青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

アパートの裏山- Nature of Misty Hill青梅市霞丘陵の自然2021.5.30

2021-05-30 20:37:47 | コロナ 差別問題と民主化運動 身近な自然



もう、本当に腹が立ちます(ほぼ八つ当たりですね、笑)


今日も「裏山探索」に行ったのですが、痛恨の失敗しちゃいました。

39種目の蝶、僕が最も好きな、日本産250種余の蝶のうち、正真正銘、唯一の「完全日本固有種」(詳しくは後述)である、ヒカゲチョウが出現しました。絶対に良い写真を押さえて置きたかったので、念には念を入れてカメラ・レンズをチェックし、全く同じ写真を40枚撮りました。幾らなんでも一枚は完璧に映ってるだろうと、途中でチェックしたら、全部ピンボケ。ヒカゲチョウは飛んで行ってしまい、その後2時間近く粘ったのだけれど、戻って来ません。もう、ショックです。まあヒカゲチョウなので、今後何度も撮影チャンスはあるでしょうが、他にも今日写した写真の大半がアウトです。

原因が分かりました。駐車場の小屋の所にいたおじさんたちが、写真を見せてください、というので、カメラを渡したのです。その際に、どこかを間違えて押してしまったらしい。でも、おじさんたちには責任ないです。(チェックしておかなかった僕も悪いのだけれど)カメラが悪いのです。いろいろとオプションが付き過ぎていて、うっかりすると勝手に作動しちゃう。今回は、サイズをうんと小さくする機能が働いてしまった。そんな機能は必要ないのに、、、。

パソコンでもそうなのですが、なんで文明の利器というのは、余計な「便利」が溢れまくっているのだろう?(そのくせ「便利に繋がらない」“無駄”は排除していく)

文明(科学、医学なども含む)は、発展すれば良い、と言うものじゃないと思います。このままだと、人間は機械の選択に支配されてしまって、その「便利」に逆らえば、やっていけなくなる。怖いです。



ヒカゲチョウ(ピンボケ)





モンシロチョウとスジグロチョウ(初期化したのでまともな写真です)




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アパートの裏山- Nature of Misty Hill青梅市霞丘陵の自然2021.5.29(上)

2021-05-30 10:51:16 | コロナ 差別問題と民主化運動 身近な自然


“ポートレイト・オブ・青山潤三”

 
モンキチョウ(コリアス)のことが、どうにも気になって、いつもとは違う時間帯に(午後から)観察することにしました(12:30-18:30)。
 
モンキチョウ関連の結果は、後で纏めて掲載します。
 


コリアス草原(タンポポ草原から変更)には、都合4時間近くいました。陽も大きく傾いてきたので、そろそろ観察を切り上げることにしました。写真正面がコリアス草原。僕が立っている場所が、以下の各種(除・モンキチョウ)の撮影地。
 


コミスジ
遊び(そのⅠ)
道脇の陽だまりに数頭のイチモンジチョウが飛んでいました。しかし、止まってくれない。一瞬止まっても、すぐに飛び立って同じ場所には戻ってきません(今日は各所でイチモンジチョウに出会ったのだけれど、写真は撮れなかった)。止まるのはコミスジばかり。仕方なく遊んでみました。
 


コミスジ
 


ヒメウラナミジャノメ
遊び(そのⅡ)
 


ヒメウラナミジャノメ
 


ヒメキマダラセセリ
遊び(そのⅢa)
 


ヒメキマダラセセリ
遊び(そのⅢb)
 


ヒメキマダラセセリ
 


スジグロチョウ
遊び(そのⅣ)
同じところに、第二化のスジグロチョウが数頭。ただし光の当たっているところには止まらず、日陰になった場所のヒメジョンにだけ吸蜜に来ます。従って僕の影はぼんやりしか出なかった。モンシロチョウの第二化出現が一週間前で、それよりも遅れての出現と思っていたのですが、違う所にいたのかもれません。
 


スジグロチョウ
ここに棲むシロチョウ科の5種の棲息地は、より明るく開けた環境からやや暗く鬱閉した環境の順に、モンキチョウ>モンシロチョウ>ツマキチョウ>キチョウ>スジグロチョウとなります。
 


モンキチョウ
遊び(そのⅤ)
草原には数10頭以上いるみたいなのに、こっち(道挟んだ対面側)には来ません。陽が殆ど落ちても強い残照の当たる葉上に止まっています。光が強すぎて良い写真が撮れません(ただし陽が落ちて陰になった草原上でもチラホラ飛んでいる)。
 


モンキチョウ
モンキチョウについては後で纏めて。
 


チェックしてすぐ戻るつもりが、結局6時間。
 


怪しさ満載です。
 


、、、なのだそうです。
 


風体を気にしていれば良い写真など撮れません.
 
 
・・・・・・・・・・・・
 
前回ブログで、「(常時)マスクしてると楽ですね」と書いたけれど、やっぱりおかしい。何度でも書きます。人込みの中ではともかく、誰もいない山道で一人マスクして黙々と歩いている人に、10分おきぐらいに出会いますが、その都度、恐怖しか感じません。僕はおかしいのでしょうか
 
ある(信頼の出来る)知人から、
>青山さんは“発達障害”“適応障害”“アスベルガー”とか、なのではないか?
>多くの人がそうである。
>自分の息子もそうである。
>もしかしたら、自分もその傾向があるのかも知れない。
>別に全然恥ずかしい事ではない。
>簡単に治療できるので、しておいても良いのではないか?
というアドバイスを頂きました。
 
全く、その通りでしょうね。
 
僕の場合、発達拒否、適応拒否という側面もあるし。
 
客観的に考えれば、立派な病気、です。
「治療」が為されれば、(マスク同様に)もっと楽に生きることが出来るのかも知れません。
 
問題は、、、、。
「病気」とは何なのか?(言い換えれば「正常」や「健康」とは何なのか?)
ということで、
「治療」という行為を、果たして(全面的に)ポジティブに捉えても良いのだろうか?
「治療」「教育」、、、、それと「洗脳」は、根本的な部分で、何処に違いがあるのだろう、、、と。
 
僕は、どんなに暑いときでも「冷房無し」でも生きられます、それは「病気(おかしいこと)」なのでしょうか?
ニューギニアの原住民や、アンダマン諸島のどこかの島でも、(体調面を別にすれば)たぶんO.K.です。
 
発達障害・適応障害・アスベルガー・引きこもり、、、、。治療改善すれば、少なくとも本人にとっては得なことが多いのかも知れません。周囲や社会も安心できるでしょう。良い事づくめ。、、、でも人類全体を考えれば、違うような。
 
医学で治療すること。文明の発展や科学の進歩もそうなのですが、全てがポジティブに捉えられることなのでしょうか?
 
時間は「前に進む」とは限っていません。全方向性に行きつ戻りつしているのかも知れない。時間はひとつとは限らず複数が同時進行しているのかもしてない。
 
「生物地理」の問題を考えることは、突き詰めれば「時間のフラグタル」の問題を考えることです。例えば、沖縄の生物地理的位置づけも、オーストラリアのそれも、100年1000年単位で見渡しても、100万年1000万年で見渡しても、全く同じ方向性が示されている。そのことをどう捉えれば良いのか。
 
改めて、夏目漱石「夢十話」第6夜に触れておきましょう(もとより「夢十夜」という作品全体が「時間について」なのですね)。
 
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻が出来るものだな」
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り起こすまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない」
 
文明・科学なんてそんなものでしかないのです。
 
そして、削りとった「屑」の事を、その大事さを、文明・科学は忘れてしまっている。
 
ところで、
 
「発達障害」「適応障害」の治療、
それを行って、「ニューギニア高地では生きて行けない」「冷房無しでは生きて行けない」普通の人になれば、携帯電話を持つことが出来るようになるのでしょうか?身体的苦痛も和らぐのでしょうか?
 
それが保証されるなら、是非ともやってみたいですね!!







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