てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

読売新聞夕刊に載りました

2012年02月16日 22時44分16秒 | メディア掲載
第8回てつがくカフェ@ふくしまが読売新聞夕刊(2012年2月16日付)の記事に掲載されました。
夕刊紙は首都圏のみなので福島では入手できませんが、以下のような内容の記事でした。
取材にお越しいただいた針原さん、ありがとうございました。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=54589&from=yolsp(YOMIURI ONLINEはこちら)

市民が対等な立場で、「生」や「死」など、身近で大切な事柄をテーマに語り合う「哲学カフェ」。東日本大震災の後、特に福島や仙台で活発に行われている。対話によって、人々は何を得ているのだろうか。(針原陽子)

【市民、対等な立場で】
「てつがくカフェ@ふくしま」で「幸せ」について語り合う参加者たち(福島市で) 1月下旬の雪の夜。JR福島駅からほど近いレストランで開かれた「てつがくカフェ@ふくしま」に、約20人が集まった。この日のテーマは「幸せって何だろう?」。

「『幸せ』とはどういうものだと思いますか」。議論の進行役の問いかけに、20歳代の女性が手を挙げた。「自分が一番悪い状態だった時に比べて良い状態であれば幸せ」「過去などと比べなくても、自然に感じる『幸せ』もあると思う」

「自分が『幸せ』と思えば幸せ」という意見が出され、複数が賛同する一方で、「他人から見れば不幸でも、本人が幸せと思えば幸せなのか」「自分と周囲の幸せがぶつかる場合はどうなのか」などの問いも生まれる。

話がストーカーやパレスチナ問題にまで及んだ後、進行役が「東日本大震災以降、不幸せになったと感じますか」と質問を投げかけた。会社員男性が「自分と家族は幸せだと思っているのに、『福島に残っている子どもは不幸だ』と言われる」と発言。教員の男性は「原発の爆発以降、『不幸とは自分の意思でどうにもならないこと』と思うようになった。関与できないところで不幸をつくるのはやめてほしい」と話した。

終了後、参加者からは「いろいろな考え方があるとわかるのがいい」「いつも以上にもやもやした」などの感想が漏れた。会社代表の30歳代女性は「まじめに議論する機会が身近にあるのはありがたい。職場などでは『深刻な話をすると、何か影響が出るかも』とためらってしまう」と話した。

◇ 哲学カフェは、1992年、フランスの哲学者がパリのカフェで始めた。日本では2000年ごろから広まったとされる。哲学カフェのルールは、参加者が肩書抜きの対等な立場で対話することと、ある程度、哲学の知識のある人が進行・整理をすること。できればコーヒーなどを飲める場で開くのが望ましいという。

東北では、昨年3月の東日本大震災を契機に、活発に開かれるようになった。震災後に始まった「@ふくしま」はすでに8回開かれ、初回が10年5月の「てつがくカフェ@せんだい」は、計16回開かれている。

「@ふくしま」世話人の一人である福島大教授(倫理学)の小野原雅夫さんは「『思いを語るだけ』でも意味がある。特に福島は、放射能の問題などについて人々の感じ方の温度差が大きく、『思ったことを話せる場がなかった。話せてよかった』という感想が多い」と指摘する。

「@せんだい」主催者の、東北文化学園大准教授(臨床哲学)の西村高宏さんは「東北には『対話を通じて自分の考えをたくましくしていく』場がなかった。特に震災以降、被災者が自分の言葉で体験を語ることで、震災をとらえ直すことが重要だと思う」と話す。

「てつがくカフェ」は、岩手県と山形県でも昨年12月に第1回を開催。西村さんは「今後も東北の中で活動を広げていきたい」と話している。

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