死刑が求刑された 裁判員裁判で、 裁判員の重い選択と 審理についての記事が、
読売新聞に掲載されています。
その記事から 書いてみたいと思います。
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ある裁判員経験者は、
「被告が少年だということは 重視しなかった」 と 述べています。
石巻で 少年が 元交際相手の姉ら3人を 殺傷した事件です。
同じ日、 宮崎では、
義母と妻、 5才の長男の3人を 殺害した被告に 死刑が求刑されました。
評議で 裁判員に示された、 過去の同種事件の量刑資料は、
死刑を回避した事例でした。
家族間の殺人事件は、 複雑な人間関係が絡むなど、
被告に同情すべき事情が 多いからです。
しかし この判決も死刑でした。
裁判員は、 少年事件や家族間の事件といった パターンより、
被告の人間像に着目し、 死刑の是非を 判断しているようです。
裁判官は少年に対しては 更生の余地を考慮しますが、
裁判員は 「少年のときから こんな犯罪に走るのでは、 人間性の欠如が一層深く、
我々とは異なる存在だ」 と 見なした可能性があるといいます。
宮崎の裁判でも、 「守るべき妻子を殺すとは、 著しく人道に反する」 と考えて、
量刑が重くなったことがあり得ます。
一方、 耳かきサービス店の女性従業員らが 殺害された事件では、
「動機は極刑に値するほど 悪質ではない」 として、 無期懲役を言い渡しています。
被告が被害者に抱いた 恋愛感情は、
同じ人間として 理解できなくもないと感じたのかもしれません。
裁判員には 過去の量刑基準は通用しないようです。
今後、 死刑の基準は 一般的な日本人の価値観に 近づくでしょう。
見方によって 結論にばらつきが出ることもあるでしょうが、
それは裁判員制度の現実と 受け止めるべきだといいます。
〔 読売新聞より 〕