青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

東京都と青梅市の横暴に対する公開質問状(前置き)

2024-04-03 07:46:41 | その他



さて、福岡移転以来取り組んできた「中国蝴蝶野外観察図鑑」と「近所の森と道端の蝶・福岡編」の執筆・印刷はとりあえず終えたのですが、困ったことに、その本を購入する資金(近所~2500円、中国4部作1万円)がない。「中国~」はともかくとして、「近所~」は地元新聞社・メディア・関係各機関にプレゼン(PDF原稿は通常は見てくれない)しなくてはなりません。



昨日、生活保護金の支給日。受領は2万2014円。基本金約10万から、福岡の家賃、年金(東京の書庫家賃とほぼ相殺)、それぞれ3万5000円余。更に、後期高齢者は食事代などが多くかからないという謎の理由で約5000円減、自己収入見込みなどが差し引かれて、2万円余になるのです。

その中から電気代・水道代1万円近く支払い、HDD修理未払い分(これが戻ってこなければ今後の全ての仕事が出来なくなってしまう)月1万円分割支払い。弁護士(東京)費用分割支払い月5000円、ゼロどころかマイナスです。弁護士への支払いを待って貰うとしても、残りは2000円。

幾ら仙人的生活でも、これでひと月は暮らせません(10日に売り上げ1500円ほど見込み)。

自分の本の購入など(生活保護の身分で)もってのほか、というのが大衆の共通認識でしょうが、

でも、それなくしては、関係各機関からの協力を得、販売・収入に繋げることは出来ないのです。



“普通のアルバイト”をして金を稼げ、と言う人が多いでしょうが、それは貴方たちが恵まれている(容易に仕事にありつくことが出来る)から言えることです。

むろんチャレンジしました。そして全て門前払い。年齢、身分(家族や保証人の有無)、学歴略歴等々。

それらの障害が少なくてすみそうな力仕事は、「脊椎脊損症」と「急性肺炎もどき」で度々救急車などの世話になっている身(障碍者指定を受けたいのだけれど却下されている)では、仕事中何かが起こる可能性が極めて高いです。まあ、自分の仕事(山での撮影行など)の場合は、そのつど自分の判断で中止を繰り返せば良いのですが、雇われ仕事の場合は、そうはいかないでしょう。

ということで、結局は、そのようなハードルの無い、創作活動を行うしかない。いや必ずしも創作活動でなくても良いですね、写真や文章を使っての仕事です。収入に繋がれば仕事ですし、繋がらねば遊びとしか見做されないことを覚悟のうえで。



収入に繋がる展開になるかどうかは別として、今後の計画(このブログには毎度計画ばかり載せている、一体何度目でしょうか、笑)。



蝶関係の書籍本は「中国蝴蝶野外観察図鑑」「近所の森と道端の蝶」でひとまず一段落。

近い将来、後者は「東京編」「福岡編」を合体(それに中国や北米、ギリシャなどの情報も付け加え)「近所の森と道端の蝶」決定版を製作(本にするのではなく既存メディアへのプレゼン用として)。



それとは別に手許にある蝶関係の全ての写真を、中国/日本、あるいはデジタル/ポジフィルム(→デジタルスキャン)に関わらず、片っ端から集めてワードに貼り付け、「原資料としての東アジア(日本/中国)の蝶1975~2024年撮影写真および幾つかの問題提起」の総題の許、PDF編集し、CDに収納、あるいは電子書籍として、全50~100巻、各巻数100頁で例えば1800円(取次を通さなければ1000円でも可)統一で格安販売。

制作コストはほとんどかからず、各巻10部売れれば全100巻として100万円、読者も手軽に購入しやすい価格だと思うので各巻100部ぐらいは期待しても良いかも知れず、ならば収益1000万円という狸算用です(笑)。いや、(笑)ではなく、現実味はあると思っているのですが(笑)。

それはともかく、写真や資料を纏めておくことで、将来に引き継ぐことが出来る(一応、英訳・中国語訳もしておく)。



あと、植物(やはり中国産と日本産を合体)ですね。むしろこちらの方に力を入れたいと考えています。これまでに、ハマウツボ科(メインはシオガマギク属)、ユリ科(狭義)、キンポウゲ科、ケシ科は、ほぼ作品として完成している。ある程度完成に近いのは、リンドウ科、サクラソウ科、ツツジ科(メインはシャクナゲ)等々。各巻数100頁全100巻(科単位)。むろん、HDDを取り戻した暁には、野生アジサイ集大成(1000頁超になる)も。いずれも、英訳、中国語、中国語併記。

読者の需要キャパシテイは、蝶よりも圧倒的に植物の方が多いはずです。紙の書籍とするか、CD収納(あるいは電子書籍)とするかは今後考えるとして、上手くレールに乗せることが出来れば、相当な収入になります。収入云々よりも、後世に資料を残すという大きな意味があることは、蝶の場合と同じです。

それらの写真や資料をピックアップして纏め、「四川雲南山嶺花」といったフィールド・ガイド・ブック(中国の読者向け)、あるいは、中国での探索行をシリーズ化した(日本の読者向け)企画なども考えて行きたいです。



蝉(鳴き声録音の纏め)もね。



けれども、眼前の現状を突破しないことには、絵に描いた餅になってしまう。資金作りにどのように結び付け、どのように展開していくかを、考えねばなりません。

とりあえず2択です。



今年1年、室内作業(いろんな方々からの協力を得てやっと仕事ができる体制になった)に専念、これまでの写真や資料を整理して、上記した様々な企画を形にしていく。

月2万円の生活保護受給費+少額の売り上げ金(2万円前後)、年金の残額などで、光熱費やHDD修理費など差し引いても、月1万円ぐらいはなんとか使える。

室内に閉じ籠って頑張れば、なんとか次に繋げることは出来そうです。

幾つかの作品が纏まった時点で(来年以降)勝負に出る。上手くいく保証はないですが、少なくとも当面は前に進み続けることが出来ます。でも、いずれにせよ、必要とされる纏まった資金は、すぐには作れそうもない。



それとも、これまでの纏めの作業は一旦保留し、直接纏まった収入を得るため、新たな企画に動く。

中古の5000円くらいのカメラを購入、例えば小笠原に絶滅オガサワラシジミの探索に行くなど、インパクトのある大向こう受けする企画を立ち上げる。

むろんやはり上手くいく保証はありません。でも実行さえ出来れば、纏まった収入に繋がる(大手メディアからの作品刊行など)可能性は、より高いと思うのです。



向こう数日中に、方針を決めねばなりません。



・・・・・・・・・



飯塚市(行政や市民)には、感謝しているんですよ!

青梅市と比べれば、天国と地獄です(むろん前者が地獄)。

布団、衣類、電子レンジ、食料などの生活用品、机、Wi-Fi、携帯電話、スキャン機、等々、仕事に必要な機材を、いろんな機関(や個人)が用意してくれて、やっとスタートラインに立つことが出来ている次第です。



それでも、いろいろと不満や腹立たしいことは有ります。

昨日は1時に生活保護支給金(2万2014円)を受け取りに行くことになっていて、なおかつ新しい担当者に代わる旨、先週末に確認を取っていたのですが、何の通知もなく3時に変更、2時間近く待たされる破目になってしまいました。そりゃ腹が立ちます。それで様々な不満を、たまたま窓口にいた全く面識のない若い女子職員に2時間近く滔々とぶつけていました。仕事とは言え、嫌な顔一つせず延々と聞き続けてくださった職員嬢には申し訳ない思いでいっぱいです。



飯塚に来てから、ちょうど1年半になります。その間に、担当者が4回も交代しました。最初の方は(怒りっぽいのが欠点だけれど)とてもしっかりした方で、様々な相談にも乗って頂けた。変わるごとに劣化していきます(良い人達ですが、笑)。どんどん若くなって、ついには、大学出たてと思しき若者男性です。上記女子職員とは2時間近く話していたのに、彼との会話は1分程度。不安満載です。青梅市役所の、とんでもない(散々な目にあった)若造職員とレジャブが一瞬過ぎったのですが、まあ、そうでないことを祈るしかありません。



そもそも青梅市役所では、それまで(2022年初めまで)の苦労人中年担当者から、とんでもない若者(いかにも勉強だけは出来そうなエリート職員)に代わったことで、悲惨な方向に進み始めた。

具体的な事は飛ばします(次回記す予定)。理不尽(ほとんど嫌がらせ)としか言いようのない理由で、生活保護の打ち切り。その過程が余りにも酷かったものですから、飯塚に来る直前の一昨年7月、東京都と青梅市に告訴状を送りつけました。



丸一年経った去年7月に書類上の受理がなされ、ついては正式な手続きをするようにとの通知が来ました。一年間も棚上げされて今更という思い、加えて(時間の無駄でしかないと)周囲の方々のアドバイスもあり、そのまま放っておいたのです。

すると、また一年近く経った先月、訴えは却下するとの書類が届きました。その理由は、もう笑ってしまうしかない、優等生による教科書的理論答弁が延々書き綴られていて、到底理解も納得も不可能、(反論したいことは山々ですが)無視するしかありません。



すると、昨夜、青梅市から52万円余の賠償命令の書類が届いた。もっともこれは初めてではなく、2年前に問題が起こるより数年前から、計4~5回目の催促です。健保など必要な支払いが未納になっていて、結果として生保金支払いが超過しているため、還元返済しなければならない、ということで、青梅市から支給されていた6万円前後から、毎月5000円~1万円を天引きしていく、ということで話が済んでいたのです。順調に青梅での生活保護が続けられていたならば、現時点で半分以上は完了しているはずです。しかし停止になってしまったら、そうは行かない。僕の訴えが却下されたからには、すぐにでも支払え、ということなのでしょう。当面無視します(その辺りのことは次回)。



そもそも、飯塚市から貰える2万円余(初めの頃は3万5000円ほどだったのが、担当者が変わるごとに減額されていく)というのは、東京の家賃(実質書庫代)に相殺される年金分を引かれての事、東京に部屋があるなら、東京で生活保護を受けるべきで、飯塚で保護を受けるのはおかしい、と指摘され続けてきました。でも、それが出来ないからということで、渋々(?)飯塚市が受け入れてくれているわけです。



飯塚市の職員たちも、支給額が2万円少々、光熱費等々を差し引くと、実質1万円前後で、ひと月(HDD修理費の月々の支払を含めれば実質0円)の生活費で暮らすのは、さすがに無理だろう、と同情してくれています。

で、皆、口を揃えてアドバイスをしてくれる。

青梅の部屋にキープしているダンボール120箱分の資料も、修理費未納のHDDも、全部捨ててしまいなさい。そんなものは、生活には必要のないもの。それよりも、(十分な保護費を得て)人間らしい生活をしつつ余生を送ることの方が、遥かに大事です、と。



大きな問題ですね。



先に結論を述べておくと、突き詰めれば空気への同調圧力。人類総責任逃れを第一義に構成される民主主義社会への順応指示。



人間にとって、ことに高齢者にとって、生きる、という意味。

2つの解釈が存在します。

大多数と、(僕を含む)ごく少数の。

無論、正しい答えは前者(⓵)であり、後者(⓶)は間違った答えなのですね。

本来なら答えなど存在するわけはないのですが、空気に乗っかって理路整然と、当然のごとく導かれた答えが真実・正義であるわけです。



⓵大多数の人々の見解

年寄りは、金も生活も国や行政が助けてやるので、おとなしくお金貰って、それなりに美味しいもの食べて、寝転んでテレビでも見て、死ぬまで余生を楽しく、人間らしい生活を送れば良い。何よりも大事なのは自分の命。それを守る為に手助けをしてやるのである。余計なことはしなさんな。命の為には、他のことなどはどうでもよい。命に勝るものは(当然のことながら)どこにも存在しない。



⓶(僕を含めた)少数の人々の見解

本当に命が全てなのか?

人間は、死なないことが第一義で生きてきているのか?

僕はそう思はない。

生きるために手を貸す、それは、責任逃れの発想でしかない。



僕は今月76歳になります。客観的に考えれば、充分に生きてきたわけです。(まだ生き続けることが出来れば有難いですが)いつ死んでも文句は言えない。



一方、僕自身が人生をかけて、かつ多くの人々の尽力を得て、積み上げてきた“仕事”は、僕自身の為にも、協力してくださった人々の為にも、少々大袈裟に言えば、人類や地球の為にも、引き継ぐ責務がある。



今後僅かの個人の命と、膨大な可能性を未来に残す仕事(写真やデータや作品)と、どちらが大事なのか? 僕にとっては後者であるのは当然のことです。



しかし、国も行政も大衆も、(建前上)命は尊く全てに勝る、と考えているのですね。それ(命を繋ぐこと)に関しては全面的に協力をする、付随する些末な事には一切関与しない(僕には責任逃れの現れだとしか思えないけれど)。

残りの人生(1年かも知れないし1日あるいは10年かも知れない)“人間らしく生きる”(インチキ感満載の実に嫌な言葉だ)ことだけに全力を注ぎなさい、と。



僕には(よほど頭が悪いからなのか)どうしても理解が出来ません。



何度も言います。76歳まで生きてきたのだから、この後どうなろうが文句は言えません。

しかし、膨大な資料(地球の財産です)を形に整え、将来に引き継ぐことは、命の継続より上位の、最優先事項です。



ぼくのような考えは、大衆の価値観、道徳観からすれば、間違っている(=悪)なのでしょうか?

依存症、あるいは(正義にとって都合の悪い)陰謀論と同じ、と見做されるだけなのでしょうか?



・・・・・・・・・・・



二階引退、ひき換えにお咎めなし(および“ばかやろう”発言)、というニュース。

二階氏85森氏87。

ちなみに麻生氏83(実家は僕のアパートのすぐそばです)、でも何故か彼のヤフコメでの評判は余り悪くないみたい。

(ちなみに、ジョニーは今月20日で86、もう10年近く前からヨボヨボです)。



いや、分かりますよ(笑)。

>二階にしろ森にしろ、もはやお呼びでない。

確かに。

>こいつら、たまたま権力を得て、この年になっても、それにしがみついているのは、一にも二にも、お金の為。

でも、僕の感覚では、何もお金の為に、権力にしがみついているのではないと思う。彼らなりに一生懸命に(老体に鞭打って)国や国民を思って(それはそれで困るわけですが、笑)行動しているのです。

どうして(世間的な物差しでは頭が良いのかもしれない)大衆の思想と言うのは、こうも貧弱なのでしょうか?

どころか、とんでもない(年齢)ハラスメントなんですけれどね。



彼らへの批判自体は間違ってはいないのかも知れないとしても、余りの金太郎飴的無個性コメントの行列、見ているだけで恥ずかしくなってきます。

その中にあって、実にセンスの良い秀逸コメントを見つけました。

Olx…さん。

>二怪氏と田原総一郎氏で、朝までばかやろう対談をやってほしい。

笑ったです。






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