フルートおじさんの八ヶ岳日記

美しい雑木林の四季、人々との交流、いびつなフルートの音

「ローマ人の物語15巻 ローマ世界の終焉」を読了する

2011-06-15 | 濫読

今日も梅雨の晴れ間で、重い雲の隙間から、時折、日がさしている。

読み進めてきた「ローマ人の物語 第15巻 ローマ世界の終焉」を一気に読み終えた。感無量である。筆者が求めている「ローマ人が分かる」ということに、どれだけかなうことができたかは、はなはだ疑問であるが、「想いは共有」できたような気がする。

「ローマ人の物語」全15巻は、塩野七海が1992年から、1年に1冊ずつ書き進めてきて、2006年に完結した著作である。最初は1年に1冊なら同時進行で読めると思っていたものの、現実はそんなに簡単なものではなかった。途中何度か、中断があったが、何とか読みつなぐことができた。自分の人生の中でも、これだけの長い書物を読んだのは、これが初めてである。

紀元前753年に建国されたローマは、1229年後、紀元476年に滅亡した。西ローマ帝国滅亡後に、ゲルマンの東ゴート人が支配したイタリアを東ローマ帝国が再復する戦い=「ゴート戦役」があった。これを命じたのが「ローマ法大全」で有名なユスティアヌス大帝である。「ゴート戦役」は紀元536年から553年の17年間も続くことになる。東ローマ帝国はこの戦いに勝つために、北方の新興蛮族であるロンゴバルド族を雇い入れる。戦いの大義名分は、東ゴート族は同じキリスト教でありながら異端のアリウス派を信仰しているので、正当なカソリックが邪信を壊滅しなければならない、ことにあった。キリスト教は、とりわけカソリック派は、異教よりも同じキリスト教の異端の方を憎み、排除しようとする。最後はビザンチンが勝つものの、その後568年、雇い入れたロンゴバルド族がイタリアに侵略し、イタリアはロンゴバルドとビザンチン領に四分五裂する。ビザンチンは、「ゴート戦役」で疲れ果て、ペルシャやバルカン諸国から浸食されていく。

その後紀元613年にアラビア半島でマホメッドがイスラム教を布教し始めると、またたく間に、中東、北アフリカ、イベリア半島がイスラム圏となっていく。

塩野七海はこの膨大な著作の最後を次のように締めくくった。

「地中海は、もはや、ローマ人の呼んでいた(内海)ではなくなっていた。異なる宗教と異なる文明をへだてる、境界の海に変わったのである」
「ローマ世界は、地中海が『内海』でなくなったときに消滅したのである。地中海が、つなぐ道ではなく、へだてる境界に変わったときに、消え失せてしまったのである」
「だが、それも、紀元1千年を過ぎる頃となると、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアという、東方のイスラム世界との交易に向かうイタリア海洋都市国家の船が行き交う海になっていく。
そして、その後ならば、古代復興と人間の復権を旗印にかかげた、ルネッサンス時代の海にもなっていくのである。
盛者は必衰だが、『諸行』も無常であるからであろう。
これが、歴史の理ならば、後世のわれわれも、襟を正してそれを見送るのが、人々の営々たる努力のつみ重ねでもある歴史への、礼儀ではないだろうかと思っている。

                                                                                               完」

「あとがき」

「この『ローマ人の物語』全15巻は、何よりもまず私自身が、ローマ人をわかりたいという想いで書いたのである。書き終えた今は心から、わかった、と言える。そして、読者もまた読み終えた後に『わかった』と思ってくれるとしたら、私にとってはこれ以上の喜びはない。なぜなら、書物とは、著者が書き、出版社が本にし、それを読者が読むことで初めて成り立つ媒体だが、この三者をつなぐ一本の赤い線が『想いを共有する』ことにあるのだから。

2006年・秋、ローマにて
塩野七海」