蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

荒れすさびゆく「美しい国」―過疎化する山村!―

2006-09-28 23:45:05 | 田舎暮らし賛歌
9月28日(木)晴れ。日中暑し、朝夕は肌寒し。

 昨日の氷雨模様に変って今日は、一転の秋晴れ。出かけたくなった。スケッチの支度をして我が名馬、軽トラ、ロシナンテに飛び乗った。

 どこへ、行こうかな?このところ、山ばかり描いているので、そうだ渓流でも描いてみようかと思った。
 信州峠へ続く道の途中で、深い谷あいにひっそりと何軒か寄り添うが如き谷川沿いの集落がある。今日は、いつも気にはなっていても降りたことのない其処へ行ってみることにした。

 そして、其処へ降りてみると、道はまだまだ続いていた。その先どんな景色が展開するのだろうか?さらにそっちへ進んでみることとした。
 すると、まだ知らなかった小さな集落に出た。人気があまりない。ゴースト・ヴィレッジの観である。

■ 眼下に広がる山村集落

                   

                    

■  サルビアの花の向こうに、温かい風合いの土壁の土蔵があった。

                 

■ 廃屋が目立つ。途中で出会った、私よりも10年は先輩かと思われる畑帰りかのご老兄が教えてくれた。昔は、5、60戸あったのが、今は半数近くしか、居ないという。谷向こうには立派な神社があるそうだが、その秋祭りも絶えて久しいとか。

                    

■ 道の傍らの至るところに野仏が祀ってある。この地に住む人々のなべての命を愛惜しむ心の標(シルベ)であろうか。

                     

 先ほどであった方の話だと、この集落は天保年間に開かれたとのこと。自分で5代目だと語った。昔は、ちょっとした平場と水があれば、そこを開墾して暮らしていけたと。
 そうして、僅かな平場を見つけると、河原から石を拾ってきてそれを一つ一つ積み上げて耕地としたのだ。云わば、ここの田畑は、全てご先祖様の血と汗の賜物なのだ。それが、今、次々に見捨てられて、蔦が這い、雑草が茂って荒れ果てていく。
 何と勿体無いことではないだろうか?

 「美しい国」は、今、音も無くひっそりと荒れすさんでいこうとしている…。

 それは、そこに住む人々の心のあり方の象徴でもあるかのように。

 ところで、安倍お坊ちゃま宰相閣下は、この荒廃に楔をうち、どうやって山里の祭囃子を再びは、谷風にのせられることだろうか?

 と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?