合気道ひとりごと

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65≫ 教え方 

2008-05-04 18:56:58 | インポート

 わが師、黒岩洋志雄先生は、本部で指導しておられたころ、東京近県のある道場に出張指導されたことがあります。そこの道場主は剣術家でもあり、どちらかといえばその方面で有名な方でした。一時、吉祥丸先生も行っておられたそうですが、なかなか気難しい方のようで、それまで本部から派遣された指導者があまり長続きしなかったのだそうです。

 黒岩先生の指導を受けたことのある方はお分かりだと思いますが、だれにでも丁寧でわかりやすく教えてくださいます。ですからその道場でも、先生が指導に出向くようになってから入門者がずいぶん増えたのだそうです。

 ところがそのうち、だんだんと稽古に来る人が少なくなってきたので不思議に思い、残った稽古生にそのわけを尋ねてみると、くだんの道場主が合気道の稽古生に剣術にも入門するようにと執拗に勧めているということでした。あとで何人かから『合気道は面白いので続けたかったけれど剣術はやりたいわけじゃないので』と伝えられたそうです。結果的に黒岩先生は人寄せに使われたようなものでした。

 そんなことじゃやってられないということで、先生はそこでの指導をさっさとやめてしまったのです。案の定、稽古生は一気に少なくなってしまい、困った道場主は、再び黒岩先生の派遣を依頼してきました。吉祥丸先生から懇願され、やむなく再度出向くようになったのです。そうするとまた稽古生が増えてきて一件落着かと思いきや、道場主がまたまた同じ事を繰り返し、以後金輪際行かないということになったのだそうです。剣術の併習も悪くはないと思いますが、とりあえず合気道を学びたいと思っている初心者には荷が勝ちすぎたことでしょう。

 ところで、黒岩先生の指導法は、稽古年数の長短や段級位の上下などで区別しません。要するに、経歴に多少差があっても、下手さ加減においてはみんな同じ、五十歩百歩ということなのかもしれません。先生の理論や技法は一般の理解とずいぶんかけ離れているように見えるので、むしろ経歴の長い人ほどいっぺん自分の合気道を壊さないといけないように感じられ、よほどの覚悟がないと受け入れにくいかもしれません。教えを受けるとは多かれ少なかれそういうことなのですが。

 そうかと思えばこのようなこともありました。だいぶ以前の講習会に、幕末に重要な働きをしたある偉人を顕彰する会の代表で、かつ合気道の指導もされている方が参加しておられました。その偉人というのはわたしも尊敬する人物ですが、さすがにそのような会の代表は人格者だと感じたことがあります。その方はおそらく黒岩先生よりも段位が上だと思いますが(黒岩先生は吉祥丸先生に頼まれて預けられた、ぎりぎりの六段ですから)、講習会参加者として指導者に対する礼をきちんととっておられました。おそらく普段のご自分の合気道とは異なる動きにとまどわれたのではないかと思いますが、質問しながら懸命に稽古しておられました。

 その方のように、それまでの稽古の蓄積を捨て去る必要はないのです。フルモデルチェンジでなくても、部分改良で飛躍的にうまくなるのが黒岩式です。むしろそれは、普通の合気道を長年やってきて、壁にぶつかったり疑問を感じたような人に有効です。

 一般の稽古者は、上手な人とそうでない人との違いがどこにあるのかわかっていません。逆に言えば、そこがわかればみんな上手になるのです。現在わたしも人に指導するような立場になりましたが、指導のポイントがだんだんわかってきました。技全体を把握し一連の流れをつかむ、なんてのはあたりまえすぎて、わざわざいうこともないでしょう。むしろ技の意味、腰の置き方、足の運び、手の扱いなどを、きちんとした理由とともに少々分析的に過ぎるくらいに説明すると、かえってわかってもらえるものです。

 そして、現在最も大事だと思っているのが、動きを分解し、特に手足の描く軌跡を丹念にたどるような稽古です。この軌跡が目に見える(感じがする)ようになるとしめたものです。見えないものが見えるなんて言うと、非科学的に思われるかもしれませんが、そう感じられるようになるまで繰り返してみる値打ちはあります。

 その軌跡をわたしの文章力では表現できませんが、相手に無理や窮屈さを強いることのない(ここが肝心です)、しかもそれで十分崩しの効いた動き(無理、窮屈を与えない動きのほうがよく崩れるのです)に付随するものですので、研究してみてください。

 それにしても、どう教えればわかってもらえるかということを考えることは、自分の動きを分析的、客観的に見直すことになり、自分自身の向上につながるものです。ありがたいことです。