青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

「依存症」の本質について

2024-03-22 22:09:13 | その他




暫くは、大谷絡みの話題で行きますね。



僕にとっては「オガサワラシジミ絶滅」をはじめとした野生生物関係の話題も、「大谷の危機」の話題も、同根なので。なんなら、コロナも、ウクライナも、遡って香港デモも、ここしばらく取り上げていないアメリカン・ポップス関係の話題も。



はじめに断っておくと、僕は(多くの日本人野球ファン同様に)大谷選手の大ファンで、彼の人柄云々とかは知らないけれど、前人未踏の挑戦と誰にも成し得ない結果に関しては、文句なく賛美するしかありません。それは必ずしもポジティブな評価だけでなく、野球という団体競技においてネガティブな部分もひっくるめてです。ついでに言えば、一平氏に対しても、胡散臭い、だらしなさそうな人だなと、ずっと思ってはきたけれど、それをも含めて愛すべきキャラであるという受け止め方は、今も変わりないでいます。



ちなみに、僕以外の大谷ファンに対しても、親近感を持っていますが、ただし「大谷崇拝者」には、辟易している、というのが正直な気持ちです(イチローや野茂の時も同じ)。



今回(おそらく今後の展開も含めて)の問題は、単に一通訳、一野球選手の問題にとどまらない、大変な意味を持っていると思う。大袈裟な表現かも知れませんが、日本人、あるいはアメリカという国家、ひいては、民主主義、資本主義、、、、それぞれの本質に直結する問題提起なのではないか、と思っています。



以下、僕が感じたことを、アトランダムに箇条書きで示していきます。



・・・・・・・・・・・



そもそも、スポーツ自体、その勝敗、ギャンブルと被る要素があると思う。



一平氏は、依存症どころか、大学卒業後に、ギャンブルのディラー養成学校で学んでいたとのこと。スポーツの賭け(自分が関わる野球を対象とする場合はともかく)に対しても、ネガティブな心象は持っていなかったはず。それは大谷だって同じかも知れません。



そもそも(むろん現場の人間が直接携わることはご法度としても)大リーグ機構自体が、賭けによって潤う部分があるわけで、合法的なスポーツ賭博を推奨し、どっぷりと積極的に関わっていたわけです。



大阪府のカジノ誘致などについても同じですね。



単に、法律で認められれば、(多くの人々に利益を齎す)「善」。認められなければ「悪」という図式です。それが民主主義の基幹なのです。法は絶対、なによりも上位に位置します。「いかなる理由があろうとも人を殺してはならない」という大前提で、なおかつ法による処刑は「いかなる」からは除外されるのです。考え方に拠れば、それ自体が異様だと思うのですが、皆そうは捉えない。



前回も記したこと。大谷は、一時「仮想通貨」機構の宣伝塔となっていました。倒産して主催者は失脚投獄、大谷の存在によって関わって辛い目にあった人々もいるわけで、本来ならば、ある程度の責任を負う必要があります。



1000億円後払いの件も日本では美談に成ってはいますが、単純に山本獲得などのために為された裏技と考えれば、それを犯罪と見る向きもあるわけで、実際に検察などが動き出しているとも言われています。



お金には無関心、無頓着。(だからこそ)「お金」も、ある意味ゲーム感覚で、良くも悪くも好き勝手に対することが出来る。今回、もっと単純に、大谷も(軽く野球ゲーム感覚で)何らかの立場で参加していた可能性があるのではないかと思っています。



お金に無頓着で恬淡、言い換えれば、お金にだらしない。それは美徳でも欠点でもないのです。大多数の人(殊に日本人)は、“お金にしっかりした感覚を持つ人”が立派であると、価値観の中に刷り込まれているわけですが、なに、言い換えれば、お金に汚い、だけの事です。



一平氏が、「ギャンブル依存症」と自らカミングアウトした由ですが、何か違和感を覚えます。先ほども記したように、カジノのディラーを目指していたぐらいですから、肯定的意味合いも込めて、漠然とそう表現したように感じます。



この一連のニュースのなかに、次の様な、目から鱗の落ちる(ana*****さんと言う方の)コメントを見つけました。

>変な話ですけれど、○○雑誌を買い始めたら、もう依存症の入口だと思います(病気として確定診断されるかどうかは別の話として)。定期購入したらもう決まりです。競馬雑誌、パチンコ雑誌、麻雀雑誌に留まらず、いろいろありますよね。アイドル雑誌、野球雑誌とか、音楽雑誌も、ある意味では依存症頼みだと言えます。SNSもね。大衆を何かの依存症にすることで、本当は使わなくても生活に何の支障もない無駄金を使わせる、これが資本主義の在り方です。罠はどこにでも転がっています。



そうなんだよね。



“依存症”の本当の意味に、誰もが気が付かないでいる。



普通に、社会構造の中に、無意識の依存症的要素が組み込まれている。皆、何らかの形で「依存症」であり(それを医学が「疾患」と判断しないだけ)、それを基に為される同意圧力に無意識のうちに相互に加担し合っているのです。



本質的な意味では必ずしも必要としない様々な要素を、あたかも生活に必須な要素と刷り込まれることで、資本主義社会が回転しつづけ、成り立っているわけです。



ファッションにしろ、食べ物にしろ、エンターテイメントにしろ、無意識的に依存を推奨(同調圧力)する流れが構築されてしまっている(僕だってある意味ネット依存症)。



大多数の人の賛同を得ることが出来れば、本質とは無関係に、社会にとって「正義」であり、そうでなければ、(本質とは無関係に)「悪」とされる。ギャンブルとか薬物とかは、そのボーダーラインを行ったり来たりしているわけです。たまたま「悪」の側に引っかかると「極悪人」となる。



法律あるいはルールを守る、ということは、本質的な善悪を問うのではなくて、自分が「同調圧力」「空気」「集団性自己中」に基づくセフティ・ゾーンにいる、ということです。それが悪いとは言いません。集団の形成・安定(いわゆる“平和”ですね)にとっては必須要素だと思う。でも、それだけが「善」ではない。



野茂の時だって、掌返しは凄かったですよ。それを自分たちが行っていたということを、皆スッポリと忘れている。英雄崇拝者、そして池に落ちた犬を棒で叩く。それを繰り返し行っているのは、プーチンでもトランプでもなく、自分たちなのです。





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