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蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

山口県光市母子殺害事件ー犯人には鬼畜だ、ためらいなく死刑を!

2006-04-20 14:22:19 | 時事所感
 4月20日(木)夜来の雨、午後ようやく上がる。

 このところ、このブログを開けるたびに驚いている。昨年末、12月10日に投稿した「相次ぐ幼児殺害事件ー犯人には死刑を!」へ、今日になって多数のアクセスをいただいたからである。この記事で触れた山口県光市での本村さん母子殺害事件について最高裁での結審報道に触発されてのことらしい。そしてコメントもいただいた。
 しかし、このコメントにお返事を書くうちに、コメントを寄せていただいた方以外にも再度私の思うところを聞いていただきたく、コメントにお答えする形で再掲してみました。

 コメントありがとうございました。私は加害者が発信したという「マブタチ」への文書を見ておりませんのでこれについては何とも申せません。
 しかし、何かで、加害者が「自分を裁けるものは誰もいない…」というようなことを仲間だかに携帯で伝えたいうような記事はみたように記憶しております。
 これを聞いたときも、一体何を考えている奴なんだと思いました。

 このような輩はどんな親がどんな育て方をしてきたのかと思いました。
 しかし、このような犯罪を犯して平然としていられるのは、もはや遺伝因子そのものに欠陥があったとみるべき何万人に一人かの確率で生まれ出てくる悪魔の子ではないでしょうか?
 だからその親の教育の如何を問うてもどだい無理なことなのかもしれません。

 むしろこうした輩は人間の外見をしたケダモノか異形の化け物とみなして、人間扱いすべきではないのではと私は考えます。
 故に、こんな輩を教育更生させようなんておこがましいことを考えるべきではないのです。
 速やかにこの人間社会からは追放すべきなのです。

 昨日も、TVのスパモニだかでコメンテーターとして出ていた弁護士と称する先生が、先進国で死刑制度を残しているのは日本と中国ぐらいだというようなことを言っていました。そして、またしても日本での量刑の判断基準が、一人なら無期、三人以上は死刑、二人の場合は無期と死刑にそのケースによって分かれると…

 こんなひとを馬鹿にした話があるでしょうか?同じ人間の命の重さに軽重をつけるなど誰に許されてのことでしょうか?。同じ人間である裁判官にいつそんな権限を裁量を私たち国民は委ねたのでしょうか?。全く冗談じゃあありません。

 「死刑廃止が先進国の趨勢…」何故、こんなことで先進国でなくてはいけないのでしょうか?。先進国、先進国なんて言ったてついこの間まで、それこそ理非曲直もなく世界中で植民地支配を行い、無辜の人民を幾億と殺し、収奪したその結果今日の生活水準を維持して口を拭っている輩ではありませんか?。

 そんな輩のやることを何でも有り難がってあとからくっついていこうとする一見お利巧そうな面をした学者、識者面には反吐がでそうになります。

 私は中国共産党国家の強権支配には断固、嫌悪を感じるものですが、彼の国の連中の自分たちの特権は棚に上げての、すまし顔での犯罪者への断固とした迅速な処断振りだけは評価を惜しみません。もっともこれは巧妙な政権への国民の不満を逸らす巧妙な国民操縦の道具として使っているのかもしれませんが。

 とにかく、死刑の残虐性を云々するなら白昼堂々問答無用で宣戦布告もせずに無辜の民衆を巻き添えにすることがわかりきっているイラク戦争のような国家犯罪を先進国がよってたかって行っているのを、何故、識者と称する輩は身体を張ってでも弾劾しないのでしょうか?。まやかしの見せ掛けだけの人道主義もどきを無批判に盲従する似非学者・識者は生まれなおしてきてもらいたいものです。

 これに反して、自己の欲望の赴くまま、可愛いあかちゃんを抱く母親を強姦し、その母のそばへ何もわからず泣いて這いよるあかちゃんを無惨にくびり殺してしまうような鬼畜をどうして死刑にしてはいけないのだろうか?。
 どうしてこんな奴をこれから先、100歳か200歳(悪い奴ほど良く眠る…)までも被害者の本村洋さんも納めている税金で、後生大事に刑務所で食べさせ面倒みて生かしていかなければならないのだろうか?。

 それでなくても真面目に働いても低賃金で短期契約でいつ首を切られるか分からない生活の不安を日々抱えている同胞が幾百万といるというのに、何故我々はお人よしにも仏様面して、こんな異形の鬼畜を扶養していかなければならないのでしょうか?
 どうか、物分りのいい識者法律家大先生には、このもの分かりの悪い頑固の山家の隠居にも、なおよく納得のいくよう説き聞かせていただければと伏してお願い申し上げます。

 それにしても、記者会見でもたった一人で誰一人介添え人のいないなかで自らの信念を思いを堂々と毅然として発言されている本村洋氏の「犯人に極刑が下るまで自分には何ごとも始まらない」との言葉には深く感動しました。

 この真摯な被害者の唯一の遺族の慟哭の言葉をも、死刑廃止論をお利巧げに開陳して止まない先進国崇拝病患者の識者・学者先生は野蛮人の戯言と冷笑しあざ笑い捨てるのでしょうか?

 と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?。


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9 コメント

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Unknown (DH)
2006-04-20 23:58:47
はじめまして。早速で恐縮ですが、一言御許しください。



私はこの被告を必ず死刑にせよとまでは思いません。

かと言って、死刑にすべきではないとも思いません。



仮に原判決の無期懲役が維持されるとするならば、いつか仮出獄する可能性があるわけです(あくまで可能性であって必ずそうなるというわけではありませんが)。



よく「生きて償う」と言われます。

でもその具体像は必ずしも明らかではないように思います。



死ぬまで殺された被害者の冥福を祈り続けることなのか、そもそも一体誰がどのようにして「確かに生きて償った」のだと判断するのかー被害者遺族なのか、中立的な第三者なのか、刑務所内において「生きて償う」ことを保証するようなシステムが確立しているのか、いやむしろ民間のボランティア的な活動に委ねた方がより効果的であるのか、そのための経済的、人的なコストはどの程度のものでどのようなかたちで負担すべきなのか、等々明確にすべき問題点が多々あるように思います。



それと仮出獄後に再び殺人等の重大犯罪行為を犯して死刑を宣告された例がしばしば見られます(決して無視できるほどごく僅かな数ではありません)。

廃止後の最高刑が無期懲役に止まるとすれば、このようなリスクを覚悟しなければならないでしょう。



私は必ずしも廃止論を全否定するつもりはないのですが、一部の方々のように、ただ抽象的な理念を繰り返しているだけでは余り説得的ではないと思います。



(喜八様のブログでコメントしたことがある者です)



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コメントありがとうございました。 (蛾遊庵徒然草)
2006-04-22 11:53:22
DH様コメントありがとうございました。私は、殺人犯の贖罪ということを聞くと、昔、菊池寛の児童向けの読み物だったでしょうか、「青の洞門」の話を思います。父を殺された息子が敵討ちの旅に出て苦節何十年かしてようやく尋ねあてた敵は、今や僧形に身をやつし人が通行に難儀している路を作らんがため一心ふ乱に岸壁に鑿を打っていた。若者が敵討たんとその僧に迫ればいかにも自分がやったと速やかに白状しどうぞ討てと、自らの首をさしだす。しかし、一部のやり取りをみていた村人が、少し待ってほしいこの洞門ができるまではとのたっての頼み。若者は無視もできずしぶしぶ待つことにした。そして、僧の仕事ぶりを見るうち早く完成させればそれだけ早く敵も討てると、手伝い始める。やがて洞門は完成する。僧は、さあどうぞと再び己の首を差し出す。

 すると、若者は僧の手をとり、もう貴方の首などいりませんと言ったという。そうだ『恩讐の彼方』という話でした。

 しかし、この話の主人公は殺人といっても端緒はいきががりの喧嘩殺人のようなもの、決して昨今多く見られる獣欲や面白半分の殺人者とは、人間としての心の土台が違うようです。

 ゆえにこんな高尚な償いなど、彼らには百年、二百年待ったって期待できるものじゃないと思うのは山家の隠居の寿命が短いからでしょうか?

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なぜでしょう? (ボン)
2006-05-07 17:46:23
 はじめまして、ボンと申します。早速ぶしつけながらですがこの事件についての意見をここに投稿させていただきとう存じます。

 私はまだこの事件がおきた時、小学校低学年の子供でした。だから事件を知ることになったのはつい最近でした。初めて知ったときもピンときませんでしたが、犯人のその身勝手な動機と遺族や被害者への対応の仕方を知って他人ながら怒りがこみ上げてきました。そして、獄中からの友人への手紙の内容にも唖然としました。被害者のことを「可愛い犬」と表現し、遺族の方を見下すようなことを書いていたのです。亡くなられ反論のできない被害者を「犬」呼ばわりし、どうせ未成年だし殺したのが二人だからほんの数年で娑婆に出られると、殺人者の分際でふんぞり返っている犯人が憎たらしく思えます。なぜでしょう?なぜそんな体制でいられたのでしょう。自分が、被害者の立場に立たされて犯人があんな内容の手紙を書いていたら「自分は犬だったのだ。『やっちゃった』のだからしょうがない」と納得できるのでしょうか。犯人は外の世界へ手紙を出すことができます。言いたい事も言えます。でも被害者は二度と手紙も残された者への言葉も送ることはできないのです。遺族の方は、「なぜ私の家族が・・。」と答えの返ってこない空しい問いを続けなければならないのです。人は生まれながらにして平等だと私は存じております。人の命や心をもてあそび、踏みにじる権利はないはずです。もっとも、犯人がそんな当たり前のことを、考えるまでもないことを考えれる頭を持っていたのならこんな事は起こらなかったでしょう。被害者の方たちの冥福と遺族の方の心が晴れることを祈るばかりです。
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ほんとうに何故なんでしょう? (蛾遊庵徒然草)
2006-05-08 00:31:23
はじめまして。ボン様、コメントありがとうごじました。

 

 ボン様のおっしゃるとおり、何故、若いお母さんとその生まれた赤ちゃんまで無残に殺しておいて、判決まで受けながらそれでも、かつ平然と、どうせほんの数年で娑婆に出られるなんて嘯いていられるのでしょうね?。

 

 あなた様はお便りのようすからまだ中学か高校の生徒さんでしょうか?。



 それに比べ私は60余歳、今日まで生きてきて思うことは、人間は分からないなということです。



 そして、ある意味で人間は地球上で一番怖い不気味な生き物だということです。人間に比べれば、ライオンだってアームル虎だってものの数ではありません。



 彼らは最初から怖そうな容貌をしています。一目みればそれと判別できます。おなかがすいていない限り、あるいはこちらが彼らに何かを仕掛けない限り、彼らの方から一方的に襲いかかってくることはありません。



 しかし、人間は一見優しそうな顔をしていて、突然襲い掛かってくるのです。



 もっと言えば、ナチスのユダヤ人虐殺です。こちらは国家規模で計画的に意味なく(民族浄化という自分勝手な理屈をつけて、それは、上記事件の犯人が被害者を、犬呼ばわりしていることと同じでしょう)何百万人を殺戮しています。



 先の大戦で、アメリカが手を上げるのは時間の問題と分かっていながら、開発したばかりの原子爆弾の威力を試したくて、広島、長崎の無辜の市民を実験材料にしたのも同じ神経ではないでしょうか?



 どうも、人間の遺伝子の中には、凶暴な殺人鬼の因子が組み込まれているとしかかんがえられません。



 人間は、自らの内のその危険因子の存在をじかくすればこそ、これをなだめるために芸術や宗教を、直接的な抑制装置として刑罰をかんがえだしたのではないでしょうか?



 ところが、今や、わが国では、宗教も先哲の本質的なものは力なくまがい物というか、一部の指導者の権力維持装置に堕したものが蔓延り、芸術もまたあまり若い方々の関心をあつめるほどの力をもっていません。



 最後の、抑制装置の刑罰さえも、上記の犯人にうそぶかせるほどのものでしかなくなっています。



 これでは、全く、人間の内なる危険因子が我が世の春を歌い手当たり次第やりたい放題をはじめるのは、実は当然のなりゆきとみるべきかと、愚考するしだいですがいかがでしょうか?



 お若い方は、どうか本物の宗教とは何か、人間の命とは何か、芸術のすばらしさ、そして、人間の悪しき因子の発動を抑制させるに適切な刑罰はいかにあるべきか、一生懸命勉強していただきたくお願いいたします。



 とおいみちのりかもしれませんが、それこそが亡くなられた被害者の魂を鎮魂する唯一の道かと存じます。



 また、機会がございましたら当ブログにお立ち寄りください。
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初めまして。 (さくら)
2006-05-19 22:37:51
さくらと申します。「青の洞門」のある大分県に住んでいます。



この事件は犯人、弁護士、ともに頭の血が逆流するような嫌悪感を感じます。



今晩のニュースでまたあの弁護士が本村さんを侮辱する発言をしていました。

主人が帰宅したのでそのことを伝え、一緒に憤慨しそれから1時間くらい死刑について、裁判官制度などについて話し合いました。



あの弁護士は最低ですね。

本村さんは「加害者」とそして「加害者のような弁護士」とも戦わなければなりません。

応援します!絶対犯人が『死刑』になりますよう。
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青の洞門どんなところでしょうか?。 (蛾遊庵徒然草)
2006-05-19 23:03:33
さくら様、コメトありがとうございます。4月22日付けの私のコメントまでお読みいただいたようでありがとうございます。

 ”あの弁護士さん”とは、安田弁護士さんのことでしょうか?。私はまだそのニュース見てませんのでなんとも言えないのですが。あの先生の言いそうなことは、大体想像がつきます。

 さて、今日もまた秋田県で小学1年生の坊やが殺されたニュースを聞きました。

 全くやりきれない思いです。これからその思いを書こうと思って、パソコン開いたら、貴女様のコメントが目に入りました。

 本村氏について、いろいろ書いているブログもありますが、そんな雑音に囚われず、こちらはこちらの信ずるところを主張していきたいと思っております。

 また、よろしくお願いいたします。



 

 
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こんにちは! (さくら)
2006-05-20 19:10:26
早速のお返事有難うございます。



青の洞門は禅海和尚が掘った隧道と、秋は紅葉で有名です。山国川の美しい流れとそそり立つ(岩)山の静かな景勝地です。



あの弁護士とはそうです、安田氏のことです。

「裁判は復讐の場ではない」とか本村さんの気持ちを全く考えない発言をしていました。

昨晩は深夜までこの事件についていろんな方のコメントを読みました。



少し前のイラストもあまりの無神経さに鳥肌がたちました。よく考えついたものですね。



今日は美容院で女性週刊誌を開いたら、安田弁護士を

フォローするような特集記事がありました。

もっともらしい事を書いていますが、人を一人殺したら死刑は当たり前です。

犯人がいくら反省し心を入れ替えてもそんな事は関係ないのです。



「加害者の償い」は傷めた相手が生きていて、その人が納得して成立すると思います。



秋田の事件もやりきれませんね。

あの子は大工さんになりたかったそうです。合掌。
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「こんばんは。」 (蛾遊庵徒然草)
2006-05-21 00:28:25
 さくら様、コメントありがとうごあいます。



 青の洞門、山国川、言葉を聞いただけでも美しい風景が目に浮かんで来るようです。

 もう何年も前に、宇佐八幡宮、臼杵大仏を見に行ったことがあります。懐かしいです。福岡県椎田町に従姉妹が住んで居ますので機会があったらまた行って見たいものと思っております。その際には、青の洞門通ってみるつもりです。



 さて、お話の安田弁護士、狐目の男を自称する宮崎護とか一部に熱心な支持者がいられるようです。人は誰でもわが身に及ばないことは高みの見物で、さも賢げな屁理屈の上に安住できるのでしょう。これも、人間社会十人十色でしかたないことでしょうか。



 昨晩は、秋田の米山豪憲君のこと、このブログに書いていたら、だんだん頭が冴えてきて寝たのが今朝の3時になってしまいました。



 さらに今日の日中、さすがの能代警察も、四月に水死事故とした、畠山彩香ちゃんについても再捜査し直すとの記事をみて、追記の形で、いささか糾弾の筆を弱めたところです。



 本当に、こんな罪なことをして、どこかでほくそえんでいる犯人を思うと、飛んでいって草の根分けても探し出して、みんなの前に引き吊り出してやりたい衝動に駆られます。

 

 このような事件の再発防止のためにも、死刑廃止論に安易に組せず、刑法見直しの発言をし続けていこうではありませんか。

 

 
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お久しぶりです (ボン)
2006-06-20 22:09:13
 どうもお久しぶりです。以前このサイトに投稿させていただいたことのある者です。

 最近ニュースであの母子殺害事件の犯人が反省の言葉を出し始めたと知ってここにまた投稿させていただくことにしました。

 最近の情報では犯人は檻の中でも体を鍛えていてがっしりしているそうです。またある女性が犯人と面会をしたとき犯人の手にはキリスト教の聖書があったそうです。しかし私はこの犯人が反省しているとは思えません。面会した女性の話だと犯人は聖書をまるで見せびらかすような、わざと見せるようなそぶりをしていたということです。また体を鍛えていたというのは犯人が娑婆に出る気満々だったということではないでしょうか?「悪人のままで終わりたくない。」「生きて償いたい。」というのが犯人の言い分だそうですが私はさっき言ったように犯人が反省しているとは思えないし、たとえしていたとしても私はこの鬼畜を許すことはできません。ご遺族の方にとっても反省したかどうかは問題ではありません。何を言おうと犯罪行為によって欲望のために人間性を自ら捨てた「人間」に人権は存在しないと思うのは私だけでしょうか。とにかく私は死刑を望むのみです。長くなりました。
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