8月31日(木) 晴れ。 清涼な一日。
ヤフーニュースで、下記の記事を見た。
『高専の女子学生殺害、19歳男子学生を指名手配
山口県周南市久米の徳山工業高等専門学校で、土木建築工学科5年中谷歩(あゆみ)さん(20)(山口県防府市伊佐江)が殺害された事件で、県警捜査本部は殺人容疑で逮捕状を取った周南市の同級生の男子学生(19)を指名手配した。
事件当日の所持金が少なかったことも判明。県警はそれほど遠くへは逃げていないとみて、県内を中心に行方を捜している。
調べによると、男子学生は事件当日の28日、登校に使っているバイクで逃走した。燃料タンクの容量は約5リットルで、満タンでも最大で250キロしか走れず、給油しなければ遠方には行けない。
県警は、所持金が少ないため、ガソリンがなくなると、給油せずにバイクを乗り捨てたり、他の交通機関を利用したりした可能性もあるとみて、指名手配した。120人態勢で行方を追っている。(読売新聞) - 8月31日23時6分更新』
この記事を読んで、私は、暗澹とした気持ちになった。そして次のようなことを思った。
―以下は、私の人間存在の不条理についての自問自答であり、下手な創作である。―
「君は、何故、同級生の中谷さんを殺さなければならなかったんだ?」
「28日(月曜日)、午前10時半過ぎ、君はその教室で待ち伏せしていて、何も知らずに入ってきた中谷さんにどんな言葉をかけて首を絞めたんだ。」
報道によればひも状のもので絞殺したとあった。ということは、その紐をあらかじめ用意していたことから見て、とっさの出来心ではなく、事前に何らかの理由(恐らくは自分勝手な)で、殺意を抱いての計画的犯行と推察される。
人間は、誰でも夜の闇の中で神の理想も、悪魔の妄想をも自在に人知れずに飛翔させる。
だが、それは一眠りして朝の燦燦たる陽光のもとでは、大抵は雲散霧消と消えてなくなるのが普通だろう。
「そうでなければ、君は、眠ることなく自分で自分を催眠したまま、親兄弟の顔も見ずに、現場の教室に直行してしまったのか?」
そして、思いのほか何の障害もなく、君は一思いに易々と殺(ヤ)ってしまったのだ。
あまりにもあっけなく事が運び、やった瞬間にはじめて君は我にかえった。次の瞬間、自分のしたことに初めて驚愕する。ことの重大さに動転する。身体が電気仕掛けの人形のように震えてとまらない。
とにかくこの場から逃げなくては。君の心臓は破れんばかりだ。しかし、この場を当面とにかく人目に触れさせたくない智恵だけは犯罪者の逃走本能として働く。中谷さんの鍵を奪って逃げる。幸いか不幸か、君は誰にも目撃されることなく、乗ってきた自分のミニバイクに飛び乗り一目散に校門を走りでる。
どこへ行こうか?。もう自分には、行くところはどこにもない。この地上に自分の居場所はどこにもないのだ。人を殺した以上死ぬしかない。
バイクは走る。走る。いろんな車に追い抜かれ、すれ違う。いっそこのまま対向車線に飛び込もうか?だが、怖いできない。
どうすればいいんだ?俺はなんでこんなことやってしまったんだ。信号の赤や青が夢の中のイルミネーションのように揺らめき流れる。今、俺はどこにいるんだ?今、俺はどこにいくんだ?
俺は、生きるべきか死すべきか?俺はまだぎりぎり少年だ。捕まったところで死刑にはならない。だがそれはいい。
しかし、もうこの俺が生きていて何ができるんだ。父さんはどうなる?母さんはどうなる?兄弟はどうなる?皆、殺人者の肉親にしてしまったのだ。裁判にかけられたらどうなる。相手の親にどう責められる?どう応え、どう謝ればいいんだ?友達は?先生はどう思う?
ああ!どうして、こんなことを、俺はしてしまったんだ?
そして、君の心に人間の心が舞い戻ってきた瞬間から、君の目の中で、心の中で君に殺された中谷歩さんの、断末魔の苦しみの顔が焼きつき、それは声無き声で、君の命ある限り責め続けるだろう。
「何故、こんなことするの!、私が貴方に何をしたっていうの?何故あんたなんかにこんなところで殺されなければならないの?苦しい、苦しい、誰か来て、お母さん!、お父さん!どこ?どこ?助けて!助けて!何故?何故?何故?貴方になんか殺されなきゃあならないの?…お母さん!おとうさん!苦しい!苦しい!…」
「君は、今、何を思って、どこへ逃げているんだ?もうあれから4日の夜を、君はどこの空の下で、露に濡れて、腹を空かせて、汗と埃にまみれて、悔やみ泣いているのだ?」
君の暗い情念の暴発が、晴天の霹靂となって、殺された歩みさんはもとより、君自身も、歩さんの家族も、君の家族も平和で幸せな日常世界から、怨嗟の木霊する非現実とも思える無限地獄に突き落とされたのだ。
不幸な事件に汚辱された現場の学校、立派な校舎である。環境は申し分なく見える。君の家庭は、郊外住宅に住む四人家族だという。傍目には何の問題もありそうにない希望に萌える幸せな家族の一つではなかったのか。
この事件を聞いて、私は半世紀近くも前になる東京小松川での女子高校生殺人事件を思い出した。あれは、定時性高校生とか、在日とか差別問題も絡んだ不幸な環境の中での事件だった。
ところが、こちらは、一見何の問題もなさそうな、幸せそうな環境の中での事件である。
人を殺そうという情念、エモーション、それは環境を選ばないのだろうか?
殺そう、そう決意した瞬間から、理性は吹っ飛び、殺しへ向かう情念だけが、まるで悪魔(メフィストフェレス)に身売りしたかのように、この身は蛻(モヌケ)の殻となって、思考停止状態となって、人殺しに一目散に向かわせるのだろうか?
亡くなられた、中谷様のご冥福を心からお祈りいたします。
<参考:小松川女子高生殺し事件>kangaeru.s59.xrea.com/komatuind.htm
今から40年も前の昭和33年、人々を震撼させた事件がありました。それが小松川女子高生殺し事件です。報道機関に女子高生を殺し捨てた旨を伝える電話、高校屋上スチーム管暗きょの中で腐乱死体で発見、葬儀の最中に郵送された被害者のクシ、更に新聞社に「オレが真犯人だ。オレがやったのは計画的な完全犯罪だ。もう1人殺している」との犯行声明、そして逮捕されたのは18歳の定時制高校の少年。その少年は取調にいたって冷静、「いまだに少女を殺してしまったような気はしない」と述べながら犯行を自供。一部報道機関が少年を実名報道、そして・・・・・。
神戸児童殺人事件の真相が明らかに、さらにマスコミの取り上げ方が過剰になるにつれて、この小松川女子高生事件のことが神戸児童殺人事件とオーバーラップしてきます。時代背景は全く異なりますが、とても類似していると思われます。
小松川女子高生殺し事件の動機は差別と貧困であったと言われています。この事件に神戸児童殺人事件が類似しているとすると豊かで平等になったと言われる現代日本ですが、神戸の少年の心に何かに対する差別感や焦燥感があったのではと考えます。
ー小松川女子高校生殺人事件詳細ー以下に続く。
ー追記ー
本件、標題ブログ、アップ直後厳しいコメントを戴き、私も自問自答としながらも誤解を招き不適切かなと考え、一時公開を保留しました。
しかし、昨日、指名手配少年のご両親の謝罪文も公表されました。また。明日発売の週刊新潮では、加害者の実名や行為についても記載とされるとのことであり、再度、公開することといたしました。
ヤフーニュースで、下記の記事を見た。
『高専の女子学生殺害、19歳男子学生を指名手配
山口県周南市久米の徳山工業高等専門学校で、土木建築工学科5年中谷歩(あゆみ)さん(20)(山口県防府市伊佐江)が殺害された事件で、県警捜査本部は殺人容疑で逮捕状を取った周南市の同級生の男子学生(19)を指名手配した。
事件当日の所持金が少なかったことも判明。県警はそれほど遠くへは逃げていないとみて、県内を中心に行方を捜している。
調べによると、男子学生は事件当日の28日、登校に使っているバイクで逃走した。燃料タンクの容量は約5リットルで、満タンでも最大で250キロしか走れず、給油しなければ遠方には行けない。
県警は、所持金が少ないため、ガソリンがなくなると、給油せずにバイクを乗り捨てたり、他の交通機関を利用したりした可能性もあるとみて、指名手配した。120人態勢で行方を追っている。(読売新聞) - 8月31日23時6分更新』
この記事を読んで、私は、暗澹とした気持ちになった。そして次のようなことを思った。
―以下は、私の人間存在の不条理についての自問自答であり、下手な創作である。―
「君は、何故、同級生の中谷さんを殺さなければならなかったんだ?」
「28日(月曜日)、午前10時半過ぎ、君はその教室で待ち伏せしていて、何も知らずに入ってきた中谷さんにどんな言葉をかけて首を絞めたんだ。」
報道によればひも状のもので絞殺したとあった。ということは、その紐をあらかじめ用意していたことから見て、とっさの出来心ではなく、事前に何らかの理由(恐らくは自分勝手な)で、殺意を抱いての計画的犯行と推察される。
人間は、誰でも夜の闇の中で神の理想も、悪魔の妄想をも自在に人知れずに飛翔させる。
だが、それは一眠りして朝の燦燦たる陽光のもとでは、大抵は雲散霧消と消えてなくなるのが普通だろう。
「そうでなければ、君は、眠ることなく自分で自分を催眠したまま、親兄弟の顔も見ずに、現場の教室に直行してしまったのか?」
そして、思いのほか何の障害もなく、君は一思いに易々と殺(ヤ)ってしまったのだ。
あまりにもあっけなく事が運び、やった瞬間にはじめて君は我にかえった。次の瞬間、自分のしたことに初めて驚愕する。ことの重大さに動転する。身体が電気仕掛けの人形のように震えてとまらない。
とにかくこの場から逃げなくては。君の心臓は破れんばかりだ。しかし、この場を当面とにかく人目に触れさせたくない智恵だけは犯罪者の逃走本能として働く。中谷さんの鍵を奪って逃げる。幸いか不幸か、君は誰にも目撃されることなく、乗ってきた自分のミニバイクに飛び乗り一目散に校門を走りでる。
どこへ行こうか?。もう自分には、行くところはどこにもない。この地上に自分の居場所はどこにもないのだ。人を殺した以上死ぬしかない。
バイクは走る。走る。いろんな車に追い抜かれ、すれ違う。いっそこのまま対向車線に飛び込もうか?だが、怖いできない。
どうすればいいんだ?俺はなんでこんなことやってしまったんだ。信号の赤や青が夢の中のイルミネーションのように揺らめき流れる。今、俺はどこにいるんだ?今、俺はどこにいくんだ?
俺は、生きるべきか死すべきか?俺はまだぎりぎり少年だ。捕まったところで死刑にはならない。だがそれはいい。
しかし、もうこの俺が生きていて何ができるんだ。父さんはどうなる?母さんはどうなる?兄弟はどうなる?皆、殺人者の肉親にしてしまったのだ。裁判にかけられたらどうなる。相手の親にどう責められる?どう応え、どう謝ればいいんだ?友達は?先生はどう思う?
ああ!どうして、こんなことを、俺はしてしまったんだ?
そして、君の心に人間の心が舞い戻ってきた瞬間から、君の目の中で、心の中で君に殺された中谷歩さんの、断末魔の苦しみの顔が焼きつき、それは声無き声で、君の命ある限り責め続けるだろう。
「何故、こんなことするの!、私が貴方に何をしたっていうの?何故あんたなんかにこんなところで殺されなければならないの?苦しい、苦しい、誰か来て、お母さん!、お父さん!どこ?どこ?助けて!助けて!何故?何故?何故?貴方になんか殺されなきゃあならないの?…お母さん!おとうさん!苦しい!苦しい!…」
「君は、今、何を思って、どこへ逃げているんだ?もうあれから4日の夜を、君はどこの空の下で、露に濡れて、腹を空かせて、汗と埃にまみれて、悔やみ泣いているのだ?」
君の暗い情念の暴発が、晴天の霹靂となって、殺された歩みさんはもとより、君自身も、歩さんの家族も、君の家族も平和で幸せな日常世界から、怨嗟の木霊する非現実とも思える無限地獄に突き落とされたのだ。
不幸な事件に汚辱された現場の学校、立派な校舎である。環境は申し分なく見える。君の家庭は、郊外住宅に住む四人家族だという。傍目には何の問題もありそうにない希望に萌える幸せな家族の一つではなかったのか。
この事件を聞いて、私は半世紀近くも前になる東京小松川での女子高校生殺人事件を思い出した。あれは、定時性高校生とか、在日とか差別問題も絡んだ不幸な環境の中での事件だった。
ところが、こちらは、一見何の問題もなさそうな、幸せそうな環境の中での事件である。
人を殺そうという情念、エモーション、それは環境を選ばないのだろうか?
殺そう、そう決意した瞬間から、理性は吹っ飛び、殺しへ向かう情念だけが、まるで悪魔(メフィストフェレス)に身売りしたかのように、この身は蛻(モヌケ)の殻となって、思考停止状態となって、人殺しに一目散に向かわせるのだろうか?
亡くなられた、中谷様のご冥福を心からお祈りいたします。
<参考:小松川女子高生殺し事件>kangaeru.s59.xrea.com/komatuind.htm
今から40年も前の昭和33年、人々を震撼させた事件がありました。それが小松川女子高生殺し事件です。報道機関に女子高生を殺し捨てた旨を伝える電話、高校屋上スチーム管暗きょの中で腐乱死体で発見、葬儀の最中に郵送された被害者のクシ、更に新聞社に「オレが真犯人だ。オレがやったのは計画的な完全犯罪だ。もう1人殺している」との犯行声明、そして逮捕されたのは18歳の定時制高校の少年。その少年は取調にいたって冷静、「いまだに少女を殺してしまったような気はしない」と述べながら犯行を自供。一部報道機関が少年を実名報道、そして・・・・・。
神戸児童殺人事件の真相が明らかに、さらにマスコミの取り上げ方が過剰になるにつれて、この小松川女子高生事件のことが神戸児童殺人事件とオーバーラップしてきます。時代背景は全く異なりますが、とても類似していると思われます。
小松川女子高生殺し事件の動機は差別と貧困であったと言われています。この事件に神戸児童殺人事件が類似しているとすると豊かで平等になったと言われる現代日本ですが、神戸の少年の心に何かに対する差別感や焦燥感があったのではと考えます。
ー小松川女子高校生殺人事件詳細ー以下に続く。
ー追記ー
本件、標題ブログ、アップ直後厳しいコメントを戴き、私も自問自答としながらも誤解を招き不適切かなと考え、一時公開を保留しました。
しかし、昨日、指名手配少年のご両親の謝罪文も公表されました。また。明日発売の週刊新潮では、加害者の実名や行為についても記載とされるとのことであり、再度、公開することといたしました。
この夏も祖母と孫が川で流されたり、女児がプールの口に吸い込まれたり。
また福岡での3児水死。(事故というより事件ですね)悲しい夏です。
やりきれない思いにとどめを刺すようなこの事件に、毎日その後の報道が気になります。
蛾遊庵様のいつもと違ったコメントの手法に、実際に現場を見ているよう感じました。
わたしは徳山高校卒です。徳山は落ち着いた好きな町でした。
殺害された女生徒は熊大編入が決まっていたそうですね。今まで一生懸命努力されて未来が開きかけた瞬間こういう事になり本当に言葉もありません。
犯人は19歳なので顔もわからないしヤケになって第二の犯罪を犯さないかと心配です。
《人間は、誰でも夜の闇の中で神の理想も、悪魔の妄想をも自在に人知れずに飛翔させる。
だが、それは一眠りして朝の燦燦たる陽光のもとでは、大抵は雲散霧消と消えてなくなるのが普通だろう。》・・・わたしもそう思いました。
この事件については、複雑な思いがいたします。これは、こういう言い方をしてはまた別の誤解を招くかとも案じますが、敢えて申しまして、女性の方には、理解しがたい男の、それもこの年頃特有の「性」の問題だと思います。
私も覚えがありますが、この年頃は、自分が惹かれた女性に夢中になってしまうのです。尤もこれは個人差が相当程度あると思います。私は、強く感じました。来る日も来る日もその人のことばかり考えるのです。そうなると勉強も何もあったものではありません。
そのときの持って行き場の無い気持ち、やるせなさはどうしようもないものでした。
とにかく、夢中になって方端から本を読んだり、そこらじゅうを歩きまわったりして、何とか自分の気をそらそうととして悪戦苦闘した覚えがあります。
私が大学受験に失敗したのも負け惜しみかも知れませんが、そこに一因があったかとも思います。
恐らく、この19歳の少年も同じ思いに、人に見せられない場所でのた打ち回っての挙句の、現状逃避の犯行ではなかったかと思います。
亡くなられた被害者の方には、大変酷い言い方にかもしれませんが、恐らく、この少年の犯行時の心理状態は心身耗弱状態にあったのではないかと、素人考えながら推察いたします。
男の性は、この文明化された世にあっても、多分に原始性というか獣性を残しているように思います。
男が一匹のオスとして、気に入った女の人を、相手の意思を無視して追っかける。その行為は、原始社会、少なくとも現代のような法規範や倫理観が普遍化する以前の社会の中でなら、相手部族の男性に見つかってリンチされない限りは、ごく当たり前の生殖行為としてすんでしまったことではなかったでしょうか。
ところが、現代の文明化した社会では、決して許されることでないことは自明です。
だが、男の性の本能は、とてもここに三千年足らずの文明化の中で馴致されるほど生易しいものではないのではないのでしょうか。
もっとも最近の日本男子の多くは働きすぎでセックスレスが蔓延しているようですので、随分とおとなしくなってはいるようですが。
しかし、こればかりは人によって強弱の差が非常におおきいのではないでしょうか。
だからこそ、社会的地位の高下、有無に関わらず男性の性的不祥事が後を絶たないのではないかと思います。
何を馬鹿なと言われるかもしれませんが、男には容易に理性では制御しきれない、性的魔性、衝動を生まれつき抱え込まされている人たちが居るのではないかと思います。
そのうちの何十万人かの一人が、その内なる葛藤に耐え切れず、殺人まで犯してしまったということではないでしょうか。
彼のような人間は、この文明化された時代でないところに生を受けていれば、殺人までには至らなかったのではと、ある意味で痛ましくも思えてくるのですが。
こんな私の考えは、どこか、あの子猫殺しのホーラー作家の詭弁に聞こえるでしょうか?
ご批判をお願いいたします。
きっと、言葉足らずで誤解を招きそうで心配ですが、これが正直な今の私のこの事件への感想です。
ここ半年で少年事件が頻繁に起こっています。悲しくもこれも氷山の一角だと私は考えます。「殺人」といった事件を起こす一歩手前までにストレスが溜まっている子供も多数いると思います。
徒然草さんが言うように今回の山口の事件は性的衝動からくる支配欲により殺人へ至ったのではないかと私も考えます。目立つ事件を起こしているのは少女ではなく少年です。つまり「女性」ではなく「男性」が事件を起こしていることがわかります。この差は脳内物質の分泌によるものだとか・・・以前このように聞いたことがあります。
この脳内物質の分泌量には個人差があるとか言っていました。つまり脳内物質の分泌を自律制御可能とか。よって傾向をつかみ対策を立てれば犯罪の予防につながるそうです。しかしこれには倫理的な問題とか色々ややこしい問題があって今の段階では実現が難しいそうです。
しかし脳科学レベルの段階ではなく個人、家庭、地域レベルの教育でこれは可能ではないかと私は思います。脳科学のことはさっぱり私はわかりませんが(笑)教育でとりあえず代替するということがいいと思います。
私は日本の性教育を見直す必要があるとも思います。他の国の大人は知りませんが、日本では受験教育にはうるさく口を出すのに性のことになると突然だんまりです。
実際に私の世代の時、性についての知識を得る手段といったら雑誌、ビデオ、友人との話、そして一年に1回あるかないか位の頻度で行われる保健の授業ぐらいです。
今の中高生世代だとインターネットが普及しましたから歪んだ性に対する知識を身につけている人がさらに多くなっていると思います。
子供は正面から向き合うことをどこか期待しています。それに大人たちが答えることが大切だと思います。
長くなりました、スミマセン・・・
この夏息子たちが帰省した折も「普通の喧嘩は仕方ないこともあるかも知れないけど、手鏡教授のような性犯罪だけは絶対起こさないように!」と言いました。
蛾遊庵様御自身の経験を正直に教えていただき「男性の本能」が「理性」といつも(青年期)ギリギリで戦っている事がわかりました。
愛のかたちにはアガペーとエロスがあるとのこと。
どちらが尊い、という事はないと思うのですが、
心の片隅にアガペー部分を1パーセントでも持っていたら「愛する者を傷つける」ことはないかも知れないなぁ、と思います。
この事件はまだ動機がはっきりわかりませんが、紙一重で事件にならない似たような状況は世の中にたくさんたくさんあるのでしょうね。
コメントありがとうございます。このような事件について、失礼ながら年代の近いぱんちょ様ならどう見られるか実はお尋ねしたいところでした。
やはり、どんな問題でも真正面から素直に善意に受け止められるお人柄の出たコメントだなと感じいりました。
確かアメリカでは性犯罪の常習者には、脳手術により前頭葉の一部を切除する「ロボトミー」ことが、許されているということをきいたことがあります。
その副作用として、無気力状態内視になり、攻撃的な性格が矯正されるそうです。
これを採用するかどうかは議論の分かれるところかと思います。
しかし、性犯罪者の性向は、どうも先天的な要素が非常に大きく、少々の教育や教養の涵養で矯正できるようなものではないように感じます。
裁判官や大学教授、はたまた横山ノック元大阪府知事、アメリカのクリントン大統領でさえも、程度の差こそあれノミネートされる有様です。
そこへ輪をかける様な昨今の各種メディアによる性情報の氾濫です。
これではますます寝た子を起こすようなもので、当分こうした犯罪の増加傾向は後を絶たないのではないかと、絶望的な気がするのですが、いかがでしょう。
私は、今、私たちは人間をあまりにも理想化して全てのものごとを考え、世の中の仕組みを作っているのではないかと思います。
残念ながらここに10人の人間が居た場合、何人、平均的というか道徳的に行動できる人がいるでしょうか?
私は、多くて6人ぐらいがいいところではないかと思います。
ところが、法律でも制度でもその全てが、10人ともが優等生的な人間と想定して作られているように思います。
卑近な例がごみの分別です。自分でやってみるとわかりますが、自治体の処理方式によって違いもあるかと思いますが、ちゃんと決められたとおりに分別しようとすると、大きな説明書きを見ながら、それも相当の時間を割かないとできません。
これでは、車の窓からポイ捨てする輩が後を絶たないわけです。
私は、確かに理屈から見ればごみの資源化ということを考えれば詳細に細分化するのはいいでしょうが、ポイ捨てによる街の汚染や不法投棄による自然環境の破壊を勘案すれば、もう少し大雑把にごみを排出できるシステムとすべきではないかと考えます。
何だか少し脱線してしまったようですみません。意のあるところをお汲み取り願えればとおもいます。
ご子息へのご心配ご無用かと思います。おっしゃるようにこの種の事件、表面化しているのは氷山の一角ななおかもしれません。
しかし、反対に男性の数はこの日本でも6千万人もいるわけでして、そんな中で性犯罪で殺人までに至るのはほんの何十人かでしょう?
変な例えですが破傷風の細菌に感染するよりも確率は低いかと思います。
私とて、いくら対象の方に夢中になったとはいえ、ストーカー行為はおろか、手紙一通だしたこともなく、ただただ自分の心の中の問題として悩ましい思いし、学業などには集中できない苦しみを味わっただけです。
しかし、そのことにより、文学や芸術的関心が高まったこともあります。
大抵の男性はそうして、この危険な試練の時期を乗り越えて成長していくのかと思います。
ところで、今日になるも指名手配の少年は目撃情報もありませんね。
若しかしたら、既にどこかで自殺しているのかとも想像してしまいます。
若し、そうであればそれがこの事件のせめてもの関係者全員へのまた、社会にとってもせめてもの救いかと、私は思います。
この種の犯罪に対しては、少年法を改正しても効き目はほとんど無いのでないかと思います。
また、仮に逮捕して矯正施設にいれたところで、この少年のもっている生命本能の力が減衰するまでは、矯正は無理なのではないかとも思います。
まさに人間の不幸な業(ゴウ)を背負わされたとしか言いようが無いように思います。
アガベー、私、寡聞で知りませんでした。辞書で引きましたら、①神の愛。罪人である人間に対し、神が注ぐ自己を犠牲にした愛。②初期キリスト教で、信徒交わりを厚くするために行われた会食。メソジスト派の一部では今も行う、とありました。
自己犠牲、三浦綾子氏の小説でしたか「石狩峠」、暴走する列車を止めようとして、連結器の間からわが身を線路に投じて、列車を止め多数の乗客を救おうとした話を思い出しました。
相手の気持ちも考えずにただ、己の欲望だけから相手を独占しようとするマニアックなエロスと天と地の相違ですね。
だが、悲しいかなどちらもこの人間という存在の一面なのではないでしょうか。
先天性が関係していることも十分考えられますが、私は教育でも十分修正可能な範囲であると考えます。もし先天性が判明できる時代が来たときにその烙印を押された人の人生は悲しすぎます。
話はそれますが、輪ゴムを伸ばせば元に戻ろうとする力が働きます。自分本来の姿に戻ろうとする自然の現象です。これは人間にも言える現象だと思います。人間にストレスがかかると本来、自然の姿に戻ろうとします。しかし今の社会では元に戻ろうとする力が変な方向にかかっている気がします。
これは社会全体の歪みがもたらしているために起こる現象だと私は考えます。
今回の犯罪に関しても犯罪にまで駆り立てる欲求を解消出来るような環境、知識などが欠落し少年の視野があまりにも狭くなったために起こったのではないかと思います。
しかし本当の事実は少年だけが知っていることです。まずは少年を発見することが大切だと思います。
犯人じゃないのでしょうか。
新聞の社説ではなくブログですから自分の思いを書いて何が悪いのでしょうか。