蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

「憲法第九条を守るためには、国連改革を何故言わぬ?」(その5)

2006-05-30 01:20:40 | 時事所感
5月29日(月)うす曇り。気温15度~24度。

“戦争防止グローバルアクションー戦争、集団殺戮、国内武力紛争を止めるための連合構築に向けてープログラム文書 2003 (翻訳:ピースボート)”
 www.globalactionpw.org/prev/GAPW_Japanese.pdf-

すなわち、どうやら、この提言は、
 1999年5月、オランダ、ハーグで開催された「ハーグ世界平和市民会議」
における、アジェンダの「公正な国際秩序のための基本10原則」の第10項、「戦争防止地球行動(Global Action to Prevent War)」の計画が平和な世界秩序の基礎になるべきである、に基づき、米国関係者が中心となって、1998年から、準備され、2003年本文書として策定されたものらしいことが分かった。
 
そのため、日本ではまだ、広く認知されるにいたっていないようである。
  むしろ日本を含む、アジア地域のNGOの間では、2001年、国連のアナン事務総長が報告書の中で「紛争と予防における市民社会の役割が大切だ」と述べ、紛争予防に関するNGOの国際会議をの開催を呼びかけ、これに応じて発足したプロジェクト「GPPAC=武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ」が中心課題となっているようだ。

この「GPPAC(ジーパック)」とは、「紛争予防」を目的とした、世界的なNGOプロジェクトであり、戦争や紛争がおこらない世界をつくるために、一般市民が政府や国連と協力し、どのような役割をはたせるかを議論する大規模なプロジェクトであるそうだ。
そしてこちらは、2005年7月、ニューヨーク国連本部において、GPPAC世界提言「武力紛争予防のための世界行動提言」として採択されている。

以上、これらを通して、私が現時点で漠然とながら、理解し得たことは、既に、紛争を予防し、戦争を抑止するにはどうしたらいいのかは、今や、その問題に関心のある人々の間では自明の理であり、ちょっと関心を持って調べれば誰にでも明らかなのだ。

今や問題は、それをどう世界中の人々のコンセンサスを得て実現していくかの、意思と方法論の段階で足踏みしている状況にあるらしい。
  
  そして、どうやら、ここに大きな断層というか、万里の長城のような壁が聳え立っているらしいのである。
  
  私には、その最大のネックは、パクス・アメリカーナ即ち、アメリカ一国支配の世界制覇の野望にあるように思える。
 
  皮肉なことに、冷戦時代のように米ソが世界の二大勢力として合い拮抗していれば、アメリカに己の利益をある程度抑えて妥協する余地があったかもしれない。
  しかし、ソ連が崩壊した現在、アメリカが進んで自国の利益を犠牲にしてまで、世界平和のために何かをするなんことは、到底考えられないのである。

  だが、驕る無かれアメリカよである。未だかって世界史上一国による世界支配が完遂できたためしはないのである。古代ローマ帝国、ジンギスカンのモンゴル帝国、中国の漢王朝、皆然りである。

  アメリカが一国で世界の警察をというのは土台無理なのである。それはアメリカの国力を疲弊し人的資源を消耗するものでしかない。
  そして、その最大の代償は、9.11テロの悪夢の再来であり、アメリカは世界中から自国を窺うテロの恐怖に苛み続けられねばならなくなるのである。

  我々が、世界史をみて知るのは、強大帝国国家は、皮肉なことに己の強大さに自己陶酔し世界制覇に取り掛かる次の瞬間、崩壊の過程をたどるのが宿命のようではないか。
  
  今こそアメリカを除く世界各国は、一致団結協力して、アメリカにこの世界史の教訓を理解させ、説得にあたらねばならないのだ。

  反面、アメリカ以外の各国が、アメリカの暴走を止め、アメリカの頸木から逃れる唯一の方策はそれしか無いのではないか。

  このような大まかなラフデッサンのもとで、ではわが国、日本は何をなすべきか?
次回、このことについて考えてみたい。

  と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?



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