合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
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153≫ 徒然なるままに 

2011-05-12 16:45:41 | インポート

 当地では一人ぼっちでうら寂しく、手持ち無沙汰だったりすることを『とぜん』といいます。その語源が古語であることに気づいたのは教科書に徒然草が出てきたときです。震災以来しばらくそのとぜんを味わってきました。 

 無為徒食の日々でしたが、休止していた稽古をなんとか先週から再開しました。ただ、これまで利用していた2ヶ所の武道館はどちらも損傷復旧の目処が立っておらず、やむなくそれぞれ近くの中学校の武道場をお借りすることになりました。なんにせよ、ありがたいことです。

 それにしても、ほぼ2ヶ月近くも稽古を休んだのは合気道を始めて以来のことで、まわりの様々な物事が再スタートしていく中、若干の焦りがあったことは否めません。この経験を今後にどう活かすかが大事なのでしょう。

 そういうわけで、長いこと頭の中で合気道の動きをなぞるだけの擬似稽古をしてきたのですが、思うのはやはり、なぜこのような動きになるのだろう、いったいこの動きにどのような意味があるのだろうということです。

 これまでにも述べていることですが、合気道の技法は表面的にはどうしても遣い物にならない動きで成り立っていると思わざるを得ないということです。個別具体的なことは言わずとも皆さんがご存知のとおりです。通常の稽古はほぼ全てにおいて受けの協力によって成立しています。受けが取りの意に副わない(さからった)場合、かなりの実力者であっても型どおりの技では相手を制圧するのは難しいことは明白です。かつての指導部の第一人者が素人の外国人相手に、合気道的に取り押さえるのに相当手間取っている古い映像があります。もちろん手心を加えているのはわかりますが、友好的雰囲気の中で余興として行なわれたものでさえこうなのですから、もし敵対心があればなおさらです。

 これを他の武道と比較したらどうでしょう。剣道、柔道、空手道などであれば、素人などおそらく一撃のもとに制圧されるでしょう。そうしてみると合気道の置かれた状況がいかに特殊であるかわかります。誤解を招く表現になるかもしれませんが、これが大先生の残された合気道の実態です(表面的には)。

 それでは大先生はどうしてこのようなかたちで合気道を残されたのか、これが稽古休止期間の徒然に考えたことです。そこでいくつかの理由を考えるにあたり、大先生の意識や宗教的哲学が究極に達しておられたという前提に立つことが必要かもしれません(そんなことはないという考えもあり得ます。その場合は別の意見がおありでしょうから、それはそれとして尊重します)。

 わたしは、大きくふたつの理由があげられると思います。

 ひとつは、大先生の宗教的境涯から勝ち負けなどどうでもよくなって、武技を振りかざすことに価値を置かない生き方を示されたのではないかという考えです。これは大いにあり得ることとは思いますが、そこだけを強調すると大先生は武道家ではなく、したがって合気道も武道ではないという結論につながります。なにしろ武道とは武技を操ることをもって自他の存在を認め、その行為を通じて人格の完成を目指すものだからです。

 したがって、勝ち負けなどどうでもよくなったかもしれないけれども、武技の有効性まで放棄したわけではないと考えるのが妥当ではないかと思います。それではその有効性というやつははどこに行ったのかという疑問は残ります。

 ふたつめの理由です。大先生は一般的に知られている合気道の動きの中に、凡人には感じ取れないかたちで必殺技法を仕込んだ、という、あまり出来の良くない小説みたいな話ですが、わたしはこれが真実に近いのではないかと思っています。

 大先生が研究されたといわれている鹿島新當流では、互いの刀を打ち合わせるような定められた型から、更に一歩間合いを詰めることで即座に敵を仕留める技法があって、これは皆伝者にのみ伝えらるということです(このごろは公開されていますが)。このように、一般に教授する技法が一方にあり、それに少しの変化を加えることで必殺技法になるというのは実際にあるわけです。同様の発想が合気道にあっても少しもおかしくないと思っています。その隠された意図に気づくか気づかないかだけの違いですが、この差は決定的に大きいと思います。

 以前にも書きましたが黒岩洋志雄先生は、負けないということは武道における(とりわけ宗家にとって)最重要のテーマであり、したがって開祖から後継者(植芝家)にのみ伝えられている不敗の技法(いわゆる秘伝)があるはずだという意味のことをおっしゃったことがあります。わたしはその論を一歩進めて、その特別な技法は実際は通常技法の中にひそかに含まれていて、その糸口はなんらかのかたちでわたしたちに示されているはずだと考えています。

 そういう意味でも、通常の動きのなかにいくつもの当身技法が含まれていることをお示ししたいと考えているわけです。この件、口先ばかりになっていますが、いずれ機会をあらためて。 


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10 コメント

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まだまだ大変な日常をすごされておられるのですね... (小次郎)
2011-05-12 20:47:19
まだまだ大変な日常をすごされておられるのですね。衣食足りて何とかと申しますが、生活の最低基盤を取り戻さない限り稽古もままならないのですね。心からお見舞い申し上げます。ところで必殺技、秘伝の技ということとも関係するかもしれませんが、対道場破り対策として「腰投げ」を黒岩、西野先生が工夫、開発されたものであると聴いたことがあります。確かに翁先生が腰投げをされている画像は見たことがありません。この腰投げはどうゆう過程で考案されていったのでしょう、またこの腰投げの元となる技はあったのでしょうか、柔道の払い腰とは趣きを異にします。通常の合気道の技が決まらなくてもほとんどが腰投げで処理される黒岩先生の映像を見ましたがこれこそ、当身と共に実態のしっかりした制圧技と考えるのは浅はかでしょうか。黒岩先生から直接お聞きになった腰投げについてのお話がありましたらお教えください。
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管理人様、こんにちは。 (寿陵余子)
2011-05-13 08:28:51
管理人様、こんにちは。

合気道の在り方は、大先生による創造の時代と二代道主による普及の時代で、ある意味(表面上は)断絶しているのではないかと思います。

普及にあたっては稽古人が理解し易いよう、また教授がスムースに運ぶよう技法の体系化が為されます。
その体系化、教授システムの確立のなかで武道の精髄が万人には抽出し辛い形になったのではないでしょうか。
人から人へ何かを伝える際に情報の劣化は宿命です。まったくの私見ですが、合気道に関しては武術性が失われた訳ではなく、意図的ではないにせよそれに気付く技量乃至能力を持った段階の人間しか武術としての合気道は遣ってはいけないようになっているのではないでしょうか。
それが大先生の言われた「今までの魄の武道を土台として、魂の花を咲かせる」、つまり武の概念の転換であると思います。
敵の邪を許せるからこそ真の武とは神の愛である、とは死線を潜り抜け、哲学や宗教的修行を昇神するまで続けられた大先生だからこそ言える言葉でしょう。
ですから、大先生にしてみれば魂の比礼振りにまで進化(回帰かも知れません)した合気道を、わざわざ従来普及していた魄の武道に戻す必要性などは考えてもみなかったのではないでしょうか。

しかし我々後進は合気道の中から武術性を発掘し、それをよく理解し、内に修めていく過程を経て、真の武は愛の表れと言える境涯に立たねばならないと思います。

長文失礼致しました。
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小次郎様、こんにちは。 (agasan(管理人))
2011-05-13 12:37:50
小次郎様、こんにちは。

重ねてご心配賜りありがとうございます。なんとか頑張っております。
腰投げについては、古流各派に腰車や諸手返というような名称で、われわれがやっているものとほぼ同様のものがあります。合気道においてはそれらを基に、大先生監修のもと吉祥丸先生が取捨選択、改良されて今のかたちにしたものと思われます。
大先生や古い時代の直弟子師範方の映像に残るものの多くは多人数取りや武器取りなどでの呼吸投げとして表現されているのではないでしょうか。
黒岩先生の腰投げについてはバックナンバーから次をご覧下さい。
2009年3月13日  96≫腰投げ
(  http://agasan.no-blog.jp/hitorigoto/2009/03/13/  )
ただ、いま読み返してもなかなか頭に絵が浮かんできにくいようですので、これもいずれ映像でご説明できればと思います。
ついでに言いますと、大東流の武田惣角師が柔道の肩車のように男を担ぎ上げた写真がありますが、黒岩式の腰投げを相手の背後からかけると(そういう技も教わりました)腰や背にあまり負担をかけずにあの形をとることが出来ます。
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寿陵余子様、こんにちは。 (agasan(管理人))
2011-05-13 13:28:12
寿陵余子様、こんにちは。

いつも的確なご指摘で敬服いたします。
以前に述べておりますが、黒岩先生は『大先生がお亡くなりになった時点で合気道はなくなった』という意味のことをおっしゃっていました。今回の寿陵余子様の意味合いと若干異なるかもしれませんが、そこにある種の断絶があるということはその通りであろうと思います。
その断絶を埋めるのがわたくしたちの務めであり、喜びでもあります。現在の合気道が未完成なものであると同時に、わたくしたちもまた未完成です。でも未完成というのは完成へ向けての途上にあるということですから、これは大いに希望をもって進んで行きたいものと思います。
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agasan様こんにちは。 (katsuhayahi)
2011-05-17 00:44:46
agasan様こんにちは。
 一般に、取りの当て身に由来する動作のみならず受けの動作も活きていない場合が問題だと思います。受けの両手の役割にメリハリが効いていない場合や、取りが当て身に相当する動作を欠落しているため受けも上肢がだらりと垂れ下がるとか、一方で受けが取りの当て身を予知しながら先手をとるような不自然な動作もまかり通っています。それで動作が切れても技の成立してしまう場面が珍しくありません。
 また、受けの上肢の陰陽や足腰の基本動作が希薄になると、その分道場を走るように動いて受け身に徹してしまい、不自然と言わざるを得ません。
 Agasan様ご指摘の点は真摯に稽古を重ねる上で見失うまいとする要点の一つであると思います。勉強させていただきます。
 
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katsuhayahi様、こんにちは。 (agasan(管理人))
2011-05-17 12:56:59
katsuhayahi様、こんにちは。

特定の姿勢や動作には、それぞれに想定された状況や目的があるはずです。それがわかっていないと、当身について言えばお話のように、打たず受けず、使っていないほうの手はただ垂れ下がっているだけというようなことになってしまいます。
もっとも、流麗な動き重視のためあえて当身動作をしないという選択もあり、それはそれで結構ですが、その場合でも取り受け双方が、実際はここで当てが入り、事態が変化するのだとわかっていることは大事だと思います。
いずれにしろ、その他の技法に関しても、設定された状況をどのように展開させていくかというイメージの力が求められるのだと思います。
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道場再開された事、なによりと思います。 (Book)
2011-05-22 10:58:38
道場再開された事、なによりと思います。
藤平先生が亡くなられました。私には最初と最後の先生が亡くなりまして、自分も還暦過ぎたから、時の流れを感じました。戦後の合気道界の最大功労者、師範部長、2代目道主の親戚、などは記載するまでもありません。
形あるものは形を演ずる(会得)した人の終わりと伴に終わると思います。唯、弟子はその範囲内で伝承されるのみでしょう。
藤平先生の家は代官屋敷で、うっそうとした森、堀に囲まれ門に「栃木支部」の看板、裏には代官籠が下がり、裏の米蔵が道場でした。今は、全く風景が変りました。天国で黒岩先生とお会いしてるでしょう、ご冥福をお祈り申上げます。
さて、地震の余震は治まっておりませんが、どうか、頑張ってください。
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Book様、こんにちは。ご無沙汰しております。 (agasan(管理人))
2011-05-22 13:33:20
Book様、こんにちは。ご無沙汰しております。

いただいたコメントで藤平先生のご逝去を知りました。合気会時代の先生にご指導を受けられた方も少なくなってきていると思いますが、間違いなくこの道の第一人者でいらっしゃいました。黒岩先生を含め、いま70代の先生方が受けをとったりカバン持ちをしておられたくらいですから、その存在感は他を圧倒しています。
黒岩先生とは諸点において価値観を異にしておられたので、正直なところわたくし自身もやや距離感がありますが、曲がらない腕だとか重心を下にというようなことは多くの指導者が援用しておられ、そのような指導を受けたことのあるわたくしも藤平先生の影響下にあったと言えるかもしれません。
いずれにしても、ひとつの時代を画した合気道が幕を引いたということになりますが、国の内外で合気道の種をまいた功績は決して消えるものではありません。心からご冥福をお祈り申し上げるものです。
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agasan様 こんにちわ。 (T.U)
2011-05-23 12:37:09
agasan様 こんにちわ。
久しぶりにコメントさせて頂きます。
このブログで、藤平先生が亡くなられた事と知りました。
インターネットで確認しましたら、5/19、91歳とあり、
感慨深い思いが去来しました。

学生時代は、合気道部の師範が有川先生、藤平先生とは本部道場で一度だけでしたが指導を受けたことがあります。
社会人となってからは、熊本で短期間でしたが砂泊先生から、それ以降は斉藤先生から教わりました。
砂泊先生、確か大正12年生まれ、お元気なのでしょうか?

開祖の高弟が次々と亡くなられ、時の流れを感じています。
今振り返れば、個性豊かな指導者でした。

それぞれの指導者が開祖から合気道を学んでいますが、技法
的に、また指導法の違いに疑問を持ったこともありました。

しかし、今の年齢になり、思うことは、開祖が遺された合気道の奥深さと感じるようになっています。

貴兄が、このように長きにわたりブログを綴られることがその証しと思います。
小生、稽古から現在は離れていますが関心は持ち続け、折に触れブログを読ませて頂いています。

今後もご活躍期待しております。
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T.U様、こんにちは。 (agasan(管理人))
2011-05-23 14:18:41
T.U様、こんにちは。

合気道が今ほどは社会に認知されていなかった時代に、お名前を挙げられた先生方をはじめ多くの先人が手探り状態から渾身の努力をされ、その結果として現在があるのでしょう。そのような優れた先人を失うごとにその流れの末にある者としての責任に思いを致さざるを得ません。
もちろん、件の先生方と較べることさえ畏れ多いことではありますが、自分に与えられた、合気道を通じてより良い自己と社会の実現をはかることのできる環境をさらに充実させて次代に手渡す義務があると思っております。
それにつけましても、引き続き種々のご意見、お教えを賜りたく存じます。
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