試合の出場だった。結局、1年目は打率.161・7本塁打に終わった。2年目になるとプロの世界にも慣れて開幕から20試合で打率.295・3本塁打と結果を残し、21試合目の4月26日の大洋戦から初めてクリーンアップ(三番)に起用された。これがいわゆる「ON砲」が初めて並び立った瞬間である。9月6日の広島戦で満塁本塁打、9月21日の阪神戦で村山投手からサヨナラ本塁打と初めてづくしの本塁打を放った。2年目の成績は打率.270・17本塁打と飛躍した。この年のセ・リーグ本塁打王・藤本勝巳選手(阪神)の22本と5本差だった。

ただし、ここから順調に成績が良くなるわけではなく3年目は打率.253・13本塁打。4年目の昭和37年も開幕15試合目にようやく一発が出た。6月7日に9号本塁打を放ったが、6月30日まで本塁打なし。30日の大洋戦はサウスポーの鈴木隆投手に2打数2三振に抑えられ、試合後に一本足打法を採用することが決まった。その成果はすぐに出た。開幕から6月30日までは打率.259・9本塁打(24.1打数に1本塁打)、7月1日から閉幕までが打率.282・29本塁打(9.4打数に1本塁打)と眠れる才能が覚醒した。


公式戦以外のホームラン
ペナントレース以外でも王選手は多くの本塁打を放っている。

 ・日本シリーズ:27本
 ・オールスター戦:9本
 ・日米野球:21本
 ・春のオープン戦:77本
 ・秋のオープン戦:12本

実は他に幻の本塁打が1本ある。昭和41年に来日したドジャースとの試合で、10月29日に全日本軍のメンバーで出場した王選手は左中間に本塁打を放ったが一塁走者の柴田選手を追い越してしまい、記録上はシングルヒットになってしまった。この1本を除いても合計901本。本塁打を放ちダイヤモンドを一周すると109.7mなので総距離は98.8kmにもなる。ほぼ東京から湯河原までの距離に相当する。





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# 889 756号 ②

2025年03月26日 | 1977 年 



輝かしい栄光のヒーローの陰には悲劇の主人公がいる。王選手に世界記録を打たれた投手がそれだ。あと1本になってから眠れぬ夜を過ごした投手は何人いただろう。不幸?にもそのクジを引き当てた男の気持ちはどうだったのだろうか。

756号を打たれた鈴木康二郎投手
「打たれた相手が世界の王さんですから打たれても悔しいとは思っていません」…鈴木康投手(ヤクルト)は固い表情で話した。前夜の試合は安田投手➡松岡投手の黄金リレーで王選手の世界新記録達成にストップをかけた。エースの松岡投手でさえ王選手との対決を前に朝方まで寝付けなかったという記事を読んだ鈴木康投手は「あれこれ考えても答えは出ない。勝負球はシュートと決めました。(安田・松岡)先輩たちに倣って自分のピッチングをしてそれで打たれるのなら仕方ない」と持ち前のクソ度胸で開き直った。マウンドに上がる鈴木康投手は5万大観衆の異様なムードの中で王選手と対峙した。

最初の打席はフルカウントから得意のシュートを投げたが外れて四球となり球場内にため息が充満した。そして歴史的瞬間となる第2打席は3回裏だった。この回の先頭打者土井選手を左飛に打ち取り打席に王選手が入った。大観衆が王選手に声援を送り、球場内は異様な雰囲気に包まれた。「ジャンボ、思い切って行け!」と一塁手の大杉選手が声をかけ、鈴木康投手は我に返った。世界新記録が秒読み段階になってから王選手を6打数無安打に抑えてきた安田投手が「王さんはボール球には手を出さない。一本足打法のタイミングを外すしか抑える方法はない」とヤクルト投手陣にアドバイスしていたのを鈴木康投手は思い出した。

球持ちを長めにしたり、クイックモーションで投げたりしたせいか制球が定まらず第1打席に続き再びフルカウントになった。「今度もまた歩かせたら監督さんもナインも承知しまい…」崩れ落ちそうな気持から逃げるように八重樫捕手のミットを目がけて6球目を投げた。時速140kmのシュートは狙った外角ではなく真ん中寄りに。アッと言う間に王選手がフルスイングで捉えた打球は前人未到の756号として右翼席に飛び込んだ。世界のホームラン野球の歴史を切り開くに相応しいコメットのような一発だった。「打たれた瞬間にホームランだと思いました。王さんがベースを一周する時の時間が長く感じました」と正直に振り返った。


サイパンには行かない
昨シーズンはプロ入り4年目でリリーフ投手として阪神相手に2勝をマーク。今シーズンは得意のシュートを武器に安田投手の13勝に次ぐ12勝をあげている。7月5日、札幌円山球場での対巨人13回戦では巨人戦初先発に起用され、巨人打線を2安打に抑えてプロ初完封勝利をおさめた。王選手に対しても昨シーズンは3打数2安打、今シーズンは3四球こそ与えているものの2打数無安打に抑えていた。王選手に打たれた初本塁打が756号本塁打になるとは何とも非情なことであった。

「自分がやれることは全部やった。それで打たれたんですから悔しさはありません」と鈴木康投手には後悔も悔しさもなかった。だがアメリカの某航空会社がハンクアーロンの世界記録を破る756号本塁打を打たれた投手にサイパン島旅行を招待する企画を辞退することは即決した。「僕は行きません。ああいうものを出す神経がおかしいと思います」と苦言を呈した。世界の王選手に打たれた悔しさは無かったとしても敗戦投手のプライドと抵抗は誰でも持ち合わせているものだ。


755号の世界タイ記録を打たれた三浦道投手
皮肉な巡り合わせという他ない。三浦道男投手(村野工・21歳)はプロ3年目の昨年6月23日の巨人戦で先発した根本投手の後を受けてプロ初登板した。この試合で初めて対戦した王選手から三振を奪うなど好投してプロ初勝利をあげた。それから1年2ヶ月後、8月31日の対巨人22回戦に先発したが王選手に世界タイ記録となる755号を打たれた。1回裏一死一塁で王選手が打席に入った。初球、2球目とカーブが外れると満員の観衆から罵声を浴びて血の気が引く思いをしたという。3球目はストライクで一息ついたが4球目は再びボールで後がなくなった。その時、三浦道投手の頭にあったのは「四球だけはダメだ。外角低目にカーブを決めなければ」だったという。

別当監督からは「王は800号はおろか900号も狙える打者で755、756号は単なる通過点だ。思い切って勝負してこい」と指示されていた。運命の1球を投げた瞬間に三浦道投手は「狙った所に投げられた」と思ったそうだ。だが王選手のバットが一閃すると快音が響いた。「アッ、やられたと思い後ろを振り向くと打球は高くライト方向に上がっていてもうダメだと観念した」あとの思いは大歓声にかき消されて記憶に残らなかった。試合途中で降板しロッカールームに引き揚げてきた三浦道投手は、余りの多くの待ち受ける報道陣を前に「こんなに多くの記者さんに囲まれるのは昨シーズンに王さんから三振を奪って初勝利した時以来。いや今日は倍くらいの人数かな」と苦笑い。

「王さんはやっぱり偉大すぎます。僕なんかが抑えられたら不思議なくらいです。王さんへのメッセージ?やっぱり " おめでとうございます " 、です。打たれた僕が言うのはおかしいかな、エヘヘ」とショックの色はさほどではなさそうだ。悔しさはある。だが打たれてスッキリした表情なのは堂々と勝負をした自負があるからだ。「でもね子供のファンに言われると参っちゃうんですよ。今日も球場に来た時に " アッ、755号の投手だ! " って言われちゃいました」と頭を搔く。こうなったら名誉挽回に20勝投手になるしかない。



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# 888 756号 ①

2025年03月19日 | 1977 年 



球史に輝かしい1ページを飾る日がやって来た。王選手のホームラン世界最高記録達成だ。その日、日本列島は凄まじいまでの熱狂に包まれたが、記念すべきその日の王選手が奏でた大シンフォニーを聴いてみよう。

皆様と共にこれからも打ち続けたい
昭和52年9月3日、午後7時10分6秒。3回裏一死無走者で王選手は鈴木康投手(ヤクルト)が投じた6球目をフルスイングすると打球は弾丸ライナーとなって後楽園球場の右翼席中段に突き刺さった。平光右翼線審の右手がグルグルと回ると王選手は両手を挙げて走り出し、5万人の大観衆は総立ちで祝福の拍手を送った。一・三塁側ジャンボスタンド下に設置された6個のくす玉が割られ、一塁側スタンド後方から大音響と共に花火が打ち上げられた。一塁コーチャーズボックスの国松コーチと手を合わせ、二塁を回ったところで再び両手を挙げた。普段から相手投手に敬意を払い感情を表に出さない王選手が珍しく歓喜の表情を見せた。

黒江コーチと手を携えホームベースに生還するとそこには長嶋監督が両手を広げて待っていた。2人はガッチリ握手すると後ろには張本選手をはじめナインが総出で出迎えた。事前の予定では女優の山本由香利さんがナインより先に花束を渡すことになっていたが実際に渡せたのはだいぶ後だった。「選手の皆さんは大興奮でなかなか花束を渡せず大変でした。でも感激しちゃいました。5日前からスタンバイしてようやく " その時 " が来ました。王さんの手は大きくて汗でびっしょりになってました。落ち着いた声で私に『どうもありがとう』とおっしゃって下さって嬉しかったです」と山本さんは声を弾ませた。

一塁側スタンドには王選手の両親の仕福さん(77歳)と登美さん(77歳)の姿があった。王選手の偉業を見届けた両親は周囲からの祝福に「息子は幸せ者です」と口を揃えた。「ファンの皆様の励ましによって記録が生まれたのだと思います。昨年の700号の時はイライラが続きましたが今回は割と楽観視していました。できれば地元で記録を達成して欲しいと思っていましたが、その願いを叶えてくれて感謝しています。私共から見ると貞治はまだまだ若造だと思っていましたが巨人軍にお世話になってもう19年になります。よく頑張って今日の日を築いてくれて親としてこんなに嬉しいことはありません」と登美さんは涙ぐんだ。

王選手の野球人生はこれで終わりではない。今までがそうであったようにまだこれからも世界への道は続く。試合が終わっても場内の興奮は収まらなかった。後楽園球場の全ての照明が消え、マウンド上に王選手が現れスポットライトが四方から当てられた。センター後方の電光掲示板には『おめでとう王選手756号』の文字がひときわ光った。王選手はスポットライトを浴びながら「体が続く限り力いっぱいバットを振って皆さんと一緒にホームランを打っていきたい」とファンに約束をした。前人未到の800号、900号に向けて王選手は新たな道を歩み始めたのだ。


王選手以上にイライラしたテレビ局
日本列島を沸かせた756号狂騒曲はマスコミ狂騒曲でもあった。新聞、雑誌に始まりテレビ、ラジオ界の狂騒ぶりも史上最高であった。ご存じのように巨人戦が行われる後楽園球場は日本テレビが独占中継権を持つ聖地である。当然の如く他局は指を咥えてその瞬間を注目するしかなかった。その日本テレビは9月3日、午後7時10分6秒の決定的瞬間を何と別の番組を放送していた。「野球中継は午後7時半からでしたがスポンサー様の御協力で第1打席は放映できました。第3打席はだいたい7時半過ぎなので通常の放送に入ります。ただ危惧していた第2打席にホームランが出てしまい、その瞬間を放映できませんでした」と日本テレビ局員はガックリ。

当日、後楽園球場に出向いたスタッフは第2打席だけはホームランが出ないように祈っていた。ネット裏でカメラを回していたカメラマンも、場内あちこちを回って観客の様子を観察していたディレクターもまさかの一発に「ギャーッ」と絶叫した。日本テレビの苦労は前日の2日から始まっていた。実は当日は生中継ではなく午後11時15分からの録画放送の予定だった。しかし前日の1日に局長以上のトップ会議で午後7時半からの生中継を実現すべくネット局やスポンサーの了解を取りつけをるよう決まったが余りにも急な話で了解を得るのに苦労した。それだけに事前の苦労が水の泡となった一発に呆然となった。

日本テレビの前に中継をしたのがフジテレビ。神宮球場から対ヤクルト戦を8月27・28・29日の3試合を中継した。世界タイか新記録が出ることを「ホントに神棚に手を合わせたよ」と担当の桂ディレクターは祈った。だが願いは叶わず28日の試合で松岡投手から754号を放ったがタイ記録達成の場面を中継することは出来なかったが、次の対大洋22回戦で755号が出た後にフジテレビは特別番組を放送した。「新記録の756号を打ったら日本テレビは王選手を離さず特別番組を放送するでしょう。裏番組で放送しても勝てないでしょうから、タイ記録でも事前に収録したインタビューを放映しました(桂ディレクター)」とにかくてんやわんやの一週間だった。



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# 887 週間レポート 大洋ホエールズ

2025年03月12日 | 1977 年 



やはり大だった大ちゃんの穴
ペナントレース前半はオバQ旋風に乗って台風の目になった大洋。だがオールスター戦を前に山下・清水・福嶋選手ら主力に怪我人が続出して戦力がガタ落ちして借金「5」で後半戦を迎えた。ところが後半戦が始まると敵地で広島相手に3連勝と快調に走り出した。「オールスター前は調子が落ちていたけどこの3連勝で盛り上がる。ウチは若い選手が多いから勢いに乗ると怖いよ」と別当監督は久々に笑顔で台風の目になると自信満々に宣言した。好調の要因のひとつが山下選手の戦列復帰だ。「僕が復帰したとたんに3連勝で縁起がいいでしょ」と " 大ちゃんスマイル " を見せる。

後半戦スタート対広島3連戦の初戦、山下選手は第1打席に右前打で出塁し先制点の足掛かりとなり、7回表には中前にダメ押しタイムリー。次戦でも1点リードの8回表に松原投手から左前打で出塁し広島を突き放す追加点のホームを踏んだ。3戦目は自身の全快祝いとなる復帰後初本塁打を放ち、逆転勝ちに貢献した。「最高の気分です」と山下選手が高笑いすれば別当監督も頼もしい核弾頭の復帰に「山下の復帰が何といっても大きい。これで攻撃の型が整った」とニンマリだ。昨シーズンまではどちらかといえば人気先行型の山下選手だったが、今や名実ともにセ・リーグ No,1の遊撃手に成長した。

この大ちゃんの暴れん坊ぶりに刺激されてか、オバQこと田代選手がスランプから抜け出しそうだ。対広島3連戦の初戦で田代選手は5打数4安打、2戦目はバックスクリーンに第24号勝ち越し本塁打を放つなど大暴れ。3割4厘まで落ちていた打率も3割1分9厘まで引き上げた。2人の活躍もあって対広島3連戦であげた得点は20点。別当監督が掲げたメガトン打線爆発の予言がピタリと的中した形だ。別当監督の声も1オクターブ上がり「巨人の独走は許さん。ウチがペナントレースを面白くしてやる」と台風シーズンを前に " 台風の目 " 復活宣言をした。


人間、辛抱だ
平松投手がプロ入り11年目にして " 長くて苦しい初体験 " をした。7月29日の広島戦で先発した平松投手は味方の大量点に守られて完投勝ちで6勝目を上げたのだが広島打線に2本塁打を含む14安打を浴び何と161球を投げる苦投を演じた。「こんなに打たれたのはプロ入りして初めて。完投できたのが不思議だよ」と苦悶の表情。試合時間は3時間40分で平松投手も大洋ナインもヘトヘト。「人間、辛抱だね。諦めないで投げればいけるもんだ」と自画自賛。どうやら平松投手は新境地を開拓したようだ。


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# 886 週間レポート ヤクルトスワローズ

2025年03月05日 | 1977 年 



ボクたちはダイジョーブよ
ヤクルトナインの間で「審判員が突発事故と判断した時はプレー中でもタイムをかけることができる」というコミッショナー通達を巡って議論百出だ。この追加項目に「いいことだ」と賛成したナインだが「一方のチームが練習中は他のチームの選手はフェア地域に入ってはならない」という従来通りの項目には「穴だらけだ」などと批判するなどワイワイガヤガヤ。というのも両外人の子供たちが練習中のグラウンドに度々立ち入ることを注意されるからだ。マニエル選手の長男チャック君(15歳)、ロジャー選手の長男クレイグ君(11歳)は外野で玉拾いをしながら遊んでいる。

異国の地で親しい友達もおらず父親に連れられて球場まで来るが、手持ち無沙汰でやることがなく球拾いをしているのだ。ヤクルトナインは「危なっかしくて見てられんよ」と怪我をするぞと注意してもワンパク盛りの2人は「ボクたちはダイジョーブ」と聞き入れない。今年のオールスター第1戦の打撃練習中に外野をランニングしていた新浦投手(巨人)が島谷選手(阪急)が放った打球を目に受けて怪我をしたのを受けてのコミッショナー通達だった。「新浦は気の毒だったが注意力が欠けていた。だがウチの外人の子供に関しては不注意では済ませられない。部外者のグラウンドへの立ち入りを禁止にして欲しい」と広岡監督は訴える。

今や打撃爆発でチームの大黒柱になっている両助っ人に強く注意するわけもにもいかず苦慮している。日米の国情の違いでグランドボーイまでやりかねないジュニアを規制して楽しみを奪うのもなんだか可哀そう。で、いつの間にか見て見ぬふりをしているのが現状なのだ。外野を駆け回るジュニアたちに当たる方が悪いとは言えず困っていたところに今回のコミッショナー通達に球団フロントは「通達はごもっともだけどウチの両外人は納得してくれるかどうか分からない。どうしたものか…」と思案投げ首である。


大台突破
巨人、阪神に続き今シーズンも早々と観客動員100万人の大台を突破した。8月2日の巨人3連戦の初戦で5万5千人を動員し104万5千人となり球団史上三度目となる大台突破となったが、到達ペースは今年が一番早い。球団最多記録は一昨年の136万人だが今のペースを維持できれば140万人は確実で150万人も可能だ。サッシー人気、Aクラス確保など好条件は揃っている。1試合平均2万5千人強は巨人に次ぐリーグ2位。夏休みの終盤にドル箱の巨人戦が控えており「150万人を目指す」と営業サイドの鼻息は荒い。


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# 885 週間レポート 中日ドラゴンズ

2025年02月26日 | 1977 年 



あぁ黒い弾丸が去って…
対広島15回戦の4回裏、三村選手が放った大飛球を背走して見事にキャッチしたデービス選手は勢い余ってフェンスに激突して倒れてしまった。捕球したグラブを高々と挙げたが遂に起き上がることは出来なかった。ファインプレーの代償は大きく、左手首を骨折し全治4週間の大怪我を負ってしまった。「怪我が治ればまだ公式戦には間に合う。またバリバリやるよ。ドジャース時代に顔をひどく怪我した時も復帰後に13試合連続安打したこともあるし大丈夫さ」と言い残して治療の為に夫人が待つハワイへ旅立った。

その前日に7月のセ・リーグ月間MVPに選ばれたばかり。7月のデービス選手は打率 .357・10本塁打・21打点と大暴れでチーム内で確固たる地位を築いた。後半戦スタート3戦目のヤクルト戦では梶間投手から右中間へサヨナラ本塁打を放った。ひところはデービス選手に対して懐疑的な中日ナインが多かったが、この頃になると「やはり大リーガーは凄い」と脱帽するようになっていた。来日当時とは別人のような活躍をするデービス選手に与那嶺監督も「これからもチームを牽引してもらいたい」と全幅の信頼を寄せていた。

それだけに今回の怪我はショックで「本当にウチはツイていない。開幕当初から主力の故障が続いて悩まされ、やっと全員の足並みが揃ったと思った矢先にデービスが離脱。彼の穴は全員で埋めるしかないね」と落胆する与那嶺監督。だが今更ああだ、こうだと悔やんでも仕方ないこと。今後はベテラン・若手が一丸となって戦うしかない。藤波選手や田尾選手らは口にこそ出さないが、やっと自分にも出番が回ってくると目の色を変えている筈である。


タナからボタモチ
梅田選手が長期の休養となり、頼みの正岡選手までが右ヒジを痛めて遊撃のポジションにポッカリと大穴があいた。宇野選手(銚子商卒)を急遽一軍へ上げたがやはり新人には荷が重い。そんなところに入団9年目の三好選手が「こんなチャンスは二度とない」と名乗りを上げた。後半戦からレギュラーとして攻守にハッスルプレーを見せている。昨年のオフに首脳陣から外野手へ転向するよう言われ「もう後がない」と心機一転、外野手にチャレンジしたが思いがけず棚からぼた餅で内野手に逆戻り。私生活では野球選手としては珍しくシーズン中の7月末に結婚式を挙げた。その矢先に野球人生を左右する試練に挑むことになる。


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# 884 週間レポート 広島東洋カープ

2025年02月19日 | 1977 年 



本当なら3敗。だが今は9敗
高橋里投手は今や悲運のエース?シーズン折り返しの大洋戦に先発したがまた敗戦投手に。7回まで投げ5安打・2失点に抑えたが味方の援護がなく9敗目を喫した。相手打線に乱打されての敗戦なら仕方ないが、9敗の内訳は4失点が1試合・3失点が2試合・2失点が5試合・1失点が1試合といった具合で、仮に赤ヘル打線が3点を取っていたら6試合が勝てた試合に変わっていた可能性がある。単純計算で現在の7勝9敗はガラッと変わって13勝3敗で勝率1位になる。

かつての外木場投手のような打線の援護がない高橋里投手とは対照的に恵まれているのが池谷投手だ。投げる試合はたいてい打線が活発で2日の中日戦などは4回までに4得点。だが、それでいて負け投手になるのだからエースの肩書が泣く情けない状態。高橋里投手にしてみれば「俺が投げる試合に池谷の時のような援護があったら…」というのが正直な心境だろう。が、何をやってもちぐはぐなのが今シーズンのカープ。だからこそ最下位に沈んでいるということだ。


" 寒い、寒い " 連発のギャレット
一塁手としての適正を欠くという理由で外野手に転向したギャレット選手。元々が外野手だから守りに不安はないが肝心のバッティングの方がサッパリ。後半戦最初の対大洋3連戦ではたったの1安打に終わった。しかも6三振と開幕当初の状態に逆戻りといった感じ。球宴前には本塁打を量産し、スワッ打撃開眼かと首脳陣を喜ばせた矢先だけに本人も周りもショックが大きかった。打率も2割6分台まで上がったが、一時的なもので長続きせず現在は降下中だ。

球宴期間中のミニキャンプは炎天下で行なわれカープナインの多くが「暑くて死にそう」と悲鳴を上げる中でギャレット選手は「サムイ、サムイ」を連発した。これはギャレット選手独自の " 消暑法 " なんだとか。本人いわく「暑いと思えば余計に暑く感じるもの。暑くないと暗示をかければ少々の暑さは堪えない」と胸を張っていたが、今のギャレット選手が「サムイ」のは気温ではなく打撃不振から心身ともに冷え切っている状態を表している?


爆弾仕掛けたゾ
後半戦に入っていきなり大洋に3連敗。ファンのイライラは募るばかりで対大洋14回戦の敗戦後には球団事務所に「広島市民球場のスタンドに爆弾を仕掛けたぞ」と物騒な電話が掛かってきた。球団はすぐさま警察に通報し、警官20人がスタンドを調べたが爆発物は見つからず悪質なイタズラと判明した。何とも愚かな行為だがこれも可愛さ余って…の類だろう。チームが頑張らないとまたぞろこんな騒動が起きるかも。


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# 883 週間レポート 阪神タイガース

2025年02月12日 | 1977 年 



小料理店 " みやこ " 臨時休業
掛布選手の父親・泰治さんは千葉市高品で小料理店「みやこ」を経営しているが、7月末の5日間は臨時休業した。理由は一家総出で掛布選手の応援に行く為。神宮球場でのオールスター第3戦の観戦をスタートに7月29日からの甲子園球場の対巨人3連戦を一塁側スタンドから泰治さん、母親・テイ子さん、姉・優子さん、妹・道代さんは声援を送った。「店が忙しくて雅之の試合もゆっくり見ることが出来ない。そこで今年は家族で夏休みを取って皆で応援に行こうということになりました。甲子園球場は雅之が高校2年生の夏に応援に来て以来です。懐かしいですね」と泰治さんらはスタンドから応援した。

周りは阪神ファン一色。掛布選手に打席が回る度に掛布コールが起こり、泰治さんは「ありがたいです」と感激していた。当の掛布選手は身内の声援に固くなるかと思われたが意外とリラックスして後半戦スタートの巨人戦では4打数3安打と爆発し、家族に何よりの " みやげ話 " をプレゼントした。3日間、甲子園球場に通った泰治さんは「いい夏休みでした。たまには仕事を休んで出かけるのも悪くないですね。雅之の第1戦は出来過ぎ。次戦は四番でしたが打てず、まだ四番は荷が重い気がします」と手厳しい感想を息子に突きつけて千葉への帰路に就いた。規定打席到達まであと僅かの掛布選手は間もなく打撃10傑に名を連ねるだろう。


" 水を得た魚 " ラインバック
ファイターのラインバック選手がやっと活き活きし始めた。前半戦の途中から右手指のつけ根を負傷したり、ヒジを痛めたりと回復に時間を要した。少しの間でもジッとしているのが嫌いなラインバック選手だけにプレー出来ない間は歯ぎしりの連続だった。球宴明けからゴーサインが出て水を得た魚の如くハッスルした。29日の対巨人18回戦(甲子園)では六番で先発し二度のタイムリーを放った。守っても右中間への大飛球を追って回転レシーブ並みのダイビングキャッチで喝采を浴びた。

「試合に出られるって楽しいね。やはり試合に出てこそのベースボールだよ。久しぶりの先発出場で少し緊張したけど、チャンスの場面で打つことが出来てハッピーだ。これからも今まで以上にハッスルするよ!」とニンマリのラインバック選手はハッスルプレーが身上のファイター。全力でプレーする姿が阪神ファンの共感を呼ぶ。



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# 882 週間レポート 読売ジャイアンツ

2025年02月05日 | 1977 年 



オレはゴルフをやりてぇんだ
今シーズンはこれ迄おとなしかったライト投手がとうとう暴れた。8月3日に無断夏休み。「先発した翌日はアガリなんだけど球場に来てランニングをしてから休むことになっている。しょうがない奴だ」と神宮球場でライト投手が来るのを待っていた杉下投手コーチは呆れ顔。前日にライト投手がKO降板後に苦情を聞いた佐伯球団常務は「無断欠席を許してはチームの規律が乱れる。厳重注意をして罰金を取ります」とカンカンだ。" 苦情 " とは2日のヤクルト戦で2回KO後にライト投手が佐伯常務に「ゴルフでもして野球のことを忘れたい。明日から2日間休みをくれ」と訴えていたことだ。

佐伯常務はそれ以上詳しいことは言わなかったが、球団関係者によるとライト投手は杉下投手コーチと野手陣への不満を爆発させていたという。どんな理由があれ無断欠席は一種の首脳陣批判であり処罰は必至。だが長嶋監督は「困ったことだねぇ」と言いながらもニヤリニヤリ。「決して褒められたことではないが不甲斐ない自分に腹を立てて発奮してくれればいいけどね」とさほど怒りはないようだ。というのもアメリカではKOされた投手のストレス解消用にベンチ裏にアルミ缶などが置かれている。それを蹴り上げたりするのだ。「日本だとマナーが悪いと批判されるけど外人選手は不満を発散させないとダメなんだよ」と長嶋監督。

とはいえそれと無断欠席は別の話。謹慎中のライト投手の代わりに右目を負傷していた新浦投手が急遽一軍に合流した。「もう違和感はない。視力も落ちてない。良い休みとなって球が速くなったんじゃないの」と新浦投手は元気いっぱい。また消化器官を患っていた加藤投手も先発ローテーションに復帰し完全復調をアピールした。「1人が出てくれば1人がおかしくなる。なかなか全員の足並みが揃わんねぇ」と杉下投手コーチは喜んだり嘆いたり忙しい。長嶋監督は「どこのチームも夏場は苦しいんだ。その苦しさに勝たなきゃプロじゃない」とライト投手の無断サボリを機にチーム全員の奮起を促した。


ヤジ将軍
4打数4安打とか猛打賞とか時たま出場しては固め打ちを披露していた上田選手に河埜選手の背筋痛欠場でスタメンのチャンスが巡ってきた。「急なことで緊張しちゃうよ」とベテラン選手ながら戸惑い気味。ベンチではヤジ将軍の異名をとるプロ14年生。「チョンボだけはしないようにしたい。本音を言えばヤジっているよりヤジられる方がやり甲斐がある」というのがスタメン出場の実感だそうだ。


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