合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
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95≫ 教える人と教わる人

2009-03-05 18:16:13 | インポート

 よく合気道は百人いれば百通りと言われますが(もしかしたらわたしが言っているだけかも)、これは、ある程度のレベルに達した上で個性を生かすということであり、好き勝手にやってよいということではありません。この言葉の上っ面だけを都合よく解釈し、より優れた理合や技法を求めるための努力を怠ってはいないか、自戒を含めて問いかけたいと思います。

 人それぞれ体格も体力も違いますから、みんな同じようにいくものではありません。また、どれが正しいと決め付けられるものでもありません。しかし、明らかに間違っているものはわかります。そういうものは武道の体(てい)をなしていないからです。

 武道の体をなしているかどうかは間合いを見ればすぐわかりますが、さらに合気道の場合は、相手を誘導、操作し、技を仕掛けていくとき、自分から積極的に動いているかどうかで判断できます。

 自分から動くのは当たり前じゃないかと思われる方は正しい方法をとっているのでご安心を。それが、経験が長く段位も上がり、イッチョマエの立場になると、体を動かすのがおっくうなのか、自ら動くのは沽券にかかわると思っているのか、受けが勝手に動いてくれるのにまかせて合理性のかけらもない合気踊りを繰り広げる人が増えてきます。

 ところで、演武や指導風景を動画で観られるホームページが結構あるようです。道場長自ら手を尽くして合気道を広めたいという気持ちが伝わってきて、それ自体は敬意を表します。

 ただ、中には『それ、人前でやらないほうがいいんじゃないですか』と思いたくなるようなものも目につきます。詳細は言わなくても皆さんお分かりだと思います。そういうのを合気道を知らない人が観たら(知ってる人でも)誤解を招きかねません。しかし道場長たる人に『それ違いますよ』とはなかなか言えるものではありません。事実上不可能です。

 そんな映像だけではなく、一般論としても、これはいただけないと思われるような技法が修正されない現状は憂うべきものがあります。合気道愛好者の多くの方は特定の道場で特定の先生に教えてもらっているわけですから、これはすぐれて指導者の側の問題です。

 一方、先日のtoyoshiki様のコメントで、教わり方を知らない人が増えている旨の投稿がありましたように、指導を受ける側にも問題なしとしません。

  本部師範であれローカルの指導者であれ、いろんなところで講習会が開かれていますが、特に公開参加型で規模の大きい講習会ほど、その実が上がっていないというのが正直なところではないでしょうか。参加者が多くて指導者の目が届きにくいということもありますが、習うほうの心構えが定まらないのが大きな理由だと感じます。

 つまり、何を目的に参加しているのかが自分でもはっきりしていないのです。参加することに意義があるというのではお粗末です。講習会では、普段は指導を受けることのない人に習うのですから、百人いれば百通りの理屈からいうと、そうとう異質の合気道に出会うはずです。そこから自分にとって益になるものを貪欲に取り込むくらいの意気込みがあってしかるべきです。万が一、できのよくない指導者(失礼)の場合でも反面教師的な意味での成果もあるはずです(あんなことやっちゃいけないんだな、とか)。

 いずれにしろ、そのような飛躍のチャンスを生かせずに、元の合気道を身にまとって帰る人が多いように見受けられるのは残念です。もっとも、自分の道場にもどったらまた自分の先生の教える合気道をしないわけにはいかないでしょうから、むずかしいことだとは思いますが。このへんが試合のないことの弊害かもしれません。試合があれば何を言ったって強いやつが正しいということになりますからね。

 でも、上達とは、なにも目に見えることだけではありませんから工夫次第では誰にでも達人への道が開かれています。向上心さえ抱き続ければ。

 今回はちょっと批判がましいことを書いてしまいました。まあ、批判精神は合気道にはあまり似合わないのはわかっていますし(その割には批判記事が多いですが)、さらにわたしの場合、自分がネットで映像を使いこなせないので動画付きのHPをやっかんでいるところがなきにしもあらずですから、そのことは割り引いてくださいね。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
合気道はいろいろな人がいろいろな事を言いますので、 (初心者)
2009-03-10 12:28:04
合気道はいろいろな人がいろいろな事を言いますので、
自分で技の意味や体捌きの根拠を理解していないと、
言われたことを全て同時にやろうとして、わけのわからない技に
なってしまうのかもしれません。

常に技の意味や効果、その技の返し方などを考えれば、
間違った人の意見を笑って流せると思います。
つまり、合気道は、一人ひとりが確固たる自分の道を持つべきなのだと思います。
そういう意味では、疑うことなく従順に従う人よりも、疑い続けるひねくれ者の方が
上達するのかもしれません。
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初心者様、こんにちは。 (agasan(管理人))
2009-03-10 16:14:12
初心者様、こんにちは。
たしかに、いろいろな人がいろいろなことを言いますよね(わたくしもその一人ですが)。
教えたがりが多いのも合気道の特徴です(あ、これもだ)。
ともあれ、以前に述べていることですが、武道というものは遣おうと思えば遣えることが前提であり、それを遣わなくて済む生き方を求めるのが武道に関わる人のあるべき姿だと思います。
その観点から判断すれば大きく間違うことはないでしょう。
それにしましても、実にしっかりした考えのもとにご精進しておられること、素晴らしいです。
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御世話になっております。 (toyoshiki)
2009-03-11 22:33:03
御世話になっております。

大変恥ずかしいのですが、実は以前のコメントで前から心に引っかかることを盛り込んで書いてしまいました。
今回の記事を始め、初心者様とagasan様のコメントのやり取りを拝読させて頂き、目から鱗が落ち胸の支えが少し取れた気がします。

ありがとうございました。
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toyoshiki様、こんにちは。 (agasan(管理人))
2009-03-12 11:37:08
toyoshiki様、こんにちは。
思うままに書いているこのブログですが、読んでくださっている方々にとって(方々というほど多くはないでしょうが)なんらかのヒントや気づきのきっかけとなれば、こんなに嬉しいことはありません。
また、わたくしの考えや文章の至らざるところを皆さんのコメントが補ってくださっていることに感謝しております。
せっかく同じ道を歩んでいる仲間ですから、せめて文章を通じて互いの精進を称えつつ切磋琢磨していけるといいですね。
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お役に立てたようで、大変嬉しく思います。 (初心者)
2009-03-12 13:43:50
お役に立てたようで、大変嬉しく思います。
合気道は「動く禅」とも言われているようですから、公案を解くように、
自分も含めた全てを疑うべきなのかもしれません。
矛盾しますが、私の言うことも疑うべきだと思います。
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初心者様、コメントありがとうございます。 (agasan(管理人))
2009-03-12 16:07:09
初心者様、コメントありがとうございます。
皆さんにこんなふうにコメント欄を使っていただけるのは、とても楽しいです。おかげ様で話題が固定せずに、次の展開への意欲が湧いてまいります。
《疑う》には推測するというニュアンスもあるようで、物事の本質を自得するためには不可欠な営みなのかもしれませんね。
それでは大いに疑いましょう。
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