一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

忠臣蔵

2005-12-30 | 余計なひとこと
年末といえば忠臣蔵です。

浅野内匠頭は吉良上野介からの度重なる恥辱についに堪忍袋の緒が切れ殿中で刃傷に及んだ結果、本人は切腹、お家断絶となったわけですが、その当時はさておき、現在でも美談なのか、という話。

まず、恥辱をそそぐ方法として「殿中刃傷禁止」というルールを無視してまで切り付ける必要があったのか。
イジメにあった生徒がいじめた生徒にカッターナイフで切り付けるという行為に似てませんか?

また、組織を預かる人間としては「お家断絶」を承知でルール違反をする(またはかっとなって忘れる)のは思慮に欠けていて無責任だと思います。

たとえばイジメの初期段階で自分に近い有力者に吉良上野介を諭してもらうとか、ルール内での仕返し、たとえば殿中外で呼び止めて切り付ける、忍びを使って脅す、というような事はできなかったのでしょうか。

少なくとも現代において組織のリーダーにこれを見本に行動された日にはたまらんですねw


つぎに大石内蔵之介。

経営幹部として残った部下を預かる身として、主君の復讐という選択肢が適切だったのか。

切腹・お家断絶の意思決定は吉良でなく幕府がしたのだから、殿中での刃傷は情において忍びないというのであれば幕府に対して助命嘆願をすべきだし、復讐するなら幕府を通じて吉良上野之介の非を咎めるべきではないでしょうか。
討ち入りするなら「殿中刃傷沙汰ご法度」のルールを硬直的に運用した幕府相手なんじゃないのか、ということです。

「幕府のルールは正しい」「しかしルールを破った浅野家が罰せられるのはルール破りを誘発した吉良が悪い」というのは、挑発されて相手を殴って怪我をさせて有罪判決を受けた男が、挑発した相手が悪いと仕返しに行くようなものですね。

管理職としたら人事考課の責任を他人に転嫁したり、成果主義を教条的に運用するようなタイプかもしれません。


余談ですが、家来を選別し、自分への非難という形でモチベーションを高めるために豪遊していた、というのもちょいと怪しくないでしょうか。

いやね、15年くらい前に一トレーダーの暴走で倒産してしまったベアリング証券という会社があって、その日本支店の閉鎖事務のために最後に残った人は誰も極東の1支店の冠詞なんかしてないので経費使い放題だったとか言う話を思い出したのですが、ひょっとすると大石サンは、本人のみ切腹となると読んだ浅野サンから財産隠匿を頼まれていたがお家断絶をいいことにそれを遊蕩に使っていたら、臣下に咎められて切腹するか討ち入りするかの選択を迫られたんだったりして、というのは勘ぐりすぎでしょうか・・・


今年もどこかのテレビ局でやるのかもしれませんが、現代に引きなおしての教訓は何か、ということを考えながら見るのもいいかもしれません。
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2 コメント

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まったく・・・ (Kobanto)
2005-12-30 20:42:39
 忠臣蔵は私にとって、「理解できないもの」の代表みたいなものです。48人のテロリストですよね。切腹したお殿様も、無責任という以外にないのに、悲壮感いっぱいなのがウンザリです。

 このテの価値観に満ちあふれてるから歌舞伎はキライです。
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決め台詞 (go2c→Kobantoさん)
2005-12-30 23:14:39
年末酒席で同席した経営者(60台前半?)の方がおっしゃっていた事をベースに書いたエントリですので、違和感は世代の問題じゃないようです。

歌舞伎としては見せ場と決め台詞が豊富にあるのが人気の秘訣なんじゃないでしょうか。

決め台詞というのは判断停止をさせてしまうので、実生活では害のほうが大きいですね。
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