きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

日本の大学は国際的評価が低い

2012-02-28 11:39:16 | Weblog
日本の大学は国際的評価が低い       (012.02.28.)

日本は今や、国際的には三流国に成り下がった。教育程度にしても国際調査では低レベルに成り下がり、読み書き算数の程度は後進国並みだ。

その原因は、文部省が、国の政策として、競争意識を持たせないようにしている事である。
最近の調査で、日本の最高学府である東京大学が、昔は一流と言われ、世界の大学から5本の指の中に入り、他国からの留学生も多かったと言われていたのである。
ところが現在、留学生が随分少なくなってきたと言う事で、特にインドから留学生を得たいと「留学生募集」の窓口を開設したと言う記事である。

しかし、申し込みは少なく、学生たちに話を聞くと、日本の東京大学を出ても、「どの様な評価が得られるの?」とか「どんな優位性が有るの?」とか「就職口はあるの」とかで国際的評価は極めて低い様である。我々も、東大と言えば昔は、「アカデミックな学術の殿堂」のイメージがあったが、今はむしろ京都大学の方に多少学術的色彩が残っており、ノーベル賞を受賞する学者も京都大学の方に多い。

日本は根本的に教育の全体像から、見直し、日本の国民としての「読み書き算数」が出来、社会の基本的なルールが守れるような人材を小学・中学の義務教育で、完成させ。高校・大学は、専門家養成の特別教育に専念できる体制を明確にすることが必要ではないでしょうか。

我が家でも、昔家内が、町の子供たちに算数を教えていた事が有るが、分数の出来ない中学生が居る事に驚いた事が有る。
ところが、今も分数すら出来ない大学生が居る事が、新聞に掲載されていて、未だに教育改革がなされていない事に驚いている。学校では出来なくても教える先生が、決められた時間数の授業をこなせば次々進んでゆくそうである。だから、出来ない子は、中学生に成っても大学生に成っても出来なく、算数の嫌いな子は一生涯劣等感を抱いて悩むことになる。

橋下大阪維新の会代表は、大阪市長に就任し、出来ない子には「留年制度を設けてはどうか」と言っているそうだが、私は大賛成である。
「留年と言う恥ずかしい思いが、その子の人生に悪い影響がある」と言う教育的思いやりの様だが、私は、それは逆であると思う、苦しんで覚えて、出来た喜びこそ、その子の人生を輝かしいものにするのである。

昔から、「何の苦労も無く社長になった人はいない」と言われている、偉くなった人は、何処かで「冷や飯」を食わされていると言う事で、それはその時の経験が、その人の人生の幅を広げているからである。
(えびなたろう)


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