茶の湯の作法、濃茶の回し飲みはキリスト教の影響という話があちこちに(2010.12.30)

2010-12-30 21:48:03 | Weblog

*高山右近はキリシタン大名で、茶道の千利休の高弟。高槻にある右近の銅像(NHKの番組から)

 このブログは、クリスマス・イブに書いていたものです。仏教徒ですが、クリスマスだから、それらしいお話と思っていたのです。
 一度、ゴミ箱に捨てたものを、今日、拾って載せることにします。

 先日(12月7日)、春日部の丘の上教会の降誕祭茶会に招かれました。  茶会の亭主は、高橋牧師さんです。高橋牧師さんは、高山右近の研究者でもあります。たまたま、その日の数日前(12月1日)にNHKテレビ番組・歴史秘話ヒストリー“高山右近”を見ていたばかりだったこともあって、千利休の茶の高弟“高山右近”、クリスチャン“高山右近”が話題になりました。

 テレビ番組で、茶の湯の作法、濃茶の回し飲みはキリスト教の影響かも、とナレーションが入っていました。牧師は、“ようやくマスメディアもそう認識するようになったのです”、そして、“利休の茶の湯にはキリスト教の精神と連なるものがあるようです”、と話されました。

 むろん、ただ茶を飲むということを千利休が芸術にまで高めた日本の固有の文化である茶の湯が、キリスト教の影響を受けているという、学説とか茶道宗家の口伝などが、あるわけはありません。なにせ400年も前の話です。

 ところが、そのすぐ後に、12月16日の日経夕刊です。こともあろうに利休作法を伝える千家の家元さんが、武者小路千家の家元、千宗守さんが、そう思うとエッセイを書かれたのです。

*日本経済新聞2010年12月16日夕刊。

 引用します。
 <濃茶の回し飲みは、茶事で一座した4,5人が1つの茶碗を回し、同じ茶碗の同じ飲み口からお茶を飲む。戦乱が収まりきらない世にあって、千家の租の利休が提唱、茶事に一座した武将のたちの心を和ませた>
 <回し飲みの作法の効用は大いに認める。だが、作法自体がどのようにして興ったかについて、私はかねて不思議に思っていた。箸や食事の碗をみても分かるように、日本では自身のものを持ち、他人との共用を好まない。食に関する作法は極めて個人主義だ>
 <なぜ、濃茶は例外かという疑問が私にはずっとあった。そんなある日、ふとカトリックにおける「聖体拝領」の儀式の影響かもしれないと思った。・・・・・「聖体拝領」で、カトリック司祭たちがキリストの血と体の象徴として、パンを食し、ワインを1つの杯で回し飲んでいた記憶とつながったのだ>
 <利休の時代は南蛮人が渡来し、キリストの布教が盛んに行われた。利休の弟子にもキリシタン大名がいたから、この推測は全くの的外れでもないだろう>
 <裏付ける資料がひょっとすると、バチカンの法王庁に残されているかもしれない。そう考えて、私はお手紙をだした>

 ローマ法王から、「あなたの仮説を裏付ける資料はある。いずれ公開されるだろう」とのお言葉を下さった、そうです。1994年3月9日のことです。資料はまだ見つかっていない・・・。

 別の本です。裏千家の家元さんの“発言”が出ていましたから、引用します。
 有馬頼底さん(臨済宗相国寺派管長)と真野響子さん(女優)の2005年頃の対談が、“禅の心 茶の心”と題した本になっています>

*有馬・真野“茶の心 禅の心”2006年6月 朝日新聞社発行。

 41ページです。
 真野<もうひとつ、お伺いしたいのは、キリスト教のミサの方式の共通点。
 有馬<そう、聖水をいただくときの所作とお茶のそれは非常によく似ています。いまの裏千家の鵬雲斎大宗匠が「有馬さん、どうもお茶の点前はキリスト教からきているんとちゃうやろうかと私は思うねんけど」とおしゃるんです。それは確かにお茶もそうなんですが、清いものを扱うということになると、どの国でも大体似たような終着点に来るということだと思います。だから、聖水を扱う所作とお茶の所作がよく似ている、同じでいいんです。日本へキリスト教が来る以前からお茶の作法があるでしょう。室町から鎌倉へさかのぼって、道元禅師が「百条清規(ひゃくじょうしんぎょう)」を中国からお持ち帰りになってやられた、そのときの所作がいまだに続いているわけです。そのとき、まだキリスト教は来ておりませんからね。>

  【おまけ】

*右のマンガ“千利休”清原なつの著2004年11月、本の雑誌社発行。マンガですが軽くは読めません。

*丘の上教会での降誕祭茶会(12月7日)のことは、ブログに書いています。<ここクリック>

*高山右近の銅像は、国内5か所とフィリピン・マニラにあります。右近の足跡のある所です。

*バチカンには、聖者として右近が壁画に描かれているそうです。