青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

“陰謀論”とは何か?について考える~「漱石と日根野れん」

2021-05-10 20:54:39 | コロナ、差別問題と民主化運動、明治文学


★5月9日の記事に、いいね!その他ありがとうございます。
 

読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。
 
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今日も快晴ですね。でも通院日なので、裏山探索は無し。F医師とI事務局長に、「マスクがウイルス感染源である」と訴えてきました(笑)。ワクチン接種の案内がひと月以上前に届いているので、打つべきかどうかの意見を聞いてきました。どっちでも良いんじゃないですか、ということで、中国に行く時に、中国製を打つ(入国条件が有利になる)、ということを基本で考えることにしました。
 
今日は、スタバに滞在しているのですが、、、マスクなしの中国人の若者が7~8人集まって、室内に響き渡る大声で喋り続けています。スタッフも日本人利用者も、マスク必着で、済々と“規則”に従い、中国人たちはお構いなしに吾勝手な行動を続ける(誰も注意しない、笑)。かなり異様な(滑稽な)光景ですね。“異空間”が同居しているという、、、、。
 
それはともかく、もし人類が、例えば「宇宙の果てに到達すること」「永遠の命を得ること」などを目標に置いているのなら、今の在り方(「マスク」「ワクチン」が正義、「科学」「医学」は絶対的存在)で進んでいくことも、選択肢の一つなのかも知れません。僕は、そうじゃない、と思うので、、、。「科学」「医学(医療)」とは何か?という根源的な問題を、科学者・医学者たちに考えて貰いたいですね。
 
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本題に入る前に、もうひとつ、今日のニュースに関する記事を挿入記述しておきます。
 
茨城県の夫婦殺害容疑者(26才)が逮捕されたというニュース。
 
例えば、
>逮捕映像を一目見ただけで感じる違和感、自由にさせちゃいけない。
といった、正義のコメントで溢れています。僕には、怖い、としか言いようがないです。
 
数100人に一人ぐらいは、まともな人もいます。
>ここで居丈高に容疑者を糾弾している人たちの言葉遣いや、一部にみられる感情に任せた無茶ぶりを見ていると、容疑者と紙一重な人たちに思えてなりません。
 
もちろん、「そうは思わない」の評価ばかりですが、僕は、ほんとうにそう思いますね。自分では気が付いていない「正義」の人々は、「分かり易い悪人」よりも、ずっと怖いです。
 
この容疑者が犯人だった場合は、いわゆる「シリアルキラー」というカテゴリーに入るのだそうです。例えば、「酒鬼薔薇」や、名古屋大学女子学生が薬品を使ってお婆ちゃんを殺害した事件、等々。むろん、その人たちも怖いですよ。
 
ちなみに、一人(それに関連すると思われる人物に)会ったことがあります。平凡社新書「屋久島の自然~大和と琉球と大陸のはざまで」を刊行してから間もなくだったので、2001年か2002年の夏だったと思います。阪大医学部大学院の若い男性で、西安から福建省の南平まで数日間一緒に旅行しました(とても楽しい旅だった)。
 
僕が出会った事のある人物のうちで、三指に入るほど聡明な人でした。死体愛好家。このあとタイに行くのだとのこと。そこで友人と落ち合って、いろんな死体を探す。その友人は、自分よりももっと死体に興味を持っていて、日本では見ることが出来ない様々な死体を求めて、東南アジアをうろついている、のだそうです。でもとにかく頭がよく、(頭の悪い)僕とも話が合って、穏やかで、非常に好感の持てる人でした。
 
彼(きちんと状況が把握できている)のような場合はともかく、我々は自分では気が付かぬうちに、人殺しをしていますね。概ね間接的なわけですが、いろんなシチュエーションで。例えば死刑制度の支持も、その一つかも知れません。良し悪しの是非、直接であるか間接であるかは別として、人を殺していることには違いありません。死刑に処されるような「悪人」は「人」ではない、という解釈に立つなら別でしょうが、、、。
 
このような事件が起こると、“人を殺す前に動物虐待をしている人がいるので怖い”という声が上がります。
 
じゃあ、例えば蝶のコレクターとかは、それに当て嵌まるのではないのかな? と思うのですが、たぶん、それは当て嵌らないんでしょうね。
 
ペットに対して愛情を持てない人は、人間としての感情が欠落している、、、、というのが、多くの人の共通認識であるようです。僕も、ペットには愛情をもって接すべきだと思いますよ。でも、その事のみが、「正しい」と言うわけじゃない、という事も、考えておきたいです。
 
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以下、4月29日執筆の記事です(後送りになってたのを何とか完結しました)。
 
ここ数日、漱石と日根野れんについて、想いを馳せています。
 
僕は、個人的には漱石派じゃなくて鴎外派なんですが、客観的には、漱石の作品の方が、何百倍素晴らしいですね。「三四郎」は最高です(その程度の感受性しか持っていない僕のことをバカにして貰っても良いですが)。「青年」は逆立ちしても「三四郎」に敵わない。
 
鴎外が「青年」を書いていた頃、漱石は「三四郎」の続編とされる「それから」を終え、三部作末尾の「門」を書いていました。
 
「青年」は「三四郎」のパロディですね。鴎外自信、実質的にそのことを認めています。でも、全然面白くないです。
 
一方、「三四郎」の“続編”(のような立場の物語)が「それから」と「門」であります。そのことを、どれだけ多くの読者が認識できているのだろうか、と、長い間、漠然と想ってきました。僕にも、なぜ「続き」なのか、さっぱりわからないのですけれど、漱石自身が「続きである」と明言しているので。
 
漱石の作品は、難しく、複雑で、読むのに苦労するものが多いと思います。「こころ」然り、「門」然り、「道草」然り、「明暗」然り、、、、。でも、それらの作品は、難しい分、まあそんなものかな、と読後に納得することが可能なように思われます。
 
一方、「坊ちゃん」とか「三四郎」とかは分かり易い。「夢十夜」などもそうですね。スッと入ってくる。スッと入ってくる分、より深遠な“何か”を感じてしまう。
 
僕が最も好きな日本文学作品は、澁澤龍彦の「高岳親王航海記」なのですが、明治大正古典では漱石の「夢十夜」に尽きます。いやもう、我ながら子供っぽい、と思いますが、北杜夫さんが(「不遜な言い方だけれど」という要旨の訳注付きで)「凄い、負けた」と、敢えて評した気持ちがわかるような気がします。
 
つづく「永日小品」も良いですね。「夢十夜」の幻想に対し、身近で現実的な話題と、入れものは全く違うのですが、トーンは一貫しています。
 
漱石が中年になってデビューした時、殆どの同時代作家は既に姿を消してしまっていました。子規、紅葉、緑雨、それに一葉らは亡くなっていたし、逍遥は小説から完全に離れ、鴎外、露伴、二葉亭らも「小説」とは違う世界で活動していました。
 
漱石は、自分以外の同時代作家が「小説家」としての生涯を全うするのを待つようにして、満を持して登場するのです。20年間、「案を練り続けていた」と言っても良いのかも知れません。
 
中年デビューしてからの、最初の数年間に為された作品(殊に短編小説)は、やたら七難しいと言うか、読むのに随分苦労するのが多いと思います。新潮文庫などで短編集として編まれている「幻影の盾・倫敦島」などは、その典型ですね。
 
「夢十夜」や「永日小品」のように、スッとは入ってこない。「難しさ」が結構剥き出しです。そんなことも有って僕はそれらの作品は精読していないのですが、ただ、その中で最も短い「一夜」(明治38年/1905年)だけは、何度か繰り返し読んできました(単に短くて読むのが楽という理由に因るだけですが)。
 
いや、何度読んでも、何を言おうとしているかについては、さっぱり分からんのです(笑)。でも、この、呆れるばかりの(一切の「説明なし」という)「読者に対する無責任さ」(三人の言語動作を通じて一貫した事件が発展せぬ?人生を書いたので小説をかいたのでないから仕方がない)は、実に素敵です。
 
ちなみに、鴎外の短編に「百物語」(明治44年/1911年)というのがありますが、その「読者がバカにされた感」満載の無責任さには、一脈通じるものがあるように思います(全編「説明だけ」という正反対のポジションですが)。
 
「一夜」に登場する人物は、次の三人です(むろん、そう記されているわけではない)。
 
日根野れん 1866~1908
平岡周造 1860~1909
塩原金之助(夏目漱石) 1867~1916
 
この短編が書かれた3年後に、れんは亡くなっています。周造はその翌年、漱石はその7年後に亡くなります。三人とも40歳代で亡くなっているのですね。この時代で言えば、40歳代というのは、必ずしも早訃と言うわけではないのだと思います。
 
「日根野れん」の名前は、漠然とは知っていたけれど、これまでは全く念頭には留め置かないままにいました。今回、たまたま上記「三四郎」と「青年」を比較した文学評論(無数にあります、笑)をネットで探しているうちに、改めて出会い、なるほど、そういう事なのか、と思った次第です。
 
ネットでチェックしたのは、Kazenokoさんという方の「甘口辛口」というコラム。「三四郎と小泉純一(1~4)」です。
 
漱石の「三四郎(小川三四郎)」と鴎外の「青年(小泉純一)」の比較。なにしろ鴎外本人がパロディであることを認めているようなわけですから、後の評論家らも遠慮なく比較が出来るわけです(「青年」とは別に「団子坂」という短編があって、これは鴎外流「三四郎」“菊人形ストレイシーブ”の場面で面白いのですが、載ってる本が探し出せないので再読できないでいます)。
 
このKazenokoさんのコラムもその一つなのですが、4回続きの第一回を読んで、正直ちょっとがっかりしました(というか物足りなさを感じた)。書かれている内容が、他の「三四郎」「青年」比較論とほぼ同じ。
 
すなわち、鴎外は「三四郎」にギヨウを感じ、それと共に不満を持った。「成長小説」なのに、ぐずぐずしていて(“ストレィシーブ”のままで)ちっとも成長しない。自分ならもっとピシッとロジカルに、成長の証を示して見せる、、、で「青年」を書いた。大多数の評論家の見解は、“文学としての完成度、理論性、内容の充実度は「青年」のほうが勝る(僕はこれっポッチもそうは思いませんが)、ただし、面白さは、圧倒的に「三四郎」が上” と言う事で、ほぼ一致しているようです。
 
Kazenokoさんの認識も、どうやら同じらしく、4回に亘って、そのことに対する見解を述べていくのかな?と思っていました。でも、第一回目を読むに、高名な先生方の理論性に溢れた評論とは違って、(漱石作品呼応するように漂う)無責任さが良い感じです。“ゆるふん”ですね。「芥川龍之介は、漱石的内容を、鴎外流の緊迫した文章で書こうとしたから、行き詰ってしまった、もっと先生譲りの“ゆるふん”を学べばよかったのに」と、誰かが言ってました。
 
というわけで、「三四郎と小泉純一」の第1回目は、だいたい他の評論と同じ論調です。第2回目から第4回目までは、どのような展開の比較論になるのか、楽しみにして読み始めたのです。
 
ところが、、、、最後まで鴎外の話題も「青年」の話題も出てこない。いや、表題に偽りあり過ぎです。第2回~第4回目には、「青年」のセの字も、「鴎外」のオの字も、一切出てこないのです。そして、“漱石の初恋の人”とされる、“日根野れん”の話に終始します。
 
Kazenokoさんは、ご自分で“愚老”とか仰っている年配の方のようなので、ボケて主題を忘れてしまったのでは?と失礼なことも思いましたが、そうではないようです。“表題に偽りあり”を承知のうえで、書かれたのだと思います。
 
最終回(第4回目)の末尾になって、やっと鴎外の名前が再登場します。最後の結びの文章です。
 
「鴎外は、離婚した先妻の死を告げられたとき、一日中、家にこもって沈思していた。」
「漱石は、れんの死んだ日は、訪問客があったにも拘わらず、沈黙を守って何事も語らず、後で相手に弁明の書簡を送っている。」
 
うーん、なるほど。
 
どういうことか、分かりますか? いや、僕にも分かりませんね。ただ、“分からない”と言う事だけは、はっきりとわかります。“そういう事なんだ”と。
 
分からない、と言う事を「是」とすることが、偉い先生方と、幼稚な僕との違いでしょうね。
 
それはともかく、Kazenokoさんの「三四郎と小泉純一」は、表題とは無関係に、日根野れんの話に終始します。
 
「漱石の想い人」の本命は、日根野れん、兄嫁登勢、大塚楠緒子の三人のうちの誰か、というのが、現在の定説となっています。他にも何人かが対象とされていますが、高名な評論家の方々が対象と目しているのは、この三人です。
 
このうち、兄嫁と楠緒子は、それぞれ特に高名な評論家によって、強力にプッシュされています。詳細な検証を行い、
資料を分析し、理論的考察を加えて、「間違いない」と断定しています。
 
その二人に比べれば、“れん”推しは、もう一つパワーに欠けます。(知名度は低いのだけれど)Kazenokoさんの“れん”推しは、その中にあって目立ちます。そして、客観的に「漱石の想い人(様々な作品のヒロイン)を一人選ぶ」とすれば、日根野れんさんかな、と僕も思います。 
 
でも、“想い人(愛した女性)”が誰であるか、一人に決める必然性はあるのでしょうか? 誰が正解で、誰は違う、と、なぜ答えを出そうとするのでしょうか? 答えはない、という答えじゃ、だめなんでしょうか?
 
仮に僕自身に当て嵌めると、万が一(実際上は万に一つもあり得ないですが、笑)後世に「青山潤三の想い人は誰?」とか言った想索が成されたとしても、絶対に当たりません。何となれば、自分でも分からないから。僕の“想い人”なんて、何人も、何十人も、、、無数に存在するし。
 
れんは、漱石よりひとつ上の1866年生れです。1867年生の著名人は多い(鴎外の1862年生も多い)けれど、1866年生の著名人は余りいませんね。写真は現存しない、とのこと。見てみたい気もするし、(たとえ美人だとしても)見ないでいる方が良いのかも知れない、とも思うし。
 
そう言えば、逍遥(1859年生)の奥さんも、1866年生れ(この二人は長生きしました)。学生時代の楼閣の馴染みの女性とは、普通卒業後には別かれてしまうものです。殊に最高学府の超エリートに於いては、卒業後も(そのような格式も教養もない女性と)一緒にいることなど、考えられもしない。でも逍遥は(周りの反対を押し切って)添い遂げたのです。実際、そのために一生苦労し続けたとも言います。でも、その苦労よりも、ずっと大事な事だったのです。逍遥、漢ですね。
 
ちなみに、現代文学の発祥は、逍遥の文学評論「小説神髄」だとされています。それとセットで、実作としての「当世書生気質」が発表されたのですが、こちらは「現代文学」ではなく、旧来の「戯作」と見做されています。僕は、むしろ逆だと思う。「~神髄」は七難しいけれど、大した事は言っていない(ような気がする)。そして、「当世~」は、実は傑作であると。
 
斎藤緑雨(1868~1904)は、逍遥とは古くから(緑雨17歳/逍遥25歳当時から)仲が良かったみたいですね。逍遥は(世間に毛嫌いされていたはずの)緑雨を、実に何度も手放しで褒めています。
 
緑雨は、一般には「女性差別主義者」と捉えられているようです。でも、緑雨ほど、女性の事を(深いところで)想っていた人は、そう多くはいないのではないでしょうか。正反対に見えて、逍遥の生き方に通じるところがあるように思います(ロジカルに説明する能力は僕には無いですが)。
 
そのことは、漱石の想い人が、必ずしも一人に限られるわけではない、という思いとも重なります。
 
先にちらっと鴎外の「百物語」に触れましたが、その中で鴎外は、物語の先導役の若い知人に対し、「その時々の流行を追っている、(中略)つまり、捻じれた、時代を超越したような考えは持ってもいず、解せようともしない、(中略)飽くまで穏健な、眼前に提供せられる受用を、程好く享受しているという風」の、下町の聡明な若旦那の生活を、「羨ましく思っている」と記しています。
 
今の、コロナ下の「民主的正義」絶対追従社会は、100年前から、ちっとも変っていない。
 
「陰謀論」について書こうとしていたんでした。
 
僕は、偉い論客諸氏のように、物事をロジカルに説明する能力は持ち合わせていません(「ロジカルに説明するべきではない」という自動制御が為されているのかも知れない)。
 
世の中(個人個人の「生命」の中、と言っても良い)は限りなく多様です。一人の人間の、“想い人”が誰であるか、光をどう当てるかによって、いくらでも答えは変わってくるはずです。
 
よく、「愛する人の事を考えて」とかの表現が為されますね。だから(コロナに際して)「マスク」は必着、とか、(香港やミャンマー問題に際して)「民主主義の大切さ」を問うべき、とか。
 
そんな、安易な発想だけで良いのでしょうか?
 
家族のいない僕など、「愛する人の事を考えて」と言われても、戸惑うしかありません。人類全員を愛している、、、、それは善良な正義の民からすれば、自分たちの社会を乱す「悪」に等しい、良くないことなんでしょうね。
 
漱石の“想い人”が、一人である必要がどこにあるのでしょうか? 奥さんを含め、いろんな人に、いろんな想いを持っていた、と思います。むろん、れんさんに対しても、特別な想いがあったでしょう。
 
様々な“想い人”に対する一見荒唐無稽に思える指摘も、案外全部、それなりに当たっているのかも知れません。
 
“正統”な側にある人は、「正論」のみを「理論」として認め、「異論」は「理屈」として排除する。
 
前回、運慶が仁王を掘り起こす話について触れました(*訂正「雨造作」→「無造作」)。
 
科学とは、原木の中に既に存在している仁王を彫り出すようなもの、だと思います。そして、科学の最大の欠点は、原木を切り崩して行く際に生じた「屑」を、捨て去ってしまうことにあります。
 
ロジカルに説明出来ようが出来まいが、科学的であろうがなかろうが、「正義は一つではない」「真実は一つではない」という立脚点に立てば、異論の中にこそ、何か(「真実」の欠片のようなもの)が隠れているのではないか、と思っています。
 
荒唐無稽な「陰謀論」。そんなのがあっても、大いに結構だと、僕は想います。
 
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写真を適当に付随しました。
 


ツバメシジミ。1975年5月。千葉県安房天津。「コダクロームⅡ」からのスキャン。
 


グリーンペペ。1993年7月。小笠原母島。初めて使った「フジクローム」からのスキャン。
 


梅里雪山。2013年5月。人類未踏の山頂は、雲南省とチベットの境。四川省との省境、およびミャンマーとの国境まで約50㎞、インド(アッサム)との国境まで約150㎞の距離です。
 





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