合気道ひとりごと

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274≫ 同時代人

2015-09-02 14:49:35 | 日記
 司馬遼太郎の作品が好きな友人からもらった【以下、無用のことながら:文春文庫】という本を読んでいます。ちょっと厚めの文庫本で、随筆や出版物の序文、解説また口演記録など、比較的短い文章を集めたものですが、中身はいろんな時代のいろんな舞台、扱う分野もさまざまで、それらを支える司馬の博識と好奇心の強さには畏れ入るばかりです。いったい人間の頭脳というものにはどれほどのキャパシティがあるのだろうかと期待を持たせる本でもあります。種々の作品群やテレビ(よく歴史番組に出ていました)を通じて記憶に残る作家であることは間違いありません。
 
 もし、同じ時代の空気を吸っていたことで同時代人といってよいのであれば、わたしの場合、司馬の後半生の40年くらいの期間において同時代人でした。もちろん単に作家と読者の関係でしかありませんが。

 ところで、わたしのこれまでの40数年にわたる合気道との付き合いのなかには、いくつかの貴重な出会いがありました。何も知らずに飛び込んだ道場で素晴らしい稽古仲間を得られたこと。後々自分の方向性を定めるに際し、きっちりと物事の基準を示してくださった先生。身近に愛好者を増やそうと思ったとき支えてくれた友人たち。ここまでを振り返る限りにおいて、わたしの合気道人生はきわめて幸せなものであると言って良いと思います。

 その、幸せな合気道人生ではありますが、一番の心残りは大先生(開祖植芝盛平先生)のお顔をご在世中に拝することができなかったことです。わたしが18歳で入門する2年前にお隠れになっておられましたから、これはなんとも致し方ありません。ですから、せめて当時の先輩諸兄が使っておられた大先生という敬称をまねることで、わびしくも謦咳に接したつもりになっているわけです。

 それでも司馬の例と同じ理屈でいえば、大先生晩年の16年間は一緒の時代の空気を吸っていたわけですから同時代人と言えなくもないのですが、そのとき何らかのつながりがあったわけではないので、これは相当無理のある解釈になってしまいます。単なる未練というべきものでしょう。

 さて、過去の偉人に思いを馳せることは意味のないことではありませんが、いま現実に同じ空気を吸っている人たちがたくさんいるわけで、そのような人たちと新たな歴史を育むことのほうが大切で前向きなことであるに違いありません。

 それではどのようにして歴史を育むべきなのか、それは、合気道は完成形ではないということ、すなわち未完の武道だという前提に立てばおのずと答えは出てきます。このことは大先生も吉祥丸先生もおっしゃっておられるように、合気道は未来に向けてますます進化発展すべきもので、その原動力はいま生きているわたしたちにあるということです。

 でもこれは言うは易く行うは難しの見本みたいなものです。なぜなら、わたしたちは何か権威にすがると楽で安心できるからです。大先生が創ったもの、吉祥丸先生が育てあげたものをありがたがっていれば、とりあえずこの世界で干されることはないでしょう。しかしそれではお二方が望んだ合気道の進化発展にはつながりません。

 そのためには、守るべきものは守りつつ、各人それぞれの個性を最大限生かした技法と理論を誠実に作り上げていくべきなのです。いうなれば不易流行です。失礼な言い方を許していただければ、合気道はラジオ体操ではない、したがって皆が同じ動きをすることはないのです。だから進化発展があるのです。そして、その変化をもたらす役割は今を生きるわたしたちにある、そのような同時代人こそ大切にしなければならないと思うわけです。 
 
 さて、このごろはちょっと古びた感じの物などを指して、昭和の匂いがするとか昭和の風を感じるというふうな言葉を聞くことがあります。たしかに、平成になって27年にもなりますから若い方にとっては前時代の風景のように思われることでしょう。でも、長いこと昭和を過ごした者からすれば、そんな昔ではないだろうと感じます。
 
 それで思うのは俳人中村草田男の『降る雪や明治は遠くなりにけり』という句です。これは昭和の初めに作られたものですが、想起される時代(明治)と作句の時代(昭和)との時間の隔たりが、昭和と平成の今との時間差に似ています。やはり昭和はひと昔もふた昔も前のことなのでしょうか。

 いやしかし、まだまだそれくらいでは昔とはいえません。昭和43年に『明治百年』を記念して全国で各種行事が催されました。そのひとつとして山口県萩市がかつて先人が戊辰の役のひとつである会津戦争で干戈を交えた歴史のある福島県会津若松市に友好交流を申し出たところ『時期尚早である』という理由で断られたことがありました。頑固な会津魂ではあります。

 百年前の人を敬慕するこころは大切なものです。であればそれ以上に、ともに今を生きる同時代人を大切にしなくてよい理由があるでしょうか。

 そんなことを考えさせられる文庫本ではありました。