きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

「もがりの森」がカンヌ・グランプリで2席に

2007-05-28 11:58:20 | Weblog
「もがりの森」がカンヌ・グランプリで2席に

今朝、河瀬直美監督が第60回カンヌ国際映画際で「殯(もがり)の森」が2席に入賞したにニュースが入ってきた。
最初、眠気まなこで、「殯」の文字が読めなかったので、何と読むのかと思っていたが、後で、調べれば良いと思っていたが、どうしても気に掛かるので、辞書を引いてみた。
  ~~~~~以下インターネット調べたこと~~~~~

殯(もがり)とは死後、本格的に埋葬するまで遺体を棺に納めて喪屋内に安置した古代の葬礼のことで仮葬場のことだそうです。当初は葬儀そのものをさして「殯」といいましたが、後にその殯で設けられた仕切りを「もがり」と言うようになりました。この仕切り(もがり)は我々が生きている世界と死者の世界を隔てる、一種の結界(仏語で仏前の内陣と外陣の区分、仕切り)のことだそうです。
今でも地方によっては通夜を出す家の入口に竹垣を配したり、木を斜め十字に組んで立てておくところがあります。この結界の概念はわが国では連綿と現代にも生きている感覚なのです。因みに人を通さないように張った縄の事を「虎落縄」(もがりなわ)と言うのも、同じような経緯から来ています。

「虎落笛」と書いて「もがりぶえ」と読みます。このもがり笛と言うのは木や竹垣などに強い風が当たるとピュー・ピューと笛の様な音をたて鳴ります。これが「もがり」の概念に通じその音、また音を鳴らす木や竹垣などを含めて「もがり」「もがり笛」と名づけたと考えられている。
「もがり」と言う言葉は「虎落」と言う字をあてます。これは元々虎除けの竹柵のことをさす、中国から来た言葉で、日本でも同じ様な形態の竹の柵を「もがり」「虎落」を当てる様になったのです。
  
そこで「殯の森」の映画ですが
ストーリーは、:
奈良県北部の山間地。自然豊かなこの地に、旧家を改装したグループホームがある。ここでは軽度の認知症を患った人たちが、介護スタッフとともに共同生活をしている。其の中の一人、しげき(うだしげき)は、30年前に妻・真子(ますだかなこ)が亡くなってからずっと、彼女との日々を心の奥にしまい込み、仕事に人生を捧げ生きていた。
そして今、しげきは亡き妻の思い出と共に静かな日々を過ごしていた。誰も立ち入る事の出来ない、しげきと妻だけの世界。
そのグループホームへ新しく介護福祉としてやってきた真千子(尾野真千子)もまた心を閉ざして生きていた。子供を亡くしたことがきっかけで夫(斉藤陽一郎)との別れを余儀なくされたのだ。つらい思いを抱えながらも、真千子は毎日を懸命に生きようとしていた。
ある日、亡き妻の思い出の詰まったリックサックを、そうとは知らず何気なく手に取った真千子を、しげきは突き飛ばしてしまう。自身を失う真千子を、主任の和歌子(渡辺眞紀子)は静かに見守り「こうしゃな、あかんってこと、ないから」とそっと励ます。次第に真千子は自分の生き方を取り戻し始める。そして毎日の生活のなかで、やがて心打ち解けあっていく、しげきと真千子。
ある日、真千子は、しげきと一緒に妻の墓参りに行く事になるが、途中でまちこが運転する車が脱輪してしまう。助けを呼びに行く真千子。しかし、事態は思っても見ない展開になるのだった。・・・・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~
僕は、この映画を見ていないが、生と死の大切さ、人間世界を描く素晴らしい映画だと思います。
今の世の中だからこそ、この映画を全国民がみて、語りあいましょう。

***「もがりの森」***  “是非皆で鑑賞しましょう。”
 
                    (えびなたろう)