「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「どろろ」 (3)

2007年02月04日 12時02分26秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/44813722.html からの続き)

 百鬼丸に同行するどろろも 魔物と闘う百鬼丸に加勢して、

 次第に二人は 兄弟のような感情で 結ばれていき、

 さらには 男女の愛情にも育っていきます。

 その道程で、百鬼丸の体を魔物に差し出したのは ほかならぬ百鬼丸の父・景光であり、

 その父に捨てられたのだ ということが分かってきます。

 百鬼丸は どろろの宿敵の子供だったのです。

 どろろの心には 憎しみと愛情の 激しい葛藤が渦巻きます。

 百鬼丸は、生きる目的を 失いかけてしまいます。

 決別する二人ですが、どろろは再び 百鬼丸の前に姿を見せ、

 復讐の憎しみを捨てるから 百鬼丸も生きろと 訴えるのです。

 そしてクライマックスは、百鬼丸と景光の一騎討ちへと 向かっていきます。

 そこに魔物が現れ、景光に再び 悪の取引を迫るのでした。
 

 映画は 壮観なスケールで展開しながら、

 生身の人間の感情を 目の前に突きつけます。

 愛情と憎悪が 同時に交錯し、激しくぶつかり合うのです。

 作品のテーマは 親子の愛憎、失われたものの回復、迫害への怒り、

 そんな世界で 虐げられた者の生きる力など、

 多様なものが 含まれているでしょう。

 手塚作品は重層的で、様々な人物と要素が絡み合い、物語が広がっていきます。

 正に手塚治虫は 日本が世界に誇れる 偉大な巨匠でした。

 

(僕は学生時代、 「手塚治虫展」 の会場で 手塚治虫さんと

 直接 言葉を交わしていただいたことが 忘れられません。

 そして 巨星が落ちた時には 青山斎場へ焼香に行きました。

 一般参列者の長い列に並んでいると、当時僕の担当だった編集者が 僕を見つけて

 関係者の列に案内してくれたため、短い列で、

 手塚さんの大きな遺影のある祭壇のほうで 焼香することができました。

 著名人の葬儀に参列したのは 僕はそのときだけです。)