1月18日(晴)
半月ほど置いて次の組長会でその結果を集約すると、10組のうち「今更そんなことしなくても…」という1組を除いて、今後続けていけるならということで、やる事に賛成ということに決まった。
私は賛否半々ぐらいと思っていたので、この結果は嬉しかった。しかし、年金暮らしの私はともかく他の組長さんたちは皆それぞれ仕事をもっている。
それでなくても何かあれば引っ張り出されることとなる役員、現状以上の負担をかけることはしのびない。
しかし、だからといって自分で全部引き受けたのでは、これもまた終わった後で共に働いた喜びを分かち難くなる。
そこで私の仕事場を作業場所として、都合が付いたときは随時手伝いに来てもらう事とした。
私は、早速、インーターネットで見た、業者にお神輿の飾り物と法被を発注した。そして、近くの酒造メーカーに酒樽について問い合わせると、長く使ってもらえるならということで、寄付してくれることとなった。
さて、今度はその酒樽を載せるお神輿の台座である。インターネットで見たものを見本に図面を引いて材料を見積もり、ホームセンターで調達した。
トントンカンカン、入れ替わり立ち代りで皆で一週間ほどかけて、立派なお神輿ができた。
その夜はささやかに皆で祝杯をあげた。久しぶりに童心に返った気分を味わった。
それをお祭りの当日の1週間前の日曜日、公民館に運び込んで、今度はこどもたちの手で飾り付けをさせた。大ハシャギで小さな提灯をつけたり、花飾りをつけたりした。
11月22日、冬の早い当地では秋祭りには少々遅くなってしまったが、とにかく心配していた天気にも恵まれ、朝、9時半。地域の太鼓保存会の応援を得て、勇壮な太鼓の響きに送られ、子ども樽神輿は鎮守の社の鳥居を出た。
その瞬間、私は目頭が熱くなった。2、3十年来絶えていたお祭りをささやかながら復活できたのである。
この地に惚れ込んで移り住んで、まだ10年とたたない者に旗振りを遣らせてもらえたことが限りなく嬉しかった。
その一瞬、この神社を乏しかったであろう蓄えの中からいくばくかを出し合って勧進した昔の人々の笑顔が見えたような気がした。
お神輿は、村内の伝説の7つの池を巡り、それぞれの場所で村の生活の原点であったその池の謂れを、子どもたちに話して聞かせ、2時間ほどかけて、境内に戻った。
その間、普段は人影のない路傍に近所の人たちが何人かづつ出迎えおひねりや、お菓子をいただいた。
お祭りは、日頃は静かな村内に小さな漣をたてたようであった。来年はもっと賑やかに,笛や鳴り物も欲しいな何て声も聞こえてきた。
一つのお神輿を皆で担ぐ。地域の連帯感が失われたといわれて久しい今こそ、この心が必要であり大切なことなのではなかろうか。
半月ほど置いて次の組長会でその結果を集約すると、10組のうち「今更そんなことしなくても…」という1組を除いて、今後続けていけるならということで、やる事に賛成ということに決まった。
私は賛否半々ぐらいと思っていたので、この結果は嬉しかった。しかし、年金暮らしの私はともかく他の組長さんたちは皆それぞれ仕事をもっている。
それでなくても何かあれば引っ張り出されることとなる役員、現状以上の負担をかけることはしのびない。
しかし、だからといって自分で全部引き受けたのでは、これもまた終わった後で共に働いた喜びを分かち難くなる。
そこで私の仕事場を作業場所として、都合が付いたときは随時手伝いに来てもらう事とした。
私は、早速、インーターネットで見た、業者にお神輿の飾り物と法被を発注した。そして、近くの酒造メーカーに酒樽について問い合わせると、長く使ってもらえるならということで、寄付してくれることとなった。
さて、今度はその酒樽を載せるお神輿の台座である。インターネットで見たものを見本に図面を引いて材料を見積もり、ホームセンターで調達した。
トントンカンカン、入れ替わり立ち代りで皆で一週間ほどかけて、立派なお神輿ができた。
その夜はささやかに皆で祝杯をあげた。久しぶりに童心に返った気分を味わった。
それをお祭りの当日の1週間前の日曜日、公民館に運び込んで、今度はこどもたちの手で飾り付けをさせた。大ハシャギで小さな提灯をつけたり、花飾りをつけたりした。
11月22日、冬の早い当地では秋祭りには少々遅くなってしまったが、とにかく心配していた天気にも恵まれ、朝、9時半。地域の太鼓保存会の応援を得て、勇壮な太鼓の響きに送られ、子ども樽神輿は鎮守の社の鳥居を出た。
その瞬間、私は目頭が熱くなった。2、3十年来絶えていたお祭りをささやかながら復活できたのである。
この地に惚れ込んで移り住んで、まだ10年とたたない者に旗振りを遣らせてもらえたことが限りなく嬉しかった。
その一瞬、この神社を乏しかったであろう蓄えの中からいくばくかを出し合って勧進した昔の人々の笑顔が見えたような気がした。
お神輿は、村内の伝説の7つの池を巡り、それぞれの場所で村の生活の原点であったその池の謂れを、子どもたちに話して聞かせ、2時間ほどかけて、境内に戻った。
その間、普段は人影のない路傍に近所の人たちが何人かづつ出迎えおひねりや、お菓子をいただいた。
お祭りは、日頃は静かな村内に小さな漣をたてたようであった。来年はもっと賑やかに,笛や鳴り物も欲しいな何て声も聞こえてきた。
一つのお神輿を皆で担ぐ。地域の連帯感が失われたといわれて久しい今こそ、この心が必要であり大切なことなのではなかろうか。
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