合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
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156≫ 隠された当身

2011-06-22 16:05:59 | インポート

 すっと手を差しのべただけで相手が吹っ飛んでいったり、掴ませた手が離れないように振り回し這いつくばらせるといったような、きわめて合気系武道に特有の技法がおできになる方、あるいはまたそれを目指しておいでの方、加えて、平和な社会の実現を理想とする合気道において、闘争を想起させるような技法の展示は許されないとお考えの方にとっては、今回のテーマはいささか方向性を異にしますのであらかじめご了解ください。

 わたしが今回ここで述べようとするのは、合気道に包含されている(はずの)当身技法です。現代武道としての合気道には似つかわしくない、かかる旧来の技法は、冒頭に触れた超絶技巧的武道や高邁な理念に比べたらよほど程度の低いものかもしれません。

 しかし、概略それらは大先生ご自身が修行時代に実行された技法であることに疑いはありません。ですから、それを知ること、考えることは合気道の歴史をたずねる行為であって、即ち遣うことではないという理解(言い訳?)のもとに、隠された合気道当身技法を探ってみようと思うわけです。ただし、後に大先生はそれらのほとんどをお捨てになったことも事実ですので、現行合気道との兼ね合いについては各位が慎重にご判断されることを望みます。

 そういう前提で、合気道に秘められた武術性を当身技法から考察します。

 さて、従来から再三述べておりますように、『合気道は当身が七分』と言われます。それを正面から受け止めて、技の一つひとつに当身を加えて表演される方々がいらっしゃいます。一方、多くの方はあまり明確な当身動作をなさらないようで、それはそれで流れるような動きを重視しておられるのだろうと判断していますが、いずれにしろ現在の合気道界は大きくはそのふたつの流れの中にあるように思われます。

 わたしの理解はそのいずれとも若干違って、通常の合気道の動きの中に当身に直結する動作が含まれているという立場をとっています。ここでいう当身に直結する動作とは、当身そのものではなく、その前段の構えや、当身の寸前に軌道を変えてしまう動きを意味します。それはすぐにでも当身に変化しうるものですが、通常の稽古では表に出しません。そういうことがあると知ってはじめて合気道の動きの中に武術性を垣間見ることができるのであって、知らなければごく普通の素直な合気道と映るかもしれません。

 そのあたりのところをご理解いただくにあたっては実際に映像をご覧いただくのがわかりやすいと思います。材料はどんな技でもよいのですが、あえて当身とはあまり縁のないような片手取り二教裏を採りあげます。その動きの意味をご理解いただくために、まずは文章でご説明いたします。

 なお、ここでの突きや蹴りの表現は、その一つひとつが西尾昭二先生や黒岩洋志雄先生の教えにもとづくもので、合気道の体遣いは本来そのような働きを含んでいるとご説明いただいたものです。ですが、お二方が普段の稽古で常にそのように当身を出して表演しておられたわけではありません。両先生のお示しになったところをわたしが適宜技法に組み入れたものですので、あらかじめお断りしておきます。

 この、片手取り二教裏は通常、転換から小手回し、そして組み伏せての極めというふうに、主に上肢を攻める技法です。両先生はこの技を実際に遣うという前提で、動きの各部に数度の当身を忍び込ませます。それは順に次のようになります。

(便宜上、写真はすべて正面から見たものにしています)

ⅰ.最初に相手と触れる時点で喉もとへの貫手。

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ⅱ.そこから転換し直後に下からの左掌底打ちと、相手の蹴りを警戒しての下段ガード。こちらは四股立ち。

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ⅲ.その後、左半身となり相手の脇腹への蹴り(この場合左足)。

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ⅳ.相手の横に並び、小手まわしの極め(中段の崩し)にはいる前の顔面打ち(ストレートパンチ)。

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ⅴ.小手回しから下方に押し込んで、しゃがみこんだ相手脇腹への蹴り(この場合右足)

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ⅵ.通常、肘をつかむ手で顔面打ち(フックぎみ)。

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 以上6回、当身の機会があります。これらの動作は、大先生が修練経験をもつ天神真楊流や大東流でも、ほぼ同様の状況で技に取りいれられていますし、その他の流儀においてもごく一般的な技法です。ですが、合気道を確立するにあたり、理想を実現するための新しい時代の武道として、従来の柔術とは違うことを示す意味で大先生はあえて採用しなかったのかもしれないという推測は可能です。たまたま、わたしがご指導をいただいた両先生は、いわゆる遣える合気道を標榜しておられたので、大先生の思いは大切にしながらも、戦前は実戦武術として当身を多用されていたことを根拠に、わたしたちにその意義と用法を伝えてくださったものと考えています。

 それらを通して実行すると次の動画のようになります。比較のため前半は通常の技法で、後半は適宜ゆっくりと当身をいれています。

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YouTube: 隠された当身

  さて、ここでひとつ大事なことは単に突いたり蹴ったりすることではなく、突くには突くの、蹴るなら蹴るの構えと間合いがあるということです。蹴り足が右足なのか左足なのか、あるいはまたストレートなのかフックなのか、それによって相手との距離や立ち位置が違います。それらを実現する体捌きを技のほうから求めてきます。これが今回一番のポイントで、当身なしの稽古でもそれを意識しながら体を捌いていくことが重要だということです。

 合気道では、普段の稽古であまり細かいことを言われません。そのため半身が逆だったり間合いが間違っていても往々にしてそのままやり過ごしてしまいがちです。しかし、有効な打突を放つことを意識すれば、自ずとかたちが決まってきます。以前に得物を使用する稽古について述べた折にも言いましたが、道具(今回の場合は突き蹴り)のほうから体遣いを制約し、結果として正しい体捌きを身につけることができる効用があります。

 もちろん、しっかりした突き蹴りを稽古すれば、受ける方もいい加減な対応はできませんから、全体としてレベルアップする期待もあります。いちがいに突き蹴りを厭うべきものではないと考える所以です。 

 なお、黒岩洋志雄先生の合気道理論では、一~三教はそれぞれ上段、中段、下段を、四教は地に着く、というようにタテの崩しの働きをするものとしています。そのなかの二教を、さらに奥行を表すものと教えていただきましたが、それは上記ⅳの前後の捌きがそれに当ります。


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
管理人様、こんにちは。 (寿陵余子)
2011-06-23 08:28:34
管理人様、こんにちは。
動画でのご説明、大変勉強になりました。

私も合気道の動きそのものが当身に直結していると考えておりましたので、管理人様の御教示はとても納得が行きました。


私は当身技法が円滑な合気道技法に劣る価値の低いものとは全く思っておりません。
むしろ、合気道に潜む「当ての呼吸」(技法としての当身とは違うかもしれませんが)が解らなければ合気道を実際的に使いこなすのは不可能だとさえ思います。
というのは、本来当身が先にあり技が後にあると考えるからです。

四方投げではフックや肘打ちの動きが何度入っていますし、入身投げなどに至っては本来一瞬の当ての呼吸をそのまま引き伸ばして技にしているように思えます。


稽古に於いて当身を意識るのは、適切な間合い感覚を養うだけでなく、当ての呼吸を理解することによってより合気道的な円滑な動きが成されるものと思います。
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寿陵余子様、こんにちは。 (agasan(管理人))
2011-06-23 10:52:15
寿陵余子様、こんにちは。

姿をさらすことの気恥ずかしさを感じつつも、意をおくみ取りいただき感謝申し上げます。
当ての呼吸というのは、うまいこと言えませんが、一連の動きの中で局面転換をはかるべき時点における心身の態勢といいますか、『ここだ』というポイントでの心持ちだというような理解でよろしいでしょうか。
それでよろしければ、たしかにそこが当身の出る間合い(時間と空間)で、それを意識しながら動くことで潜在的可能性が増大するだろうと思います。
わたしの理解が違っていましたら、ご面倒でもまたお教えください。
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愛知県名古屋市内で、稽古をしているものです。 (2つの月)
2011-06-23 13:55:54
愛知県名古屋市内で、稽古をしているものです。
今回初めて投稿します。

自分が通っている道場の先生も、当て身の重要性を重視する方で、翁先生とも稽古の経験があり、岩間にて故斎藤先生と稽古をされた人物です。

稽古の技の中に当て身の名残りすら残っていなければ、気付く事のない動作ですが、あるという事実が目の前にある以上、体現していいものだと思われてなりません。

これからもちょくちょく覗かせて頂きます(笑)
宜しくお願いします。
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早速のご返事ありがとうございます。 (寿陵余子)
2011-06-23 16:13:06
早速のご返事ありがとうございます。
大体そのようなご理解で結構かと思います。


補足いたしますと、入身や転換そのものの動作が当身になっていると考えます。
入身での当身を正面打ち一教・表を例にいたしますと、自分から相手の面を打って行き相手の正面打ちを引き出す瞬間や、その間を外して相手が正面打ちを振りかぶる際に、徐々に脇に形成される三角形の隙間に入身しながら肘を合わせに行く動作(実際には顔面や脇腹への当身)がそれにあたります。後者の動きは一教・裏や入身投げにも対応しています。


転換での当身は横面打ち四方投げが例に挙げられます。
相手の横面打ちを振りかぶる瞬間に、前述一教の後者の動きでこちらは相手の中心を正面打ちで切り下ろす(実際には相手の中心に入身しながら顔面へ当身、転換して崩れはじめた首筋へ横面打ち)動きです。

もうひとつは相手の横面打ちに対して、前述の入身しながらの顔面への当身の呼吸の間を外して、こちらも横面打ちの動作で応じると相手の手刀は外れこちらの手刀は相手の首筋を捉えます。この一打目を外す呼吸の間が重要だと思います。
普段受け身として稽古している正面打ちや横面打ちも、本来立派な当身だと思うのです。


以上の様な事柄は、気結びの太刀を稽古して行く内に気がついたので、当ての呼吸と申しましたが、より三次元的に展開させれば実際には剣の呼吸になるのかも知れません。
私自身は技量自体まだまだで合気道に対する理解も微々たるものではありますが、これらの理合いの先に勝速日があるのではないかと模索しつつ稽古しています。

大変冗長な上に分かり難い文章ですが、何かお気づきの点などあれば是非御教示下さい。
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2つの月 様、こんにちは。コメントありがとうござ... (agasan(管理人))
2011-06-23 16:16:06
2つの月 様、こんにちは。コメントありがとうございます。

稽古歴や環境に応じたいろんなお考えを教えていただけるのもブログをやっての楽しみのひとつです。
斉藤先生は長いこと当地(宮城)の責任師範をされたので、わたくしもご指導いただいたことがあります。本文で、『技の一つひとつに当身を加え』というのは先生とご門下の方々を想定したものです。
その質実剛健な技法を思い出しながら、コメントでお示しになったご意見を拝読いたしました。
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寿陵余子 様、ご教示ありがとうございます。 (agasan(管理人))
2011-06-23 16:33:43
寿陵余子 様、ご教示ありがとうございます。

たいへん良くわかりました。
わたくしどもも気結びの太刀を稽古に取り入れていますが、ただ形をなぞればいいというものではないことを肝に銘じておきたいと思います。
お手数をおかけしました。
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agasan様こんにちは。 (katsuhayahi)
2011-06-23 23:54:38
agasan様こんにちは。
 大変貴重なご指導を動画にお示しいただきありがとうございます。
当て身や蹴りの入った間合いと捌きが展開していることは、取りが常に先手を取り、受けはそれを受けている、その局面ごとに勝っている連続が技の成立に繋がっているのですね。
 取りも受けも徒手ですから、あるときは武器を持つ手であり、または突き、打つ手であったりする。逆に、何でもない手である瞬間はそのまま隙になります。
また、受けからの蹴りや当て身を外せる位置であれば、取り自身のそれも省くことができるわけですが、当て身を省いて他の動作に代える、あるいは当て身を受けさせて次の先手の動作に進む、これを行う吸気と呼気のつなぎ目を巡りと解釈しています。大先生は当て身の形を呼吸に代えて強調されることで合氣道の特徴を示されたのだと思います。
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katsuhayahi様、こんにちは。 (agasan(管理人))
2011-06-24 11:52:00
katsuhayahi様、こんにちは。

『当身の形を呼吸に代えて』というのは言い得て妙です。その通りだと思います。
当身ひとつをとってみても、皆様それぞれのお考えのもと、どのように稽古に組み入れていくか工夫をされていることがわかり、さらなる可能性を感じさせます。
今後も、わたくしが師から教えていただいたことで提供できることはさせていただきますので、ご批評をいただきたいと思います。
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