goo blog サービス終了のお知らせ 

一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

内向きの競争意識

2004-12-23 | あきなひ
7時半に目覚ましをかけたが、辺りはまだ暗い。
しかし街は動き出しているようで、下の通りをバスが走る音が聞こえる。

8時半ごろ2階のホールで朝食。
ホールの壁面・天井は一面に装飾が施されていて重厚感たっぷり(写真はそのホールの壁面から天井にかけてのもの)。

コンチネンタル・ブレックファストと思いきや、ソーセージ、ハム、チーズ各種にスクランブルエッグなどもあり、フルーツも充実している。
ここ2食は機内食だったせいもあり、とてもうれしい。

ホールが広い割りに朝食をとっている人が少ないのでちょいと寂しい。これは寝坊したせいなのか、オフシーズンで宿泊客が少ないせいなのか?

日本人客が結構多い。クリスマスシーズンに旅行に出かけるのは日本人くらいなのだろうか。

ところで日本人客と廊下ですれちがった時に「おはようございます」と挨拶をすると、ちょっと怪訝な顔をされる。

昔から日本人は海外旅行の旅先で日本人に会うのを嫌うような感じがする。

わざわざ海外まで来て日本人に会いたくない、という気分もわからないではないが、まったく会わないというのは自家用機で行くとかホテルを貸切にでもしない限り無理な相談だ。
これは「私はあなたのような観光客丸出しの人とは違うのよ」ということなのか

こっちは別に馴れ馴れしくつきまとおう、とか友達になってくれというわけではないので、挨拶くらい返してくれたっていいと思うのだが・・・
どうも日本人同士には微妙な距離感があるような気がする。



「日本人同士の距離感」ということでいきなり話は変わるが、日系の華僑の人の話では、中国でビジネスをしていても日本企業は日本企業間の競争とかどうも内向きのことに関心が行くらしい。
「商売をどう成功させるか」よりも「どう日本のやり方で仕事ができるか」を優先させてしまう。
それでたとえば「日本語の話せる中国人」を雇うことを優先し、日本で中華料理屋で皿洗いをしていたような、ビジネス経験のない、単なる調子のいい人間を雇って痛い目にあったりする。

一方で、ビジネスの関係なのに日中戦争や靖国神社の話を中国人相手に始めてしまい、関係を悪化させる人も多いとか。
そんなのは百も承知だろうに、日本人には中国に行くと日本を代表して戦後問題を議論したがる人が多いらしい。
しかし当然のことながらその日本人は日本政府の代表でもないし、中国側もビジネスをしにきているだけで、たとえそれが役人だとしても(だとすればなおさら)政府の外交政策についてコメントできるわけがなくい。
結局そこで壁ができてしまう。

華僑氏曰く、中国人や中国に進出している他の外国人と渡り合うためには、当たり前だが「中国においてどういうビジネス(平たく言えば金儲け)をするのか」を中心に考えていかないといけない。そもそも中国人はタフネゴシエーターだし、アメリカ人もgreedyななかで、日本人同士の足の引っ張り合いをしている暇はない、とのこと。


また話は変わるけど、不況下で「成果主義賃金体系」を導入した企業が増えているが、なかなかはうまくいかない、という話をきく。
これもそもそもの導入の動機が、年功序列主義を排して、賃金原資を維持しながら成果をあげた従業員により多く配分することで組織のモチベーションを上げ、生産性を向上させようとういうものだった。
ところがよく考えてみると、原資=総額が変わらないのであれば結局従業員間の賃金変動はゼロサムゲームになるので、外部に向けて成果を上げるよりは内部で足の引っ張り合いをして自分のポジションを上げたほうが効率的だ、ということがわかる。
なので、現状の成果主義体系は「ボクは、ワタシはこんなによくやりました」という幼稚園児の発表会のような内部で褒めてもらうための競争をもたらしているだけなのではないだろうか?


話がとりとめもなくなってしまいましたが、内輪同士でつまんないライバル心を燃やすよりは、協力して外から何を得てくるかが大事だよね、という話でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眺めのいい部屋

2004-12-22 | うろうろ歩き
成田12:45→パリ17:25,パリ18:45→フィレンツ20:40という乗り継ぎで、フィレンツェまで一気に到着。
出発時刻を早朝を避けた結果乗り継ぎがきつくなったけど、同じエールフランスだし乗り継ぎ前提の予約が取れたので安心していた。

ところが、そもそも出発予定が30分遅れ。
さらにチェックインしたが搭乗しない人がいることが最後の人数チェックで発覚したので、その人の荷物を降ろしたりして結局成田を離陸したのが1時間遅れ。
テロ対策なんで仕方がないが、ちょいとあせる。

一応乗り継ぎのチケットなので、乗り継ぎに間にあわなければエールフランスがどうにかしてくれるだろうけど、機内持ち込みの手荷物だけでシャルルドゴール近くの安ホテルに泊まって翌朝一番の便に乗るというのもぞっとしないな・・・などと機内でやきもきしていたが、今更どうしようもない。
で、一眠りしたところ、かなりスピードアップして挽回したようで、到着予定時刻が30分遅れと表示されていて、一安心。

結局30分遅れの17:55に到着。余裕だと思っていると、乗り継ぎの案内の女性が搭乗開始が18:05だから走れ、という。
後からわかったのだけど、乗り継ぎ便はバスで移動するため、早めに搭乗を開始するようだ。
というわけで、眠いうえにむくんだ足をひきずり、まあ、でも荷物は積み込まれてるはずだから人間だけ置いて行きゃしないだろ、と半ばタカをくくりつつ、でもいちおう早足で歩く。
入国審査(EUに最初に入るところでPassport Controlがあるようだ)を通って、乗り継ぎのゲートまでたどり着いたら"delayed"だって・・・まだ、搭乗手続きの「と」の字も始まっていない。
乗り継ぎのところで案内を見ておけばよかったが、画面が8つもあったので確認を面倒くさがったツケがまわったってことか。

で、どうにか乗り継ぎ便でフィレンツェへ。

フィレンツェの空港(アメリゴベスプッチ空港。アメリゴベスプッチはフィレンツェ生まれ。)近距離の便が中心らしく、ターミナルも平屋でこじんまり。飛行機のタラップを降りると、ターミナルまでは徒歩。日本で言えば八丈島空港のような感じ。

タクシーでホテルへ。
15分くらいの道程だが、10分くらい走ると旧市街にはいり、フィレンツェに来た、という雰囲気にひたれる。
タクシーの運転手はこちらの感慨にはお構いなしに狭い路地をガンガン飛ばす。

無事にホテルに到着。
泊まるのはHotel Astoria
フィレンツェのホテルは★から★★★★★までにランク付けされていて、ここは★★★★。
ロビーの雰囲気もなかなか豪華。元は16世紀の貴族の住居だったというだけのことはある。

部屋に案内され「ここの部屋にはバルコニーがあって眺めがいいですよ」と窓をあけて外を見せてくれる。
バルコニーの手すりに小さなクリスマスツリーが取り付けてあって、キラキラ光ってかわいい。
目の前はフィレンツェの茶色の瓦屋根が連なり、右手にサンタ・マリア・ノベッラ教会が望める。

内装も照明器具や家具・調度品も凝っていて、一方バスルームは改装されていて清潔感がある。

苦労して15時間飛行機に乗っただけのことはあった。


ところでフィレンツェは映画「眺めのいい部屋」の舞台にもなっていて、本家「眺めのいい部屋」はHotel degli Orafiのベッキオ端を望めるテラスつきの部屋。ただしここは一杯だった(しかもけっこう高かった)。

でも眺めもこれくらいよければ十分満足満足。

ということで今日はゆっくり骨休め。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どっちかに決めてくれ

2004-12-22 | よしなしごと
旅行に備え、知人から海外用の携帯を借りてきた。

Motorola製のvodaphone
日本からでもそのまま080・・・の番号をかけるとつながるらしい。

ということは、国内の携帯だと思ってかけたらひどい目にあう、
ようなこともこれからは頻発するのだろう。

と、ふとよく見ると、通話の「入(=受話器を上げる、緑の印)」と「切(=受話器を置く、赤の印)」の位置が日本と逆。
かけるときには右側を押すようになっている。

もともとどちらでないといけない、というよりは決め事の世界の話なので、
多分最初の設計がちがったんだろうか?

道路の右側通行・左側通行と同じか?と思ってMotorolaの他の製品(UK)を調べてみたら、
他は日本と同じだった。

この製品の頃はこういうのが流行りだったのだろうか?


そういえばテンキーも電話と電卓では数字の配列が違う。

電話は
123
456
789
 0

ところが
電卓やPCは
789
456
123


これは世界共通でこうみたいだ。
最初の設計が違ったのか?

ところがややこしいのはampmにあるATM

普通の銀行にあるATMは電卓型配置なのに
ampmのは電話型配置

これは電話・通信機メーカーに作らせたからだろうか?


でも、こういう操作系の基本を変えるのはやめて欲しいものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒップハング?

2004-12-21 | よしなしごと
GAPに行ったら、
フィッティングルームのところの店員が
客が試着している分のハンガーを
自分のジーンズの後ろ側のベルトを通すヒモに引掛けて
お尻からぶら下げていた

ほんとだって・・・

その人だけではなくて他の人もやっていたんだから

確かに両手が開くので楽なんだろう
それともお尻にハンガーをぶら下げて歩くのが、プロっぽくてかっこいいのだろうか?

中には2つつけている人もいた

店員同士でひそかに何個ぶらさげられるかの競争をしているとか?

それとも渋谷店だけの流行なんだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選択と集中

2004-12-20 | あきなひ
上海に赴任している悪友が一時帰国するというので、仲間内で飲みに行った。

相変わらず元気で、今はゴルフと小姐(シャオチ=要は飲み屋のオネーチャン)に凝っているらしい。
ゴルフは年間80ラウンド。
小姐はオキニを店のNo1にしているくらい投資している。

いかに中国の物価が安いといっても、
ゴルフは本人はメンバーらしいが連れを誘うとワリカンだし(ビジターはそれなりの値段)、ニギリも勝ったり負けたりとけっこう金がかかる。
小姐は飲み代だけでなくいろいろおねだりもされる。(今回もMP3プレーヤー(これは日本で買ったほうが安いらしい!)を2つ(自分用と小姐用)お土産に買っていた)
結局相当(合計数百万)の投資をしているようだ。

なかなか島耕作のようにスマートにはいかないが、本人は「自分の度量を試したい」と投資の醍醐味を語っている。

ちなみに中国の小姐マーケット(そんなのがあるとすれば)では、友人の入り浸っている日本人相手のクラブはAクラスの下からBクラスの上くらいがいるとのこと。
Aの上とか特Aクラスは香港の金持ちがすぐに店から揚げて囲ってしまうらしい。


資本力の差はいかんともしがたいようだ。


これに比べてやはり日本は民主的(というか中国より社会主義的なのかもしれない)、というエピソードがある。


会社に、婚約をドタキャンされたAという男がいた。
やけくそになったAは結婚資金を六本木の高級キャバクラにつぎ込んだ。
結婚資金を使い果たしてもクセになった豪遊がやめられず、キャバクラ通いを続けた。

そのうちAはその店では、いきなりVIPルームへ通され、店長が挨拶にくる、という待遇をされるようになった。
既に総投資額は数百万にのぼっていた。

ある日会社の人間がAに連れられてその店に行くと、


隣で清原が飲んでいた。


1点集中投資をすれば、年収数十倍の人間とタメを張れるという認識を新たにした。


もっとも以前深夜の六本木のラーメン屋で、斜め向かいに清原がいたことがある。
このときの俺の投資額は650円。

<本日の教訓>
集中は覚悟の問題だが、選択は価値判断がからむだけに難しい。

しかし、市場や第三者に評価されない「選択と集中」の方が本人にとっては間違いなく楽しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

損して得とれ

2004-12-19 | 買い物
長旅のお供にMP3プレーヤーを買った。

今までウォークマンもポータブルCD/MDも持たなかった身としては、結構な暴挙。

機種の選択基準は購入動機とほぼ一致していて
①軽くて小さいこと(首にかけられるので荷物にならない)
②フラッシュメモリー型(多少乱暴に扱っても大丈夫)
③乾電池式(充電器の持ち運びは面倒だし、駆動部分がないので結構長持ちする)
④最初は安くて十分(256Mもあれば126bpsで60曲くらい入る)

結局Rio SU10という機種にした。
12,800円也(これにビックカメラのポイントが10%つく)と、まあ、お手ごろ。

早速CDをレンタルし、家のお気に入りとともにMP3に変換して入れてみる。

プレーヤーとしてはありがたみのないほどちっぽけな機械なんだけど、音は(当たり前だが)問題ない。
残念なのは操作系で、ディスプレイが1行しかないので、好みの曲を頭だしするのがちょっと面倒。
フォルダの名前を工夫して、よく聞くのは最初のほうにくるようにする必要がある。

Rio社のアメリカのHPを見ると、高級機種は操作性もよさそうだし、デザインもいい。
他にも本家i-podや携帯電話の参入もあり、ここしばらくは伸び筋商品になりそうな予感がする。

そもそもなんで今頃流行りだしたのか?と思うくらいだが、やはり著作権の問題があったのだろう。
日本ではダウンロードの販売はまだ一部だけのようだけど、アメリカではi-Tunesのダウンロードストアのように1曲ごとに安価にダウンロードできる。
(このサイトからダウンロードしようとしたら、アメリカのクレジットカードがないとダメだと言われてしまった。)
これがi-podの大ヒットの原因なんだろうけど、レコード会社(著作者側)にとってもそんな悪い話ではないと思う。
アメリカのように1曲99セントであれば、いちいちCD借りてファイル変換などはしないだろうし、いいアルバムならCDを買う。
要は「損して得とれ」の精神が大事で、今までのようにMaxi-singleとかのぼったくり商売(としか思えないのだが)を続けようとする人々には抵抗があるのだろう。

個人的にはこれが音楽生活向上のきっかけになるかどうかがポイント。

あ、音楽じゃなくても、落語とか電車に乗りながらのんびり聴いてみたいな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

缶の中身

2004-12-19 | キネマ
「ターミナル」を観てきた。
(ブログ初心者ゆえ、ネタバレがどこまで許されるのかわからないので、極力内容に触れないようにします。なので、見ていない人には全然わからないかもしれません。)

トム・ハンクスは
「予想外の状況に戸惑う」
「自分の思いがうまく伝わらないもどかしさ」
「でも、強い意志でがんばる」
という表情が十八番のようだ。

「フォレストガンプ」や「キャストアウエイ」(こっちは見ていないんだけど)と同じ流れと言ってしまえばそれまでだが、

エピソードも豊富で脚本もしっかりしているし
(最後のところはエピローグ風になっちゃってちょっとあっさりしすぎかな、と思うけど)
トムハンクスは細かい演技がうまいし
(大工仕事はけっこうさまになってた)
ジョン・ウイリアムズの音楽もいいし。

素直に面白い映画でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パンダ・東大・印象派

2004-12-18 | よしなしごと
「パンダ橋口」というと何か売れてない芸人みたいだが
上野駅の中央口(昭和通り側のメインの入り口)と公園口を結ぶ新しく橋ができて、
その名前がパンダ橋という。
そして、上野駅からパンダ橋に直接出る出口が「パンダ橋口」

他に名前のつけようもないんだろうが、ちょい間抜け。


似たようなものでは井の頭線の駒場東大前駅もホームを降りると出口の案内は「東口」と「東大口」(「ひがしおおぐち」でなく「とうだいぐち」)

確かに西側の出口を出ると、そこには東大駒場キャンパスしかないんのだが、案内板を見るとあれっと思う。
それがそのまま通るのが東大の威光か・・・


それにしても上野はパンダ依存症に近い。
上野駅のパンダ橋口の反対側には「パンダの像」があったりするし、至るところパンダだらけ。


まあ、日本人はそもそもパンダ好きなのかもしれない。
サイパンに行くと「サイパンダ」という名前からして日本人にしか通じないキャラクターがあるらしいし。

で、昨日、そのパンダ橋を渡って、東京都美術館でフィレンツェ-芸術都市の誕生展を見に行く。

19日が最終日ということで平日なのにかなりの人出。
お年寄、そこまで行かないけど定年直後風のオジサン、元気なオバサンがメインだが、カップルや学校帰りの高校生風も。
さすがイタリア人気

絵画・彫刻だけでなく彫金、タピストリー、建築、書籍、医療など、限られたスペースの中でルネッサンス期のフィレンツェが幅広く理解できるようになっていたのはよかった。
ミケランジェロだけいっぱい借り出すのは難しかったのかもしれないけど、よくある1点(または数点)豪華主義の企画(「印象派展」とか、ね)よりはとても真っ当。


ところで、美術館における「印象派展」は確実に集客の見込める企画
貸し出す美術館側でも、オフシーズンとか改装中のいい小遣い稼ぎになるんだろうし、サッカーのレンタル移籍みたいなもんだ

ちなみに百貨店における「北海道物産展」も確実に点が取れるポイントゲッターらしい。
確かにこの2つはどこかでは必ずやっているような・・・

何かフィレンツェの話のはずが、流行りもの(ブランドイメージ、というのかな?)になってしまったけど今日はここまで。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あてつけ

2004-12-17 | おイヌさま
犬の機嫌が悪い

事の発端は、

普段は小型犬用の餌(小粒)を買っているのに、
今回間違えて普通のタイプ(大粒)を買ってきてしまったこと

最初はそれでも腹が減っていたので何粒か食べたものの
結構固いらしく、噛み砕くのに苦労するようだ。

そのうち口をつけなくなった。

腹が減ると、飯を催促する。
「そこにあるじゃないか」と言っても、
置いてある餌には見向きもしない。

しかし俺が飯を食べていると

大きな粒を一コだけ咥えて
トコトコと俺の足元にやってきて
そこで齧りはじめる

「カリッ」
「コリッ」

なかなかうまく割れないようだ

顎が丈夫になっていいんだぞ、と言いながら
これも親心と無視

そのうちに噛みそこねたらしく床に落としてしまい
「コツン」と小さな音がする。



そして



「フゥ」と小さくため息をつく



いやな奴だ・・・



そしてまた


「カリッ」
「コリッ」



「コツン」






「フゥ」






・・・





わかった、俺が悪かった。

明日小粒を買ってやるよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イサムノグチ庭園美術館

2004-12-16 | うろうろ歩き
イサムノグチ庭園美術館を訪れる。
* 写真撮影禁止だったので今回は画像は無し

牟礼という高松から電車で20分ほどのところ。
イサムノグチが50代半ばから晩年まで日本での制作拠点を置いたアトリエをそのまま美術館としている。

牟礼は庵治石という墓石などに使われる灰色の花崗岩の産地で有名。そのために石工が集まっている。
確かに駅から美術館の道筋にも、石材店が立ち並び、店頭に灯篭とかモニュメント、蛙や狸の像などいろんなものが飾ってあって、ここは特殊な町だな、と気づかされる。

イサムは春と秋の2,3ヶ月間を牟礼で過ごし、制作に没頭した

今回事前に『イサムノグチ 宿命の越境者』(ドウス昌代著 講談社文庫)を読み始めたが、ちょうど、牟礼にアトリエを開く前くらいまで進むことができた。

アトリエ全体が美術館を構成しているので、受付の小屋で集合し、学芸員について見学する。

まずは「マル」と呼ばれる円形に石垣で囲まれた作業スペースと作業蔵。
白砂の上に作品と製作中の石が置かれている。
その配置も最晩年にイサムが考えながら置いたものだという。

その隣に展示蔵がある。
ここには代表作のひとつ「エナジーボイド」という4mくらいの彫刻がある。
まずエナジーボイドが完成し、蔵はこれを保管するために酒蔵を探してきてそれを彫刻の上からかぶせるように移築したとのこと(入り口からでは入らなかった)。
エナジーボイドは、黒い輪が四角から微妙にねじれて、今にも動き出そうとし、または何かの力を受け止めてしっかり踏ん張っているかのような、静かな力感を感じる作品。
ほかに「ウォーキングボイド」というエナジーボイドが一歩踏み出したような作品もある(これは人間の背丈くらい)作品もある。
一歩踏み出したことで頂上部分は三角に近くなり、また底辺は足をつなぐためにL字型になっている。動く直前のenergyを放出したせいか造形的には安定した形。

つぎにイサム家。イサムが寝泊りした江戸時代の屋敷を自分流にモディファイした家。
床を土間レベルまで掘り下げ、薄い石を引いて中心に「空間のうねり#2」という作品をテーブルに見立てている。
照明には自身の設計で工業製品としては最大のヒットとなった「あかり」がぶらさがっている。
庭は苔に竹林という落ち着いたたたずまいに、実をつけた1本の柿の木がアクセントになっている。

裏山の石段を上ると「彫刻庭園」と呼ばれる芝庭とまあるい築山がある。築山は計算されたうえでの自然なヴォリューム感とでもいうような安心感と豊満で自然なエロティシズムをほのかに感じさせる絶妙な形状。これもイサムが自ら設計したものの、造成中に何度も台風の雨水によって崩されて、結局今の形を受け入れることにしたとのこと。晩年の境地を見る思いがする。

築山を迂回して登ると、その頂上にはタマゴ型の高さ2mくらいの天然石がぽつんと立っている。そこからは左に屋島が景色を切り取り、右には五剣山の石切り場、そして真ん中の奥に瀬戸内海が見える。
この石はイサムが手を加えずに残したくらい気に入っていたという。
牟礼でのイサムの制作のパートナーであった和泉正敏氏がイサムの没後、イサムが石に書いたままで放っておいた線に沿ってノミを入れ、石を2つに割ってイサムの遺灰を入れてある。

石に寄りかかって景色を眺める。
抜けるような青空と、屋島・五剣山の常緑樹と紅葉のモザイク、そこに影を落とす雲の動き。向こうに見える瀬戸内海。
パノラマのような景色を見ながら耳に入ってくる石切り場や街中に無数にある石工の作業所の音

イサムは「いつきても懐かしい」と言いながら「どんなに居心地よくても、ここに長居しては、ぼくはだめになる」と言ってニューヨークとの行き来を最後まで続けたという。

そして日本と米国への帰属意識に揺れ、アーティストとして走り抜けたイサムは最後に牟礼に戻ってきた。



イサム・ノグチ―宿命の越境者〈上〉

講談社

このアイテムの詳細を見る
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手間ひまをかけて得られるもの

2004-12-15 | うろうろ歩き
小豆島では醤(ひしお)の郷を訪ねた。

ヤマロク醤油の蔵を見学させてもらう。
4代目と5代目のご夫妻で切り盛りしている小さな会社。

一番奥にもろみ蔵がある。
江戸時代からの蔵に樽がずらーっと並んでいる。
上に登って樽の中を見せてもらう。
仕込んだばかりの樽は表面が泡立っている。
1日1回攪拌して(もちろん手作業)発酵を促進させる。
土壁に住んでいる乳酸菌や酵母が自然に飛んで発酵を助け、風味を与える。

小学生のころの千葉の醤油工場を見学したことがあった。
そのときは強烈な刺激臭に参った記憶があるのに、ここの蔵はほのかないい香りがする。
5代目によると、昔は大量生産する工場では大豆を蒸す工程で塩酸を加えて一気にやわらかくさせて後で中和するということをしていたので、その刺激臭だったのかも、ということ。

製品(丹波の黒豆を原料にした「菊醤(きくびしお)」と再仕込みの「鶴醤(つるびしお)」)を味見する。
直接舐めてみてもピリっとこないし、塩っぽくもない。
大量生産のメーカーでは熟成を促進するために、さまざまな機能の乳酸菌を加えるらしい。その結果発酵は進むが、滑らかさは得られない(5代目は「塩の味が立つ」と表現していた)。
しかしここでは、蔵に土着した乳酸菌がゆっくりと熟成をさせる。

ヤマロク醤油は30樽程度しか仕込みをしない。
それに、熟成まで2夏寝かせる。
しかも「再仕込み」といって一度熟成させたもろみを新しいもろみに加えて再度熟成させるものもあり、出荷量は少ない。

今年はかなり台風被害があったが「なにしろ先立つものがなくて」と5代目

やはり二兎は追えないものなのか・・・

お土産に鶴醤の小瓶(「やはり開封すると劣化が進むので」と言われたので)をいっぱい買い込む。

また、通販のお気に入りが増えてしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬戸内の島々

2004-12-14 | うろうろ歩き
瀬戸内海の島を渡る船の便はとても発達している。

高松と小豆島は目と鼻の先
船の上から見ると島影なのか陸地の半島なのかも判別が難しい
実際高松の東にある山は「屋島」という地名がついている。
ここは源平合戦の最後の海上決戦の舞台(那須与一が扇の要を弓で打ちぬいたやつ)で有名(と言われて思い出したが)で、元は回りは海だったらしい。
地球温暖化が進めば、また島になるのだろうか。


昔は特に陸上交通の手段があまりなかったので、よりいっそう海上交通が重要だったんだろう。(大阪城の城壁は小豆島の石を使っているんだって。)
街道沿いの線でなく海路による点で町が発展してるのは地中海と同じだ。

現在でも船便もフェリーだけでなく高速船などさまざま。
宇野・高松のような主要航路は宇高フェリーだけでも28分に1本出ている。


これにくらべて陸上交通は寂しいものがある。


唯一の私鉄であることでんも20分おき
バスは高松の市街地をはずれると2時間に1本

讃岐うどんの名店めぐりをしたのだが、こちとら徒歩のうえに、有名な店は大体不便なところにある。
片道徒歩40分というのはざら。
おかげでいい腹ごなしにはなったし、道に迷って地元のおばあちゃんの親切に触れることもできた。(でも、そのおばあちゃんと自分くらいしか歩いている人間がいなかった・・・)

教訓

「陸の孤島」などと言っては孤島に失礼だ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴミは処理できるがゴミ問題の処理は難しい

2004-12-13 | うろうろ歩き
産業廃棄物不法投棄で話題になった豊島に行って現場見学をしました。
案内してくれたのは廃棄物対策豊島住民会議の事務局の方。九州大学大学院の社会学の研究者とのこと。

概要説明を聞いた後現場見学。

マスコミに取り上げられてからしか知らなかったが、もともとは1975年にさかのぼる問題だった。
そもそもその前に現場の土地を所有していた松浦某が、土地で取れる砂(珪砂)をガラス原料として出荷しているうちに、山を切り崩し、地面を掘り下げてしまい、その後に産廃受け入れを商売にしようとしたところから始まった。
当初無許可で始めたところに住民が文句を言ったところ、「ミミズ養殖のための土壌改良事業」の許可をとったり(=持ち込むのは無害なゴミだけ)、金属くず商の許可をとったり(=金属を取り出す原料としてのゴミだよ)と言を左右にして事業を拡大し、ついには専用船で直接運び込むようになった。
ゴミの野焼きで住民にはぜんそくの被害も出るようになった。

行政はこれに見て見ぬふりをし(松浦は時として暴力に訴え、役人はびびってたらしい)、住民も手をこまねいていたところ、1990年に兵庫県警が強制捜査に入り、松浦は逮捕され、操業停止に追い込まれた。
この捜査は住民もまったく知らず(豊島は香川県)、産廃を積み出していた姫路港からの通報をもとに内偵していたらしい。


しかし問題はここから。溜まったゴミから汚水が染み出していて潮干狩りもできた海岸は極度に汚染され、堆積したゴミの量も膨大であり、これを誰の費用で処理するかが大問題になった。

ここでも県は過去の責任を認めようとせず、1993年住民は中坊公平氏らを弁護団として県・県の職員・松浦・排出事業者を相手に公害調停を申し立てた。
調停の結果、松浦には損害賠償命令が出、松浦は破産を申し立てたため、土地を人手に渡るのをおそれ住民のものにした。
排出事業者とは個別に和解が成立し、約3億円を受領、活動資金に。
そして、県との間では2000年に調停が成立し、2016年までに県が処分地を総額500億円かけて原状回復することになった。(その後公害特別措置法で4割国庫負担となる)

で、処理施設を見学。現場は危険なので施設の上の階から眺める。
それでも200×400mの広さの迫力は伝わる。
施設にも見学コースがあり、ビデオで概要を学んでから順に案内される。

ここには染み出した汚水を処理して海に放流する施設(そのために海岸側は岩盤までの遮水壁を打ち込んである)と、タイヤのような大きな廃棄物を破砕してまとめる施設がある。

肝心の最終処分は隣の直島の三菱マテリアル工場(本業は銅の精錬所)内に作った施設(ここの運営はクボタ)で行われ、最後は「スラグ」という無害な顆粒状になってセメントの骨材に使われる。


ではなぜ直島住民は豊島住民がいやがった「他人のごみ」を受け入れたのか?


「結局廃棄物問題って、『何を問題だと思うか』なんですよね」とは研究員氏


直島は三菱マテリアルの企業城下町で、公害に比較的寛容なのと、最近のリストラで雇用確保が課題になっていたという事情がある。
また、もとを辿れば、大正時代に三菱マテリアル(三菱金属)が精錬所の設置を最初の持ちかけたのは豊島で、豊島が断ったので直島に行ったという経緯があり、その結果直島は企業城下町で人口も豊島より多く、豊島は農業中心、ということになった。

では一方の豊島は、元から「ECO」な住民だったかというとそんなことはないんじゃなかろうか。
案内の途中で畑や道端に廃車になった自動車が捨て置かれており、一方で不法投棄の主なものが自動車のシュレッダーダストであることを考えると、皮肉な構図である。

結局、運動が長期間持続できた背景には、ポイントポイントでイベントが起きた(松浦の強引な規模拡大、県知事・職員の不規則発言、兵庫県警による逮捕、それに中坊公平氏のマスコミを巻き込んだ戦略のうまさなど)ことが大きかったんじゃないか。


さらに、地球温暖化対策の見地からはごみは焼却せずに埋めてしまった方がCO2の排出は少ないという議論だってある。


結局「自分の土地に他人のごみを持ってくるのはけしからん」という素朴な怒りが運動の原動力になったわけだけど、豊島のごみは直島に持っていってるわけで、しかもそこで高温で焼却されてCO2を排出している。その意味では問題はまだ終わっていないし、明快な結論ってないのかもしれない。

などと快晴の瀬戸内海を眺めながら、いろいろ考えつつ小豆島に渡った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんぴら参り

2004-12-12 | うろうろ歩き
高松にいます。

昨日の「サンライズ瀬戸」(前から乗ってみたかった個室寝台列車)で今朝高松入り。
高松といえばさぬきうどん。
早速駅でまず起きがけの1食。(かけうどん300円)ここは宇高連絡線時代名物店だったらしい。
だしはなかなかだけど、うどんは湯だめをしているせいかちょっとシコシコ感に欠けるかな。
特急乗り換えて琴平駅。ここで「おがわや」の細切りざるうどん(470円)。これは中々の感動。
讃岐うどんにしては細い麺と歯ごたえが絶妙。

次に、本日のメインである金刀比羅宮へ。
「平成の大遷座祭斎行記念」で奥書院が125年ぶりに公開される。
「期間限定」に弱い私としては、生きてるうちに次はない、となれば行かないと、というわけですw
朝一で行ったはずが、既に長蛇の列。結局1時間半待ち。(でもその後は2時間半待ちにまでなった)

今回のメインは伊藤若沖・円山応挙・狩野探幽の障壁画。
伊藤若沖の「花丸図」は壁全面に花の絵が整然と並んでいる(襖1枚に横3×縦5の割合)。描写は精密で美しいんだけど、整然と並びすぎていてちょっと違和感がある。和風というよりはエルメスとかの小紋のネクタイ柄のような雰囲気がある。
僕が気にいったのは狩野探幽。上手さの中に、どこかとぼけた雰囲気があるところがいい。
当時虎の絵がモチーフとして使われてたんだけど、もちろん日本に虎はいないので、毛皮からイメージして、動きは猫からとったらしい。
円山応挙の虎は、目玉が猫からとったのが明らかで、何か気味が悪かった。
それに比べ、狩野探幽のは、どことなく愛嬌がある。

大混雑の奥書院で冷え切った身体を動かすべく、うどん店まで徒歩40分(300円のうどんに1500円タクシ代かけるのはまずいだろう・・・)
満濃地区に名店が固まっている。
「長田」の釜揚げ(小250円)。ここは地元のたまり場風で、活気がある。茹でたてのうどんに机上の徳利に入っているだしとおろし金ごと出てくる生姜をおろして(葱は机にある)食べる。
そしてすぐはす向かいの「小懸家」の醤油うどん(小420円)。こちらは「元祖醤油うどん」をうたっており、店構えも観光客を意識。注文すると大根とおろし金が出てくる。それぞれの工夫なんだろう。ここは冷やした麺に醤油(とさっきの大根おろし&薬味)をかけて食べる。
それぞれ独自のこだわりがあって、さすが。
マニアはもっと山間の製麺所系がディープでいいというらしいが、今回は足と時間がないのでパス。

夜は高松の酒屋さんのサイトで紹介された居酒屋で、「凱陣」などおいしい日本酒を^^
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それでも地球は回る

2004-12-11 | よしなしごと
来週からしばらく休暇に入ります。

とは言いながら、今日新規案件のKickoff Meetingがあった。
今回はチームもちゃんとしてるし、期限は厳しいが、まあどうにかなるだろう。あとは若手にがんばってもらおう。

自分がいなくてももちろん会社はうまく回るわけなので、妙な責任感(未練?)は置いて、のんびりしようと思います。


ところでこの「自分がいなければ」という気持ちをどこまで持ち続けるかってのは難しい問題だ。
一生「俺が俺が」(詐欺みたいだけど)で走り続けないといけないのかもしれない(それがいわゆる「成功」へのひとつの道筋ではあろう)けど、それってはた迷惑でもあるし。
はたまた「迷惑だ」と思う気持ち自体が既に負けている、という説もあるが・・・

昨日の話ともつながるけど、組織全体の効率・モチベーションと個人のモチベーション(自意識?)の調整って難しいですな。
「自分がいなければ」と本当に思い込んでいる「俺が俺が」タイプと、それを支える茶坊主ばかり偉くなってる組織を見ると、痛感。

※ とか何とか言いながら、メールは自宅に転送している俺は何なんだろうw
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする