蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

「辛夷(こぶし)の花、山口瞳、男性自身、週刊新潮」―夜半の徒然―

2006-04-18 01:22:44 | 田舎暮らし賛歌
 4月17日 (月) 快晴、暖。

 今年の春はどうしたわけか庭の辛夷が花をつけない。実は昨年暮れから気にはなっていた。例年なら寒さが厳しくなるにつれ、枝先にふっくらとした小さな鷹の爪のような花芽がいっぱい出るのにこの冬はいっこうにその気配がなかった。

 そう言えばなんか変だなと感じたことを思い出した。それは秋口に奇妙な葡萄の実がくっ付き合ったようなぶつぶつした房状のものをたくさん付けた。あれは辛夷の花の実だったのだろうか?。
 とにかく今年花が咲かないのはあの実のようなもの出現に何か関係があるのだろう。
 辛夷の花が見られない春は何か一味物足りない気分だ。

 辛夷は孤高の花木だ。日当たりの良い里山の雑木林にひっそりと一木、小さな白い蓮の蕾のような花を一杯につける。その花の白さは、純白というのではなく、淡い黄みを帯びたとでもいうか、暖かみのある色合いがとてもいい。

 私は、ここに家を建てたとき、まっ先に辛夷の苗木を一本買ってきて植えた。それは、我が家を建てるために切開いた雑木林への罪滅ぼしの気持ちからだった。ゆくゆくはここで大木となって、その頃には、私はもうこの世に確実に居ないであろうが、周囲に残る雑木と一体となって、毎春白い花を一杯咲かせてくれたらどんなに良い風情だろうと想像してみた。

 そして辛夷といえば、“山口瞳”を思い出す。週刊新潮に連載していた「男性自身」のいつかの号で、辛夷のことを、まるで初恋の女性を恋するような筆致で丁寧に書いていた。一際、心に残るいい文章だった。山口瞳も辛夷が大好きだったのだ。

 山口瞳の男性自身、それが毎週楽しみで、週刊新潮を買い続けた。谷内六郎の表紙も楽しかった。山本夏彦の写真時評も小気味良い文章だった。そのどれもが一つずつ消えていった。
 それからの週刊新潮はつまらなくなった。いつか買ってまで読むのを止めてしまった。

 水上勉も亡くなってしまった。司馬遼太郎も亡くなってしまった。司馬遼太郎はまだところどころでその名を目にするが、山口瞳、水上勉の名を目にすることは滅多になくなった。人は亡くなると有名、無名を問わずすぐ忘れられてしまうのだ。

 村上春樹や吉本ばななには全く関心が湧かない。困ったことである。寂しいことである。自分たちが長年親しんできた同時代の作家たちが亡くなってしまうということは、自分の内の何かが欠けて行くような朽ちていくような気分になる。

 と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?。

 ここで短歌もどき一首

 「目覚めれば 月影乱す 松風に よしなしことを 思う夜半かな」
                         ― 蛾遊庵山人―



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