3月1日(水)雨、寒い一日。
2月26日(日)付け、<「きっこの日記」は無料です1~4>で、“きっこ”さんが珍しく怒っている。直前に、週刊新潮や「サイパッチ」とかのブログで、“きっこさん”そのものの正体、書いてある内容の真否等についてあれこれ詮索されたり、ツッコマレたりに対する怒りの抗議のようである。
きっこさんは叫ぶ。『「きっこの日記」は、あくまでもあたしのプライベートな日記であって、あたしが書きたいことを書くための日記だ。…あたしの自己満足のために書いている。読者のために書いているんじゃない。読みたい人はかってに読めばいい。あたしは、ジャーナリストでもマスコミでもなく、単なるひとりのヘアーメークだ。そんなあたしが、その日の気分で書きたいと思ったことをかいているだけの日記なんだから、その内容について、あーだこーだって反論みたいなメールを送ってくるのだけは、絶対にやめて欲しい。正直言って、ウザイ。あたしの書いていることが気に食わないんなら、二度と読まなきゃいいだけのことなのに、』と。
しかし、この言い分は通るだろうか。”きっこ”さんにとっては通ろうが通るまいが勝手にしてくれだろうが、私には、”きっこ”さんが分かっていての強がりにしか受け取れない。
以下、我が愛読する「きっこの日記」について私が感じた危惧を通しての、私なりの貧弱なブログ論である。
ブログは、今や一つの立派な社会的な誰でもが無資力で参加し、発信できる情報媒体である。発信者、受け手は個々の個人であっても社会的な情報ツール、インフラとしては公器とみなすべきではなかろうか。
その意味で、不特定多数の方々(公衆?)の目に触れることが前提のブログにおいては、「私のための私の日記=何を書いても勝手!」とはならないのではないか?。
何も、書いた内容に厳正な責任を持てというのではない。文章を面白くするための誇張や諧謔は良い。
しかし、事実の裏づけのないことは書くべきではないと思う。
上掲のその3に記載されている、『去年の総選挙の時に、イノシシが武部ブタに何億円だかを渡した時も、バカ息子が受け渡しの窓口になって、2000万円だか3000万円だか抜いたって話は、バカ息子本人が彼女にベラベラとしゃべってるし、…』などになると、単なる風説の流布意外のなにものでもなくなってしまう。
もし、この内容が事実であるならば、“きっこさん”がここに書いてあるように直接見聞したのであれば、しかるべく捜査機関でもマスコミにでも情報提供すべきではないか?。でなければ単なる犯罪行為の傍観者にすぎないことを自ら告白しているようなものではないか?。
なぜ、“きっこさん”は、これは私のための私だけの日記といいながら、こんな社会だねを、それこそ事実とすれば大変な時限爆弾を仕掛けなくてはならないのか、理解に苦しむところである。
MAXの宣伝や感想、俳句については何を書かれようとかってである。おっしゃるとおりである。そんなものに誰も文句をつけるものはあるまい。
しかし、一度、政治家をはじめとして、他人を名指しかそれと分かる表現で揶揄したり事実不明のことを記載記することは許されるべきではない。渥美寅さんの名セリフを借りれば「それをやっちゃあおしめいよ!」である。ブログ民主主義の自滅。公権力の規制を招くことは火をみるより明らかではないのか。
そこに自ずからなるルール、規範、自己抑制がなくてはならないのではないか?。
その自覚の有無が、これから発展途上にあるブログが民主主義社会の有力な情報媒体となりうるか、単なる興味本位の掲示板やチャット的なもので終わるかの境目になるのではないか。
“きっこさん”は残念ながら、都合の悪いことになると、プライベート日記論に逃げ込んでしまい、読みたい人だけが読めば良いという。
しかし、上記のようなセンセーショナルな記事を記載することは一目を引きたい、話題を呼びたい一心そのものではないか?。
もしそれが動機で、「武部ブタ云々」なら他人事ではない。“きっこ”さんそのものが人間として、最低の部類に堕することとなるのではないか?。
それが証拠に、今日、3月1日付けで、いつもの文体とは違う調子、まるで別人の口調で『パソコンテレビ「Gyao」(予告、22:15~ )で「きっこの日記」が、もし売るとすればいくらになるか値踏みしてもらうのを楽しみにしている、これまでがんばって書き続けてきたので…』とあった。“きっこ狐”の大尻尾といったところだろうか?。
私も、せいぜい、一杯やりながら今大フィーバー中の「きっこの日記」にいくらの値がつくのか?。その値段、に対して、はたして”きっこ”さんがどんなコメントを打つのか高みの見物きめこみたいと思うこの頃。
さて、皆様は何とお思いでしょうか?
ー追記ー勿論、この記事、”ウザイ”と言われるのを処置で「きつこの日記」の”きっこ”さんにメールしたり、TBするつもりは毛頭ありません。おそらく私のような無名のブログなど所詮、”蟷螂の斧”でしかすぎないでしょうから。(この項、続くつもりです。)
2月26日(日)付け、<「きっこの日記」は無料です1~4>で、“きっこ”さんが珍しく怒っている。直前に、週刊新潮や「サイパッチ」とかのブログで、“きっこさん”そのものの正体、書いてある内容の真否等についてあれこれ詮索されたり、ツッコマレたりに対する怒りの抗議のようである。
きっこさんは叫ぶ。『「きっこの日記」は、あくまでもあたしのプライベートな日記であって、あたしが書きたいことを書くための日記だ。…あたしの自己満足のために書いている。読者のために書いているんじゃない。読みたい人はかってに読めばいい。あたしは、ジャーナリストでもマスコミでもなく、単なるひとりのヘアーメークだ。そんなあたしが、その日の気分で書きたいと思ったことをかいているだけの日記なんだから、その内容について、あーだこーだって反論みたいなメールを送ってくるのだけは、絶対にやめて欲しい。正直言って、ウザイ。あたしの書いていることが気に食わないんなら、二度と読まなきゃいいだけのことなのに、』と。
しかし、この言い分は通るだろうか。”きっこ”さんにとっては通ろうが通るまいが勝手にしてくれだろうが、私には、”きっこ”さんが分かっていての強がりにしか受け取れない。
以下、我が愛読する「きっこの日記」について私が感じた危惧を通しての、私なりの貧弱なブログ論である。
ブログは、今や一つの立派な社会的な誰でもが無資力で参加し、発信できる情報媒体である。発信者、受け手は個々の個人であっても社会的な情報ツール、インフラとしては公器とみなすべきではなかろうか。
その意味で、不特定多数の方々(公衆?)の目に触れることが前提のブログにおいては、「私のための私の日記=何を書いても勝手!」とはならないのではないか?。
何も、書いた内容に厳正な責任を持てというのではない。文章を面白くするための誇張や諧謔は良い。
しかし、事実の裏づけのないことは書くべきではないと思う。
上掲のその3に記載されている、『去年の総選挙の時に、イノシシが武部ブタに何億円だかを渡した時も、バカ息子が受け渡しの窓口になって、2000万円だか3000万円だか抜いたって話は、バカ息子本人が彼女にベラベラとしゃべってるし、…』などになると、単なる風説の流布意外のなにものでもなくなってしまう。
もし、この内容が事実であるならば、“きっこさん”がここに書いてあるように直接見聞したのであれば、しかるべく捜査機関でもマスコミにでも情報提供すべきではないか?。でなければ単なる犯罪行為の傍観者にすぎないことを自ら告白しているようなものではないか?。
なぜ、“きっこさん”は、これは私のための私だけの日記といいながら、こんな社会だねを、それこそ事実とすれば大変な時限爆弾を仕掛けなくてはならないのか、理解に苦しむところである。
MAXの宣伝や感想、俳句については何を書かれようとかってである。おっしゃるとおりである。そんなものに誰も文句をつけるものはあるまい。
しかし、一度、政治家をはじめとして、他人を名指しかそれと分かる表現で揶揄したり事実不明のことを記載記することは許されるべきではない。渥美寅さんの名セリフを借りれば「それをやっちゃあおしめいよ!」である。ブログ民主主義の自滅。公権力の規制を招くことは火をみるより明らかではないのか。
そこに自ずからなるルール、規範、自己抑制がなくてはならないのではないか?。
その自覚の有無が、これから発展途上にあるブログが民主主義社会の有力な情報媒体となりうるか、単なる興味本位の掲示板やチャット的なもので終わるかの境目になるのではないか。
“きっこさん”は残念ながら、都合の悪いことになると、プライベート日記論に逃げ込んでしまい、読みたい人だけが読めば良いという。
しかし、上記のようなセンセーショナルな記事を記載することは一目を引きたい、話題を呼びたい一心そのものではないか?。
もしそれが動機で、「武部ブタ云々」なら他人事ではない。“きっこ”さんそのものが人間として、最低の部類に堕することとなるのではないか?。
それが証拠に、今日、3月1日付けで、いつもの文体とは違う調子、まるで別人の口調で『パソコンテレビ「Gyao」(予告、22:15~ )で「きっこの日記」が、もし売るとすればいくらになるか値踏みしてもらうのを楽しみにしている、これまでがんばって書き続けてきたので…』とあった。“きっこ狐”の大尻尾といったところだろうか?。
私も、せいぜい、一杯やりながら今大フィーバー中の「きっこの日記」にいくらの値がつくのか?。その値段、に対して、はたして”きっこ”さんがどんなコメントを打つのか高みの見物きめこみたいと思うこの頃。
さて、皆様は何とお思いでしょうか?
ー追記ー勿論、この記事、”ウザイ”と言われるのを処置で「きつこの日記」の”きっこ”さんにメールしたり、TBするつもりは毛頭ありません。おそらく私のような無名のブログなど所詮、”蟷螂の斧”でしかすぎないでしょうから。(この項、続くつもりです。)
きっこのほうがスジ通ってる
気分が落ちます。
悪趣味としか言いようが無い・・・
コメントありがとうございます。
このテーマ、アップしてから半年も経ちますのに、未だに日々アクセスをいただきます。
きっこの日記の注目度の高いのに改めて驚かされます。
私もきっこの日記は毎日読まずにいられません。
その饒舌な書きっぷりには、舌をまきます。大手メディアの書き手で毎日毎日、これだけのものを書いて見せて、読者を厭きさせないものなんてあるでしょうか?
今や”この問題に、きっこさんななら何てコメントするだろう?”とさえ、思ってしまいます。
しかし、今、もし、あの悪名高き「治安維持法が健在」なりせば、とっくの昔に「世間を騒がすもの、風説の流布、不敬罪等々」でブログは閉鎖、きっこさんは軽くて手鎖100日、重ければ懲役か禁固何年なんてことになるのではないでしょうか。(笑)
今、そんな悪法が無いとはいえ、権力は自分に不都合なものは無いに越したことは無いはず。であれば、巧妙に網をかけてくるは必定。
そしてまた人間としての品性の点から言っても、あまり、私のような単細胞人間が思わず”ほんとかいな?”というようなことは、少々お慎みになったほうがいいようにと、思うのですが、いかがでしょうか?
きっこさんの筆力をもってすれば、そこまで崖っぷちまでいかなくても、その思いは十分読むものに伝わってくると、私は思います。
一度、以前、見ましたらなんだか一時のシャープさが無くなり、取り上げられる話題もがらりと変わった印象がしたのです。
やはり、あれはどなたかとチームを組んでのもので、何か事情があってそのチームが解散したということではないのでしょうか…。
何か、たかし様がこのことについてご存知のことがあったら教えていただけるとありがいです。