世界中で一番美しい花はどんな花だろう、加藤周一さんが逝去された(2008.12.9)

2008-12-09 10:43:56 | Weblog

 *朝日新聞(12月6日夕刊、7日朝刊)

もう旧聞の話ですが、12月5日に加藤周一さんが亡くなられました。
 朝日新聞(12月6日夕刊)の見出しを拾うと、<評論家、リベラル貫く>、<稀有な知性、旺盛に発言>、<戦争への怒り原点>です。付け加えることはできません。
 12月7日朝刊には、大江健三郎さんが<大知識人の微笑とまなざし>と原稿を寄せ、井上ひさしさんも<輝き続けた知の巨星が落ちた。心のよりどころを一つなくし、大きな喪失感を覚え、混乱しています>と語っています。

 2001年9月11日米国集中テロ。私にとって、かなり大きなできごとでした。私自身それから半年後に人生リセットする<現役最後>という意味もありました。
 大きくは、その後の世界の回転(転換でなく)、小さくは私のリセットと再立ち上げの仕方、の契機となるできごとでした。

*左;テロリズムと日常性;<9.11と世直し68年、今、われわれ市民にできること>青木書店、2002年10月25日発行(都下の2世代ほど下?の市民グループ(凡人会)の勉強会の記録・・・こういう集まりに出席されていた)、右;加藤周一世界漫遊記;毎日新聞社、1964年5月10日発行(私は、この年社会人になった。この本は埼玉県立図書館の廃棄本です)

 加藤周一さんと面識があるわけではありません。ただただメディア上の話です。
 その後加藤周一さんは、1968年、1960代後半と、今を連携させて考えることを勧められていました。私には、そう思えました。

 私もまた、60年代後半の自分に立ち戻ろうと思ったのです。その昔と比べて、今や、なんらの束縛もありません。はるかかに自由です。40年たって、ようやく自由を取り戻していたのです、そう考えることにしました。

 加藤周一さんの発言と行動を丁寧に読みました。そうして、私らと同世代、60年代に行動していた人たちが、次々に再稼動はじめられたたことを実感していました。

*そうして今、加藤周一さんら、ちょっと前世代の方が、どんどん世をさっていかれます。憲法9条のための<最初のポスター>を貼り付けて、皆さんに知らせることで、哀悼の気持ちにかえることにします。

    【おまけ】

*加藤周一さんの“どんな花が世界中で一番美しいだろうか”とエッセイを書かれています。長い間、忘れていた自分の生き方を思い出させてくれました。

  “どんな花が世界中で一番美しいだろうか”
  ”春の洛陽に咲き誇る牡丹にあらず、宗匠が茶室に飾る一輪にあらず、ティロルの山の斜面をおおう秋草にあらず――”

  “1960年代後半に、アメリカのベトナム戦争に抗議してワシントンに集まったヒッピーズが、武装した兵隊の一列と相対して地面に座りこんだとき、ひとりの女性が、眼のまえの無表情な兵士に向かって差しだした一輪の小さな花ほど美しい花は、地上のどこにもなかったろう”

  【おまけのおまけ】
  *このエッセイは、“小さな花”というエッセイ集にあるのですが、この本がでてきません。この頃、本を探して出てこないことがよくあります。どんなに乱雑になっていようが、本でも、資料でも、さっと出せるのが<私の得意技>だったのですが、いよいよ私も、どこかの回路が切れたのかも知れません。