※ ネタバレ注意
自分探しにウガンダに来た学校を卒業したばかりのイギリス人医師の主人公が、偶然のきっかけからウガンダの独裁者アミン大統領の主治医になり、人間的魅力に引かれながらも、やがて独裁者の負の側面に気づき追っ手を逃れて帰国するまでを描いています(実話にもとづくらしいです)。
この作品でアミン訳のフォレスト・ウィテカーは2006年アカデミー賞主演男優賞を獲得しました。
フォレスト・ウィテカーは昔『クライング・ゲーム』でクリケットの投球のスローモーションでの回想シーン以来気になる俳優になっていました。
もっともこの映画自体はテレビの妙な時間帯に放送していたので漫然としか見ていなくて、途中で「こんな筋書きが複雑なら最初から言ってくれよ」と思った記憶が先にたっているのですが、改めてあらすじなどを調べてみるともう一度見てみようという気になる映画です。
何で黒人のフォレスト・ウィテカーがイギリス人の上流階級の子弟のスポーツである(と思っていました)クリケットを、というあたりはこちらに詳しいです(私は覚えていませんでした・・・)。
この程度の記憶しかなかったのですが、なぜか彼の誠実さと不器用さと世の中との間に薄皮一枚の距離感(違和感)を持ったような存在感は印象に残っていました。
( wikipediaを見るとそれ以前に『プラトーン』や『グッドモーニング, ベトナム』にも出演していたようですが、そちらはあまり印象にありませんでした。最近の『パニック・ルーム』や『フォーン・ブース』への出演は覚えてますが。 )
そんなフォレスト・ウィテカーが独裁者アミン大統領を熱演しています。
政治家としての魅力、素直さと複雑さを併せ持った人間としての魅力、そして独裁者としての自信と怖れを凶暴さという形にしていくところを見事に表現しています。
当初アミンはイギリス政府の後押しで政権を取ったものの、やがてその独裁政治が問題になるにつれイギリス政府も彼を非難し始めます。
この辺はイラクのサダム・フセインに対するアメリカと同じですね。
イギリスの「独立工作」は歴史が古く、アラビアのロレンスなんかもそうです。
話は飛びますが坂井啓子『イラクとアメリカ』(岩波新書)によると。
そのイラク地域が「イラク」というひとつの国として成立したのは、第一次世界大戦でイギリスが湾岸から進軍して次々に陥落させていった地域をまとめた結果にすぎない。有名な「アラビアのロレンス」(本名T.E.ロレンス)のいた英外務省アラブ局がヨルダンのアカバからダマスカスにイギリス支配の先兵を進めて行ったのに対して、イラク地域には当時オマーンや休戦海岸(現在のUAE)などの湾岸首長勢力を支配していた英インド政庁の湾岸政策が大きく影響していた。
と、他所の国まで行ってお役所間の縄張り争いをしていたのですから相当なものです。
今回の主人公は「アラビアのロレンス」のようなイギリスの外務省職員ではなく言ってみれば単なる「とっぽい若者」 で、イギリスの外交官を馬鹿にした挙句に最後に助けを求めても
「アミンの白いサル」、それも手が血で汚れたサルに差し伸べる手はない
と突き放されてしまいます。
そしてアミンからも
おまえはウガンダに何ももたらしていない。「僕は白人、君は黒人」ごっこをやりに来ただけじゃないか。
といわれてしまいます。
気の毒ではあるのですが、冷静に考えるとそのとおりではあります。
主人公はPFLPのハイジャック犯がウガンダのエンテベ空港に着陸した際に、開放されたイスラエル人以外の乗客用の飛行機に紛れ込んで国外に脱出するのですが、その脱出を自らを犠牲にして手引きしたウガンダ人医師は
君はウガンダの実情を世界に伝えてくれ。世界はそれを聞く。なぜなら君は白人だから。
と言います。
結局とっぽくてもなんでも1970年代は白人であることが大きな意味を持った時代だということですね。
逆にいえば「独裁者アミン」や「後ろで操るイギリス」というようにわかりやすい「悪者」を作らずにこの若者医師を主人公にしたことで、映画としてのリアリティを獲得できたのかもしれません。