人から、とてもいいことをされて、感謝する。
その行為を忘れないでおこうと、おもう。
ところが、同じ人から、イヤことをされると、
「それが、その人の全て」
だと考えてしまう。
よくあることだ。 ・・・自分にも身に覚えがある。
考えてみれば、
どんなにポジティブなことが多くても、ひとつのネガティブが、全てをかき消し、ネガティブが総てだと判断してしまう。
現実の社会生活では、残念ながらこの逆が無い。
この逆があれば、人生はもっと素晴らしくなるのに、と思う。
小沢幹事長の、
「キリスト教は排他的で独善。だから西欧文明は行き詰まっている」
との発言は、もっとマスコミで叩かれると、思っていたが、それほどニュースにもならない。
以前、日本は「神の国」と発言しただけで、あれだけ叩かれたのに、と思う。
政治の裏表を知り尽くした幹事長が、世界を敵に回すような発言をする意図はどこにあるのか、とも思う。
とても不注意で発言したとは思われない。
それなりの地位にある政治家が、キリスト教を批判する、なんてことは考えていてもしないだろう。それが日本であっても、外国であっても。
関係者の反論や抗議は当然だろうが、
ただ、作家の曽野綾子さんの反論は、いただけない。だから、宗教はイヤだと言う感覚を持たざるを得なくなる。
この「キリスト教は排他的で独善。だから西欧文明は行き詰まっている」ということに関しては、誰もが本能的に感じていることではないか、と思う。