新聞を見ていたら、ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』が文庫になっていました。
さらに映画も日本公開されたんですね。
実はこの本、昨年の年末年始に読んでいました。その遅ればせながらのレビューです。
話は昨年末に遡ります。
大ヒットしたときに買って読んでいなかった東京タワーを昨年の大晦日に読みました。
40歳を過ぎてから涙もろくなったようで案の定滂沱しました。
そのあと家族・親つながりで、本棚の奥から取り出してきたのがこの本です。
ジュンパ・ラヒリはオー・ヘンリー賞・ヘミングウェイ賞・ニューヨーカー新人賞・ピューリッツァー賞などを総なめにした「病気の通訳」を収録したデビュー短編集『停電の夜に』についで(日本では?)初の長編です。
大きなドラマはなく、普通の登場人物(アメリカ在住のインド人のことが多い)の思いを静かにすくい取るように表現している作品が多いので、落ち着いたときに、ゆっくりと、でも一気に読んだほうがいいなと思って読む機会を見つけられなかったのもです。
※ご参考までにこの作者の作品のトーンを表して秀逸なのが『停電の夜に』のAmazonのレビューにありました。 この本にも通低するトーンをうまく表現しています。
外国で暮らすインド人のことをNon Resident Indian (NRI)と言います。この作品集はそのNRI達が登場するお話です(作者がNRIですからね)。家族の、そして民族の存在根拠が遠く離れたインドにある人々の静かで深い悲哀が、全編の底辺に、いや伏流水のように流れています。
さて『その名にちなんで』父親が列車事故に逢い九死に一生を得たときに読んでいた本の著者にちなんで「ゴーリキー」と名づけられた主人公。
父親は研究者として米国の大学に留学中に生まれた主人公が、キャンパスシティのアメリカ人とインド系のコミュニティの中で育ちながら自分のアイデンティティを自覚していくという物語です。
中心は父親から主人公と引き継がれる、インドの家族との関係、インド人としてのアイデンティティの葛藤にあるのですが、作者が一番思い入れているのは、主人公の母親のように思います。
インドで見合いした相手のアメリカに留学によりアメリカで生活することになる中で、伝統的なインドの考え方や風習を守り慎ましやかに人生を送っている母親なのですが、それだけに伝統的インドの価値感との葛藤を内面に宿していることが控えめに描かれています。
実は影の主人公はこの母親で、主人公と父親を狂言回しに使ったともいえるくらい、静かな存在感の中に訴えかけるものがあります。
『東京タワー』ではオカンは苦労しながらもアクティブな存在として描かれていますが、ここでの母親は非常に静的・受動的な存在として描かれています(それに対比して娘=主人公の妹は現代アメリカ的な行動をとっています)。
インディラ・ガンジーなどインドでは女性の政治家もいますが(そういえば今年大統領になったのも女性ですね)、はインディラ・ガンジーはネルーの娘ですし、やはりそういう名家に生まれたのではない普通のインド女性の姿としては、いまだに本書の母親は典型なのかもしれません。
(アメリカ人にとって有名な日本女性と言えばオノ・ヨーコがあげられると思いますが、彼女も安田善次郎の孫といういわば「特殊解」の部分もあるのであの時代の日本女性の代表、というわけではないのと同じではないかと思います。)