よく合気道は百人いれば百通りと言われますが(もしかしたらわたしが言っているだけかも)、これは、ある程度のレベルに達した上で個性を生かすということであり、好き勝手にやってよいということではありません。この言葉の上っ面だけを都合よく解釈し、より優れた理合や技法を求めるための努力を怠ってはいないか、自戒を含めて問いかけたいと思います。
人それぞれ体格も体力も違いますから、みんな同じようにいくものではありません。また、どれが正しいと決め付けられるものでもありません。しかし、明らかに間違っているものはわかります。そういうものは武道の体(てい)をなしていないからです。
武道の体をなしているかどうかは間合いを見ればすぐわかりますが、さらに合気道の場合は、相手を誘導、操作し、技を仕掛けていくとき、自分から積極的に動いているかどうかで判断できます。
自分から動くのは当たり前じゃないかと思われる方は正しい方法をとっているのでご安心を。それが、経験が長く段位も上がり、イッチョマエの立場になると、体を動かすのがおっくうなのか、自ら動くのは沽券にかかわると思っているのか、受けが勝手に動いてくれるのにまかせて合理性のかけらもない合気踊りを繰り広げる人が増えてきます。
ところで、演武や指導風景を動画で観られるホームページが結構あるようです。道場長自ら手を尽くして合気道を広めたいという気持ちが伝わってきて、それ自体は敬意を表します。
ただ、中には『それ、人前でやらないほうがいいんじゃないですか』と思いたくなるようなものも目につきます。詳細は言わなくても皆さんお分かりだと思います。そういうのを合気道を知らない人が観たら(知ってる人でも)誤解を招きかねません。しかし道場長たる人に『それ違いますよ』とはなかなか言えるものではありません。事実上不可能です。
そんな映像だけではなく、一般論としても、これはいただけないと思われるような技法が修正されない現状は憂うべきものがあります。合気道愛好者の多くの方は特定の道場で特定の先生に教えてもらっているわけですから、これはすぐれて指導者の側の問題です。
一方、先日のtoyoshiki様のコメントで、教わり方を知らない人が増えている旨の投稿がありましたように、指導を受ける側にも問題なしとしません。
本部師範であれローカルの指導者であれ、いろんなところで講習会が開かれていますが、特に公開参加型で規模の大きい講習会ほど、その実が上がっていないというのが正直なところではないでしょうか。参加者が多くて指導者の目が届きにくいということもありますが、習うほうの心構えが定まらないのが大きな理由だと感じます。
つまり、何を目的に参加しているのかが自分でもはっきりしていないのです。参加することに意義があるというのではお粗末です。講習会では、普段は指導を受けることのない人に習うのですから、百人いれば百通りの理屈からいうと、そうとう異質の合気道に出会うはずです。そこから自分にとって益になるものを貪欲に取り込むくらいの意気込みがあってしかるべきです。万が一、できのよくない指導者(失礼)の場合でも反面教師的な意味での成果もあるはずです(あんなことやっちゃいけないんだな、とか)。
いずれにしろ、そのような飛躍のチャンスを生かせずに、元の合気道を身にまとって帰る人が多いように見受けられるのは残念です。もっとも、自分の道場にもどったらまた自分の先生の教える合気道をしないわけにはいかないでしょうから、むずかしいことだとは思いますが。このへんが試合のないことの弊害かもしれません。試合があれば何を言ったって強いやつが正しいということになりますからね。
でも、上達とは、なにも目に見えることだけではありませんから工夫次第では誰にでも達人への道が開かれています。向上心さえ抱き続ければ。
今回はちょっと批判がましいことを書いてしまいました。まあ、批判精神は合気道にはあまり似合わないのはわかっていますし(その割には批判記事が多いですが)、さらにわたしの場合、自分がネットで映像を使いこなせないので動画付きのHPをやっかんでいるところがなきにしもあらずですから、そのことは割り引いてくださいね。