「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

理解されない苦しみ

2008年12月27日 21時51分00秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

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「 僕は あまりに苦しかったのだ。

 だから エゴイストになっていた。

 僕は自分の 切実さを分かってもらうより、

 彼女に生きがいを与えることを しなければならなかったのだ。

 悲しみは 人を敏感にさせ、 苦しみは 人を執着させる。

 彼女の あまりに小さな悪意が、 わずかな 思いやりの欠如が、

 僕の全存在を打ち砕く 冷酷な言葉として 襲いかかってきた。

 同じ言葉でも、 誰の口から 聞くかによって、

 また 同じ人の言葉でも、 いつ聞くかによって、

 その浸食力は 甚大なものとなる。

 あまりにも人の、 就中 彼女の理解を 求めていた僕にとって、

 彼女の無配慮の言葉は、 どんなにか僕を 蹂躪したことだろう。

 ふみにじったのだ。

 自分の喜びも苦しみも、 人に知ってもらいたいと 欲求する人間にとって、

 その欲求こそが 彼をして 創作に向かわせる人間にとって、

 言葉が通じないという絶望は、

 いかに暗黒の苦しみに 彼を落とし入れることだろう。 」

 僕は 誤解される苦しみと、

 理解されたいという 底知れない欲求に 苛まれていました。

 「ジャン・クリストフ」の一節です。

「 (クリストフは) 裏切られたことを 恨んでいるのではなく、

 ただ一人 苦しんでるのだった。

 愛せらるる 者のほうには、 あらゆる権利がある。

 もはや 相手を愛さないという 権利さえある。

 人はそれを 彼に恨むことはできない。

 彼から見捨てられて、 自分がほとんど 彼の愛を受くるにも

 足りないということを、 みずから恨むだけである。

 それこそ 致命的な苦しみである。 」

(次の記事に続く)
 


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