仲秋の名月から2日すぎたのですが (2006.10.8)

2006-10-08 22:32:38 | Weblog

季節の話、暦の話を書くことは、話題に困った時には、メジャーな新聞、あの天声人語(!)も、マイナーなマイ・ブログも、同じです。仲秋の名月は、かっこうの題材です。あいにく十五夜の一昨日(6日)は秋の豪雨で月はみえず。昨日は、ブログを休んでしまい、3日遅れのお月様の話しです。

今日は十七夜。それでもけっこう大きな月がでてきます。十五夜に比べて、1時間8分遅い月の出になります。十六夜が“立待ちの月”(32分遅れ)、十七夜は、“居待ちの月”。その後は、“寝待ちの月”だったか。

すすきを飾って、お団子をおいてという風なお月見をしたことは、あまり記憶に残っていません。家人に話したら、町のお菓子屋さん・新柳(旧庄和町・現春日部市)さんの、兎のお饅頭がひとつ残っていました。今や、月と兎は切っても切れない仲。本来なんの関係もない。月面が、兎が餅をついてるように見えることなんて、ほんとにあるんだろうか。少なくとも私には見えたことはありませんね。

仲秋は、旧暦の8月のこと。旧暦8月15日の満月が仲秋の名月なのです。

大した理由はないのですが、月の満ち欠けが載ってるの旧暦のカレンダーを、ロビンソン・デパート(春日部市)で探していた時期がありました。ずっと前、大きな時計が必要になって、月の満ち欠けを表示する時計を買った。ムーン・ウオッチだっだか、ムーン・フェースだったか、ちょっと流行みたいだった。子どもらが電車通学をするようになってから、正確さが必要になって買った電波時計に、ワガヤのメイン時計の地位を奪われた。そして月の動きなんて全然見なくなっていた。さっき見たら、ちゃんと十七夜の表示がされていた。ほんとに、あんたは、えらい!

旧暦、陰暦、正確には太陽大陰暦(ルナ・カレンダーだったかな)の方が、自然や季節感がぴったりきます。人間の生理にもぴったりだという話を聞いたこともあります。
テレビが、ニュースがない日に“暦の上では、もう冬”とかいう感覚のずれは、旧暦と新暦をごっちゃにしているからです。

中国は陰暦で動いています。ネパールは陰暦をベースにした暦です。日本は、西欧にならって、明治5年(1872年)に太陽暦の採用が断行された。私ら田舎の子ども時代の暮らし、お祭り・諸行事は、陰暦の中にありました。
7月7日に,美しい夏の星空をみあげ、天空の恋に思いをはせる七夕まつりも、新暦でいえば、梅雨のさ中、必ず雨です。幼稚園の行事にしか、子どもたちの記憶には残らないでしょう。

陰陽五行の考えに、はまったこともあります。中国古来からの陰陽思想・五行思想は、季節の移り変わりを観察し、その消長と循環を基礎理論とする自然哲学でしょう、宇宙と自然と人との深い関わりの中で・・・・・・・・とかなんとか。そのあたりは、またいつか。

この地の、今の生活の中に、月に気がつくことはほとんどありません。新鮮な目玉焼きのオレンジの十五夜の月の出もいいですが、ふと気がつく、真上で色もなく輝いている満月が好きです。“月天心・さびしきまちを・とうりけり” なんて、ですね。”餃子のような月”と書いてるのは、椎名 誠さんです。妙に感心しました。

 【おまけ】
*世間では、どちらかというと“まやかし”といわれていますが、月と人間について書いてる本もけっこうあります。2年程前の春、“現代農業”という雑誌を買いました。その昔の農家向けの“家の光”(必ず農協から配られていた記憶も)のような雑誌です。その特集“農業と月”が目をひいたのです。種をまく日、農作業をする日を、月の満ち欠けに合わせて実践している人たちのの記事・原稿であふれていました。

*今日の一冊に、その雑誌“現代農業”を載せようとして、本棚を探したがでてこない。それで、ヴェルヌの“月世界旅行”にします。“十五少年漂流記”のジュール・ヴェルヌの少年向け小説です。江戸時代の終わりに書かれました。学校の図書室で、たぶん少年たちが夢中で読んだ本のひとつでしょうか。人が月に行く時代になった現代の視点で、この“月世界旅行”を詳述解説した本(詳述 月世界旅行1・2、東京図書、1981)も面白く読みました。