「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

執着

2009年01月26日 22時48分37秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

(9/22)

「 おまえは 自分にばかりこだわっている。

 だから 他のものが見えない。

 そんなうちは 人が理解してくれるはずがない。

 おまえが 自分にこだわるほど、 人はおまえに 興味を持ってはいない。

 人の評価を得られないと おまえが悶え苦しむほど、

 人はおまえを 評価してはいない。

( と、書いているうちにも 疑問が湧いてくる。

 評価されたいという こだわりが湧いてくる。

 僕が苦しむに値するほどの 評価を。)

 自分へのこだわりは 捨ててしまえ。

 そして 人に目を向けろ。

 人の心の悲しさに、

 おまえが 自分に持つのと同じくらい こだわりを持ってみろ。

 その時 おまえは初めて 人を理解できよう。

 評価はやがて それに伴ってくるだろう (か?) 」

(10/11)

「 自分の苦痛ばかりを 表そうとしていても、 いい作品は描けない。

 客観的にならなければ、 人に伝えることはできない。

 だがしかし、 苦しみがなければ

 どうして僕の表現欲求は かきたてられるのだろうか?

 いや、 苦しみは 表現の温床であり、

 欲求とするのは 子供っぽい自己顕示欲だろうか。

( 何という揺れ動きだろう) 」

 僕は苦しみに執着し、 そんな自分は 異常じゃないのかとも 苦悩しました。

 しかし 「ジャン・クリストフ」 の言葉に 救われます。

( 「ジャン・クリストフ」 )

「 大多数の人間は、

 なんらかの情熱に 全身をささげるほど 充分の活力を持っていない。

 彼らは 用心深い吝嗇 〈りんしょく〉 さで 己を倹約している。

 万事に 少しずつかかわって、 何事にも 全身を打ち込みはしない。

 すべて自分のなすことに、 すべて自分の苦しむことに、

 すべて自分の愛することに、 すべて自分の憎むことに、

 無制限に没頭する者こそ、 驚異に値する人であり、

 この世で出会いうる もっとも偉大な人である。

 情熱こそは 天才のごときものであり、 一つの軌跡である。」

 しかしそれは 両刃の剣でもありました。

 猛烈なエネルギーが 人には重圧にはなります。

 でも 「ジャン・クリストフ」 は言います。

( 「ジャン・クリストフ」 )

「 決して誤ることのないのは、 何事もなさない 者ばかりである。

 生きた真理の方へ 向かうときの過ちは、 死んだ真理より 一層豊かである。 」

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57841018.html
 
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