ロンドン・パラリンピックが始まりました。わたしはとても楽しみにしているのですが、テレビではほんのわずか録画放送があるくらいで、あまり流れてきませんね。ついこのあいだ、夜中の中継に始まって、あっちでもこっちでも同じ映像が繰り返し流されたオリンピックとはずいぶん扱いが違うようです。メダリストの銀座パレードやアイドルグループの取材に投入した労力とお金の数分の一でも振り向けてくれれば、多くの人にパラリンピック種目の素晴らしさが伝わるのに、残念なことです。
最近は日本の各種メディアの報道姿勢に対する批判が多く聞かれるようになりましたが、たしかに放送、報道に関わる人たちの不勉強や偏った興味が目立ちます。日本にバカをいっぱい作ろうと思ってるのかしらん。
ま、このブログはメディア批判が目的ではありませんので、ちょっと目先を変えましょう。テレビなどがパラリンピックにあまり興味を示さないのは、そこで実施される種目が一般の種目の障碍者版だという認識だからではないでしょうか。障碍を持つ人たちが心身の不自由をおして頑張っている、一般に比べてややレベルの低い競技、というところなのではないかと思います。
オリンピックで最高度のパフォーマンスを観たのだから他は適当に伝えればよい、そして一応障碍者にも目は向けていますよというポーズだけはとっておこうという考えが、わたしには手に取るようにわかります。
しかし、わたしはここでこれだけは言っておきたいと思います。それは、障碍者スポーツは決して一般の種目の低レベル版ではないということです。一般の種目と共通した名称を使うものが多いのでそのような誤解が生まれるのだと思いますが、それらは明らかに異なるスポーツだということです。車イスマラソンなどは普通のマラソンなんか比べものにならないくらい速いですし、車イスバスケットボールでは激突と言ったほうがいいくらいの強力なボディチェックもあり、水泳も陸上もそして冬季種目ならスキー、スケートも、とにかくなんでも障碍の状況に応じて独特のテクニックを駆使して戦うわけで、要するに別の種目なのです。
柔道とレスリングは誰でも別種の競技だと認識していますが、バスケットボールと車イスバスケットボールの差異はそれ以上です。要するにルールが異なれば別種の競技なのです。であれば、そこで繰り広げられる技の応酬を楽しむには、観る側もそれに応じた視点を持つことが必要です。
それにしても、これまでのパラリンピックでの日本選手の活躍はたいしたものです。競技者の絶対数が多くなく、練習施設も限られるので日常的に目にすることが多くないせいか、そのようなトップアスリートが一体どこから生まれてくるのか不思議なくらいです。もちろん、目に見えないところで競技者自身の弛まない努力と関係者の協力が積み重ねられていることは容易に想像できます。その成果としての競技を、わたしたちは素直に楽しみたいものです。
さて、わたしたちの合気道には競技がありませんからそのためのルールもありません。だからいろんなかたちが共存できるのであって、そのいろんな表現形がおたがいに良い影響を与えあうことが理想なのではないでしょうか。標準形は標準形として大切にしつつ、様々な工夫応用形が精彩を発することは、想像するだに楽しいではありませんか。
なにかに偏って、他を別種扱いにするのは合気道らしくないですね。競技じゃないのですから。それとも、いっそのこと腕くらべでもして優劣を決めますか(笑)。