(前の記事からの続き)
(9/22)
「 おまえは 自分にばかりこだわっている。
だから 他のものが見えない。
そんなうちは 人が理解してくれるはずがない。
おまえが 自分にこだわるほど、 人はおまえに 興味を持ってはいない。
人の評価を得られないと おまえが悶え苦しむほど、
人はおまえを 評価してはいない。
( と、書いているうちにも 疑問が湧いてくる。
評価されたいという こだわりが湧いてくる。
僕が苦しむに値するほどの 評価を。)
自分へのこだわりは 捨ててしまえ。
そして 人に目を向けろ。
人の心の悲しさに、
おまえが 自分に持つのと同じくらい こだわりを持ってみろ。
その時 おまえは初めて 人を理解できよう。
評価はやがて それに伴ってくるだろう (か?) 」
(10/11)
「 自分の苦痛ばかりを 表そうとしていても、 いい作品は描けない。
客観的にならなければ、 人に伝えることはできない。
だがしかし、 苦しみがなければ
どうして僕の表現欲求は かきたてられるのだろうか?
いや、 苦しみは 表現の温床であり、
欲求とするのは 子供っぽい自己顕示欲だろうか。
( 何という揺れ動きだろう) 」
僕は苦しみに執着し、 そんな自分は 異常じゃないのかとも 苦悩しました。
しかし 「ジャン・クリストフ」 の言葉に 救われます。
( 「ジャン・クリストフ」 )
「 大多数の人間は、
なんらかの情熱に 全身をささげるほど 充分の活力を持っていない。
彼らは 用心深い吝嗇 〈りんしょく〉 さで 己を倹約している。
万事に 少しずつかかわって、 何事にも 全身を打ち込みはしない。
すべて自分のなすことに、 すべて自分の苦しむことに、
すべて自分の愛することに、 すべて自分の憎むことに、
無制限に没頭する者こそ、 驚異に値する人であり、
この世で出会いうる もっとも偉大な人である。
情熱こそは 天才のごときものであり、 一つの軌跡である。」
しかしそれは 両刃の剣でもありました。
猛烈なエネルギーが 人には重圧にはなります。
でも 「ジャン・クリストフ」 は言います。
( 「ジャン・クリストフ」 )
「 決して誤ることのないのは、 何事もなさない 者ばかりである。
生きた真理の方へ 向かうときの過ちは、 死んだ真理より 一層豊かである。 」
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57841018.html