「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

心子と境界設定

2009年01月20日 20時19分36秒 | 心子、もろもろ
 
(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57474122.html  からの続き)

 「BPD家族の会」 の話を受けて、 心子のことについてです。

 心子の場合は 社会の規則を守れなかったり、

 お金の問題を 起こしたりすることなどは 全くなく、

 そういう点は むしろ人並み以上に 厳格でした。

 しかし、 延々と続く 僕への非難の電話など、

 愛情を求める故の行為は 無制限でした。

 当時は 境界設定などの 情報がまだなく、

 僕は 「受容」 の姿勢を 旨としていました。

 僕は ホスピスの勉強をしていて、

 死に直面した人の 苦しみをそのまま受け止め、

 ただひたすら 耳を傾ける 「傾聴」 が

 最も大切なことと 考えていたのです。

 ただし 主治医の先生の、

「 要求されても、 できないことはできないと 言うしかない 」

 という助言は 理解していました。

 また僕は 受容のキャパシティーが 人より少し大きかったかもしれず、

 自分の限界を超えることは しなかったと思います。

 でも 「限界設定」 ということが、 当時の僕に 足りなかった情報でした。

 それを知っていたら、 また別の対応が できたでしょうし、

 心子も違う生き方が できたかもしれないというのが、 一番残念なことです。

 例えば、 電話は 30分や1時間までなどという 境界設定をしておいたら、

 最初は 心子は荒れ狂うでしょうが、

 無際限の愛情というものは 現実には存在しない ということを理解し、

 自分で 折り合いを付けていくように できたかも知れません。

 もちろん 「かもしれない」 に過ぎませんが。

 心子は 洗礼を受けて 神様の子になりたいと 言っていました。

 人間の愛情には 限界があるけど、

 神様の愛情には 限界がないから と言って。

 一方で、 100%でない愛情に いい意味で諦めを付けたり、

 99の黒の中の ひとつの白に、 目を向けることが できたこともありました。

 そんな兆候を 見せた矢先に 旅立って行ってしまったのでした。

 当時もっと 境界設定などの情報があり、

 そして 家族会のようなネットワークがあったら、

 何かの可能性が あったかもしれません。

 だから、 ボーダーに関する 情報が増え、

 人々の理解が広まってほしいと 望んでやまないのです。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする