合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
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275≫ 標準ではないこと

2015-09-15 17:50:45 | 日記

 いつも言っていますように合気道は未完の武道です。未完というのは完成形がないということですから、人によって動きが違ってよいのです。それは大先生の直弟子師範方の動きが十人十色であることをみてもわかります。多くの場合、その違いはそれぞれの方の履歴(指導を受けた時期や武道歴)が影響しているようですが、そういう差異を許容する度量が大先生はじめ歴代道主にはあるということです。

 しかし、動きが違ってもよいというのは何をどうやってもよいということでは決してありません。やはりそこには合気道という特定の武道としての枠組みがあり、その範囲内で自由だということです。そして、枠組みという以上はその中心に標準形があります。現在、その標準形というのは大先生監修のもとに吉祥丸先生がお示しになった一連の技法に他なりません。それは現道主が示される技法であり、また教本等に著わされていますから、原則的には合気道人どなたでも接することのできるものです。

 その標準形に示されるある局面において、たとえば右足が前とされていればそれはその通りでなければなりません。しかし、そうでない場合も実際あるのです。一例をあげれば、右半身一教表において、標準形としては振りかぶりと同時に右足を進め、切り下ろしながら左足を進めます。ところが、術者においては右足を一歩進める間に振りかぶりと切り下ろしを一挙にやってしまう方もいます。かくいうわが師、黒岩洋志雄先生も転換からの片手取り一教表においてそのような運び方をします。

 あらゆる動きには、そう動くべき理由があります。左足前であるべきところを右足前のままにする、はっきり言ってこれは原則に反します。もっとも、それくらいのことはどちらでもいいんだ、と考えていたころのわたしは気にもなりませんでした。しかし、技法に対する自身の理解が進むにつれ(そんなに昔のことではありません)そのままで良いとは思えなくなりました。まして、緻密な理論に裏打ちされた黒岩先生の技法が、どちらでも良いなどというレベルで表されるはずがないと思ったのです。

 それでその理由をいろいろと考えてみたのですが、ついにそれは間合いと関係するのであろうという結論に達しました。黒岩先生による片手取り転換からの一教表は転換した時点で普通のやり方よりも相手と密着する位置取りをします。したがって、一歩目を踏み出すとほとんど二歩目を踏み出す間隙がありません。出したくたって出せないのです。これが、相手との間合いがある程度広ければ余裕で二歩目が出るのですが、黒岩合気道は自分と相手との間にできる空間(間合い)を自分の体で埋めるというものですから、理論上隙間ができにくいのです。

 このことに気づいて思ったことは、標準形にはそうであるべき理由があるのと同様に、原則からはずれるものははずれるだけの理由があるということです。標準形からはずれた動きをする人は、その理由を自覚していなけらばならない、訊かれたらきちんと答えられなければならないでしょう。それを、何も考えず『そのように教えられたからそうしている』というのは、少なくとも上級者のあるべきかたちではありません。要するに、原則からはずれることがいけないのではなく、はずれる理由をわかっていないことがいけないということです。

 標準形を教えられ、その通りにできている人は幸せです。しかし、標準形と異なる動きをしている人はもっと幸せです。なぜなら、動きが違うことの理由を考えるチャンスを与えられたということであり、それがわかったら標準形と異形のふたつを自分のものにできるからです。黒岩合気道がそうであるように。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
黒岩合気道の稽古 (a_mond)
2015-09-21 20:07:22
agaさん、こんにちは。

先日久しぶりに黒岩先生に師事されていた方と稽古しました。

ところが私が自然と思う受けを取ると最初の接触時に私が負けているというか技の継続が必要ない状態になり困ってしまいました。

その方はいつもは黒岩合気道の仲間と稽古しているので技は最後までやっているはずです。

こうなったのは私が過剰に反応し過ぎなのか相手の方が独自の合気道をされているかという事も考えられますがそれも違うように思えます。

結局、私が黒岩先生に聞きたかったのは相手への近付き方または近寄らせ方だったのですがそれについて先生は答えてくれませんでした。

結局は触れる前のお互いの認識に何か考える点があり私がいつもの感じで相手に近付いたのが悪かったのかもしれません。
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答えにはなりませんが (aga(管理人))
2015-09-23 16:58:34
a_mond様、こんにちは。

お寄せいただいた文面からは具体的な状況がわかりませんが、おたがいの意思が噛み合っていないことはわかります。このような場合、親しい間柄だと率直にものが言えて改善できるのですが、そうでない場合は遠慮があったりして結局消化不良のまま稽古が終わることもあるでしょう。

このような局面において、相手の意思(何を考えていて、どうしたいのか)を読む、あるいは感じ取る努力を惜しまないことが優れた稽古者の条件かもしれません。

おっしゃるように、合気道においては接触するその瞬間に何を意図するか、つまり、その瞬間を『とどめ』とするのか、後に続く動作を引き出す『つくり』とするのか、それについて取り受け双方が了解していることが意味ある稽古の前提だと思います。

今回本文でも触れましたが、自分と違う考え方や操法の人との交流から何かを学び取ることも稽古の目的のひとつです。そういう意味では貴重な体験だったのでははいでしょうか。
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難しいですね (a_mond)
2015-09-23 20:28:48
agaさん、こんにちは。

件の相手の方とは稽古した回数こそ少ないですが昔からの知り合いです。

技は片手取りだったのですが、その方はインファイトのボクサーのように腰を低く肘を身体にぴったりくっ付けるようにしていたので手首を掴む前に私は(反対の手で)殴られるような間合いだったはずです。

また私が取りの時もあまり踏み込む気にならず表面を撫でるくらいで技を掛けました。

ある意味反応は良いが警戒した姿勢であったのかと思います。

あるいは掴むと同時に反対の手で殴るのを意識していたのかもしれません。
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なるほど (aga(管理人))
2015-09-24 10:48:41
a_mond様、こんにちは。

相手の方が以前からの知り合いだということであれば既にご存知と思いますが、黒岩式合気道は間合いが近いのが特徴です。これは明らかにパンチ(フックかアッパー)を当てることを前提にしています。というか、ほとんどの技法はフックかアッパーの体遣いと間合いで説明されます。

それを前提に『相手に打たれるくらいのところまで踏み込まないと、こちらも打てないんですよ』という教えを忠実に守ろうとすれば相当な接近戦にならざるを得ません。

ただ、わたくしも一門の末席に連なる一人ではありますが、門下特有の稽古法にいたずらに固執すると合気道世界の間口を狭めてしまう恐れがあることは自覚しておかなければいけないと思っています。つまり、取り組み方によっては自分とは異なる様々な考えや技法と出会うチャンスをみすみす逃してしまうこともあるからです。

黒岩合気道は優れた理論に裏打ちされていますが、だからといって独りよがりにならずに、自分の構えや位置取りなどがどのような意図のもとになされているか、その意味と理由を相手と共有していることが必須です。門流が異なる方との交流稽古においてはなおさらです。それがないと双方の財産が増えていきません。

今回一連のa_mond様のご投稿は、わが一門に限らずさらなる向上を目指す全ての同好の仲間にとって貴重な示唆に富むものです。この項のコメントをたくさんの方に読んでいただきたいものです。

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