アメリカ放浪;ヨセミテ・ハーフドームからジョン・ミュア・ハウスへ(2007.8.10)

2007-08-10 21:27:44 | Weblog

*2001年夏に登ったハーフドーム。翌日、グレーシャー・ポイントで、“下の息子”がスケッチ。
*左に、カメラの“上の息子”と、スケッチの“下の息子”。<前の日に登ったハーフドームに感慨が深かった>のです。

夏は暑けりゃ暑いだけ、どこか山に行きたくなります。
決して涼しい高原に避暑ではありません。炎天下をただただ歩く山登りです。<最初から覚悟して、歩き始めれば、火もまた涼し>です。

その昔、わがファミリー5人の夏は、決まって年に一回の北アルプス行きでした。子どもの成長とともに、だんだん同調者が減ってきて、2001年に、起死回生に<アメリカ・シェラネヴァダ山脈、ヨセミテ・ハーフドーム>に登ろうと発表しました。
費用の全部を私もちでさえも、全員参加にならず、一人不参加でした。

ヨセミテは、アメリカの上高地です。
ベトナム反戦運動から、<自然保護運動>に米国の若者の意識が移っていく1970年代前半、ヨセミテは、自然保護のメッカ(聖地)として、日本に、例えば芦沢一洋さんを通して、私らにも入ってきました。

アンセル・アダムスの写真、ジョン・ミュアの思想・足跡、そして、用具メーカー・パタゴニアの精神、は、そこに行くことのできない私の、憧れの“ブランド”でした。

私のリタイヤ前年の夏は、<わが家の卒業旅行>です。
夏のヨセミテの宿泊には、お正月頃からの準備が必要です。ヨセミテ・バレーに、テントの宿を3泊確保。さらに追加して、大人ふたりには一泊だけ、アワニーホテルが奇跡的にとれました。

2001年のことです。ハーフドーム登頂に関する登山情報は、断片的なものしかなく、地図さえ、日本で入手できなかったのです。
*現地で買った地図。欧米の地図は美しく、楽しい。ついつい何種類も買ってしまうのです。

*手前のヨセミテ・バレーから、右手に、そしてハーフドームの裏側から、一気に登ります。

登頂記を書き出すと長くなりますから、数枚の写真だけにします。
ヨセミテ・バレーから、ハーフドーム頂上往復、8月炎天下、体感40℃の15時間でした。谷の陽は、完全に暮れ、9時の<売店クローズ時間>にやっと滑り込んで夕食にありついたありさまでした。
距離、高低差ともに、ほぼ同じの上高地から槍ヶ岳の登頂(往復)は、普通2泊3日のコースです。
*常置テントを借りました。
*いよいよハーフドーム核心部へ。
*これが最後。一気に登ります。
*夏のシーズンには、ワイヤーがあります。

ジョン・ミュアは、ここでは、ヨセミテの紹介者・保護に大きな役割を果たしたとだけ書いておきます。
ヨセミテ・バレーの奥地をハイシェラ・カントリーといいますが、そこには、ジョン・ミュアの足跡をたどる<ジョン・ミュア・トレール>という長くハードな登山コースがあります。そこを完全踏破され、その記録を出版された加藤則芳さん(八つ岳山麓でペンション経営、今も?)の講演会に、息子は出かけたらしい。本にサインが入っていました。

*私の名前も書いてもらってます。

その後、ネットで、ジョン・ミュアのオウチが、保存・公開されていること知ったのです。
今回(2007年)の旅の最後は、サンフランシスコに3泊の骨休みのつもりでいました。
実は、サンフランシスコの宿が、あまりにひどかったのです。ここにいて疲れを癒すことはできない、<だから、出かけよう、行こう>と、気分がだれて<もう、いいや>と思っていた、ジョン・ミュア・ハウス行きを実行することにしたのです。

およその行き方はネットで知っていました。サフランシスコからBARTで40分のPleasant Hill駅下車、そこから、#106のバス。これだけの情報です。
バスに苦戦しました。運転手に<下車時に教えてくれるように頼んでいた>のですが、はるかすぎて<忘れていた>と降ろされました。

それでも、目的は達成です。すばらしい経験になりました。この旅の最後を飾るにふさわしい訪問になったのです。

*家の大きさは全然違うけれど。
*石を拾って来るのは、私と同じ。
*机の上も、私と同じようです。
*事務所の陽気なレンジャーさん。

今日も、長くなりましたので、詳しくはまた別の日にして、少しだけ写真を載せました。ショップ(売店)の、ジョンミュア・グッズ、関連書籍の充実が嬉しいのです。やたらに買ったら、係りのレンジャー(ここは、国立自然公園施設です)に、笑われそうになった。<もう2度と来ることないから>といったら、<そうね。でもまた、いらっしゃいね>とにっこり。

   【おまけ】

* ジョン・ミュアの著作に、<My First Summer in the Siera> があります。翻訳もでています。<はじめてのシェラの夏>です。このタイトルが、すごく好きなのです。だから、原書をヨセミテで買って持っているのに、また買いました。だって、表紙が違うのです・・・・ワタシはアホかなあ!

*今年、また右の本を買ってしまった。

* 翻訳者の岡島成行さんは、読売新聞社の記者で、何度かの読売のエベレスト登山隊と出かけました。いっとき読売=エベレストの時期があって、羨ましかったですね。

*このブログの名前、<シェラ・マンダラ・しょうわ町>の“シェラ”の意味がわかって、いただけましたか?