先週の事です。
阿南町のパンフレットを見ていたら、「行人様」について書かれていました。
行人様とは即身仏になった江戸時代の怪僧の事。
数年前、新聞で御開帳の記事を見た事があり、何となく心惹かれる物があり拝観してみたいと思っていました。
いつ御開帳になるのか調べてみたら春、秋2回、今年の秋は16日(日)
その何となく心惹かれる物は何なのか?
何も知らなかった「行人様」についてもう少し知りたいと思うようになりました。
行人様について少し詳しく書かれている記事を読むと、名前を「行順」本名は「久保田彦左衛門」・と書かれています。
実は私の旧性は「久保田」名前には順の字が使われていて、その上、実家の父の出身に近い所で行人様も育っているという偶然に、
両親も興味深く、この即身仏を一度拝観したいと、阿南町新野まで行って来ました。
父の生まれ育った地では、山の集落が皆久保田という性で、昔は「久保田一党」のお祭りをやっていた時代もあったからです。
こすもすが満開の静かな農村風景の中で、おしゃれな案山子に思わずにっこり。
ちょうど、新野の道の駅に着いた頃、鉄下駄駅伝レースが始まる所でした。
鉄下駄と鉄の杖で全国行脚した行人様にちなんで、片方2kgの鉄下駄を履いて、新野の街を駆け抜け、行人様のおられる新栄山まで走ります。
からん・ころん・からん・ころん・と鉄の下駄の音が町中に響き渡りました。
道の駅から見る新栄山の行人堂は、瑞光院の裏山のこんもりと盛り上がるように木々に囲まれた小高い山の中で・・
行人様はこの山の中、あらかじめ掘っておいた穴の内部に石を詰め、木箱を組み込み竹筒を差し息ができるだけの穴を開け、
「鉦(かね)の聞こえるうちは生きていると思いたまえ」と言い残して、皆の見守る中、即身仏になる為にこの中に入りました。
1687年、4月の事です。
それが、この山の中の岩の上、
小さなお堂がありました。
七日目に鐘の音が止まり、入定を果たしたと記されています。
小高い小さなお堂からは、新野の田畑や民家が眼下に見えます。
何のための「即身仏」?
五穀豊穣を願ってとか、世をは儚んでとか、色々書かれていたけれど、
本当の事は「久保田彦左衛門」さんにしか分からない・・
けれど、こういった即身仏は日本に十数体しかないらしいです。
意思の強さは鉄の意思。
どこか心惹かれる部分はこの意思の強さかも。
小さなお堂の中には300年以上経った「行人様」が今も生きているかのように座り、
その前に坐すと、心を見抜かれたように見つめられている気がしました。
父も母も、同じ姓に何かの縁を感じ・・・・、
300年以上前の人に逢って来ました。
4月と9月の2日間、御開帳の日以外363日間、
行人様はこの山の中でいまだに一人で姿勢を正して、悟りを開く為の修行を積んでおられる。