へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

「民意を反映させる」と言うことの危険性(諸刃の刃)

2008年07月06日 04時18分04秒 | Weblog
石原知事による「東京都独自の二酸化炭素排出量削減計画」には、「一般家庭の排出量削減」と言う事は盛り込まれていない。
国の二酸化炭素排出削減計画にも、表立って一般家庭の排出削減は盛り込まれていないのだが、これも「民意を反映させた結果」と言えるだろう。
産業界は削減のための努力をしていると言うのに「一般家庭は排出量を30%も増加させている」と言う矛盾した事が平然としてまかり通っているのだが、「公平の原則」と言う観点から見ると、一般家庭も6%の削減を実行するためには「6%プラス30%=36%」もの排出量の削減をしなくてはいけないことになる。
「現状より36%の削減」と言うことは、白熱電球を蛍光灯に替えたり、省エネ機器を導入した程度ではとても実現は難しいだろう。
多くの家庭が「生活が苦しい」「やりくりが大変だ」と言っているのだが、本当に苦しいのだろうか、私にはいささか疑問に思えて仕方が無い。
66年も生きてきて感じるのは、「現代社会は、あまりにも生きるために必要無い物が多すぎる」と言うことである。
経済発展と言うことが「お金が無ければ生きてゆけない」と言う弊害をもたらしている。
「経済発展と言う美名」の陰に「商業主義(金儲け主義)と言う魔物」が潜んでいる事に気がつく人は少ないだろう。
次から次えと新製品が開発されているのだが、「消費者の欲望を充たす(民意を反映させる)」と言うことが表看板になっているが、これも裏を返せば「金儲けの道具」と言うことが出来るであろう。
「民意が反映された」と喜んでいると、何時の日か、「巡る巡って自分の身に降りかかる」と言う事になってしまうのだが、時分の身であれば「自業自得」と言う事になるのだが・・・・。
人類は、脳の発達により文明を発達させてきたのだが、その発達が新しい問題を引き起こしているのだが、これも「諸刃の刃」である。
「民意を反映させる」と言うことも「諸刃の刃になる」と言うことが理解されていない。


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