てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

てつがくカフェ@ふくしま特別編3・報告

2013年03月12日 22時46分03秒 | 〈3.11〉特別編記録
   

あの日からもう2年を迎えます。
3.11を明日にひかえた3月10日、てつがくカフェ@ふくしまは法政大学サステイナビリティ教育研究機構との共催で、アオウゼにて東日本大震災・東電第一原発事故をテーマにした第3回特別編を開催しました。
昨年ほど手広く宣伝もしなかったので、それほど人も集まらないだろうと予想していたのですが、それにもかかわらず42名の方々にご参加いただきました。
遠くは静岡、岩手、東京からいらした方もいらっしゃいます。
ありがたいことです。

今回のテーマは 「フクシマはどこへ―怒りと絶望の淵から―」。
実はこのテーマを決めるに際しては、世話人のあいだで議論になりました。
当初、福島組の小野原・渡部からは 「福島は犬死か?」 というテーマの提案がありました。
しかし、これに対して東京組の牧野・斎藤・相原・大森から、そのテーマの過激さについて待ったがかかり、メール上での議論のやりとりを経て、ようやくこのテーマに収まったという経緯があります。
今回のカフェ冒頭では、その経緯について5名の世話人からそれぞれの思いを語るところから始めました。

まず東京組から 「福島は犬死か?」 というテーマ設定には、先の衆院選結果に対する感情的な反応が含まれており、様々な意見を出し合うフォーラムとしての哲学カフェになじまない、「犬死」 の意味の受け止め方が福島県内/外の人々で異なり、そこに距離の問題や言葉のもつ意味のズレ、違和感がある、「犬死」 という言葉は東京に住む人間にとってきつく感じる、犬死はけっきょく生き残ったものの判断である等など、テーマへの違和感が提示されました。
それに対して福島組からは先の衆院選結果へのショックを経て、あたかもフクシマの犠牲がなかったかのような政治情勢、社会的空気に対し、「フクシマの犬死=犠牲を認めよ!」 という意味が込められたこと、しかしその感じ方が果たして福島に住むものとして閉鎖的に感じるだけなのか、県外の声から確かめたい、さらにそれは果たして福島の問題だけではなく日本全体の問題として考えたかったとの意見が提示されました。

  

  

これらテーマに込める世話人たちの思いを皮切りに、議論は 「犬死」 をめぐって展開します。
まず、「福島は犬死である」 ことを肯定する意見が出されます。
「そもそも福島が勝ったときなどあるのか? 歴史的に見ても連戦連敗、常に負け続けてきたではないか。
そのことを認めることから始めるべきなのに、あたかも犬死ではないかのように糊塗する風潮に違和感がある。」
この発言は福島在住の方から出されました。
「犬死」 をめぐっては世話人同士の中でも、言葉の意味のズレ (というか溝) がありました。
そして、「フクシマは犬死か」 には 「フクシマは犬死ではない」 という反語的な意味や、「フクシマを犬死させないために」 という未来志向の意味を解読した東京組の見解も出されたのですが、この発言はむしろ、そのような解読すらも不要であり、むしろそのような解読こそ 「犬死」 を見誤らせるのではないかという意味も込められているように感じました。

また、東京組の世話人から提起された 「犬死」 が 「感情的」 という問題提起に対しては、
「このたびの原発事故が理性の限界を露呈したことを認めつつも、「だから理性はダメだ」 なのではなく、それでもなお理性はありうるかという問いを含んだ、むしろ理性を問い直そうとする意味が込められていたのではないか」 との意見が出されます。

さらに、世話人の問題提起の中では 「犬死」 をめぐって福島県内/外との温度差とも言うべき溝を 「ウチとソト」 という言葉が用いられましたが、これに関して東京から参加された方から、
「たしかに東京の人間が福島の人々に向かって 「犬死だよ」 とはいいにくい、けれどこの言葉は東京の人間だからこそ言いたいし、言うべきだ」 との発言をいただきました。
ここには、福島の犠牲が無駄であったという事実を糊塗するかのように、巷では安っぽい 「希望」 や 「がんばろう〇〇」、「復興」 といったスローガンが喧伝されることへの批判的視線が含まれています。
たしかに、被災地の外部の人間が被災者に対して 「キミタチの犠牲は犬死だったのだ」 ということは傲慢の謗りを免れないかもしれません。
にもかかわらず、この発言者が自らの立ち居地と居心地の悪さを引き受けながら被災者と向き合おうとする、覚悟ある姿勢に共感させられたものです。
少なくとも自分の負い目を払拭するためだけに被災地入りして、口当たりの言い言葉だけを並べ連ねるだけの支援者とは位相を異にするのではないでしょうか。

ただし、こうした 「犬死」 ということに対しては、2年間という時間の中でどのように向き合ってきたかは一様ではありません。
ある参加者は、被災直後ではわからなかったが 「2年という月日を経過する中で、だんだん犬死を認定させられていった」 といいます。
一方、2年が経っても 「絶望と怒り」 という感情が収まらないなかで、周囲の楽観的な様子や原発を推進してきた政党の党首が来福した際、福島の人々が手を振る姿を見て、この絶望感が自分ひとりだけなのかといった孤立感に襲われたと発言して下さった方もいます。
この 「怒りと絶望」 あるいは 「犬死」 という無力感は、時とともに癒されることもなければ、時間の経過とともに深まるといった様相もあるようです。

しかし、この 「怒りや絶望」 といった感情は、それが増せば増すほど理解されるかといえば、逆に共感を得られにくくなるといった発言もありました。
この感情を示せば示すほど同情を得られるわけではなく、むしろ被災地外部の人間は引いていってしまうというわけです。
被災者への同情が偽善や欺瞞ではないかと自分を疑う世話人の一人の発言は、このことと関係があるのかもしれません。
人は誰しも悲惨な状況になる人間に同情するものですが、それに過剰に同化してしまうことがどこか嘘っぽさを含んでしまうことへの警戒感というものでしょうか。



こうした3.11以後の福島を 「犬死」 と認定する意見が出される一方で、「犬死ではない」 という意見も出されます。
まず、「3.11以後の福島で過ごす中で 「犬死」 と感じたことはなく、むしろ街づくりや復興をどうしていくか地域課題を解決する活動に取り組む中で生き生きし始める自分がいた」 という福島在住の参加者がいました。
なるほど、3.11以前には考えもしなかったこと、行動もしなかったことが、この出来事をきっかけに自分の中に生まれることを、むしろ恵みものとする発想がここには見て取れます。
あるいは、この出来事を体感したことによって、共感力や愛を得ることができたという発言も同様に、この出来事をポジティブに捉える立場といえるでしょう。

こうした被災地福島を 「犬死」 と指す言葉はけっして一般的に使われている言葉ではありませんが、こうした参加者たちの意見からは、やはりある程度その認識が社会的に共有されていることを窺わせます。

ところが、こうした議論の流れのなかで、そもそもこの出来事以前に 「犬死と思ったことはないのか」 という問いかけが出されました。
「犬死」 という人たちがその言葉に何を込めているのかいま一つわからない。だいたい人間なんて生まれた時点で犬死なのだから 「犬死から始めようよ」。
さらに、その意見には、どこか 「犬死」 という言葉の使われ方には 「うんざり感」 があると付け加えがありました。
不意を衝くこの問いかけに、一瞬会場は固まります。
さらに別の県外参加者からは、「犬死」 からは現状への不満を感じさせられるが、ではその 「怒りや絶望」 の矛先はどこへ向けているのか、むしろ外に向けるよりもどうして福島がこうなってしまったのかを問う視点が大切なのではないか、「どう変わってほしいのか?」 との問いが提起されました。
ここには、ある状況を指し示す言葉として 「犬死」 という言葉の用い方が陳腐化したり、それによって事態が進展しないことを言い当てているように思われます。



こうした問いかけに対して県内からの参加者からは、「福島県外の人々の無関心が広がり、政府は何もしてくれない一方で、じゃあ自分に何かできるかといえば何もできない、デモをやっても変わらない、そんな無力感に陥るとき 「犬死」 を感じないわけにはいかない」 との意見が出されます。
あるいは、あれだけの事故を起こしたにもかかわらず大飯原発が再稼動したとき、やっぱり日本は変わらないんだという無力感を抱いたとの意見も出されました。
加えて、訴える矛先といってもそれがどこなのかもわからないともいいます。

いっぽう、福島で漁業や農業を営む人々が自分たちが徹底して検査をして安全な食品づくりに励みながらも、消費者の 「安心」 は得られないかもしれない、無駄かもしれない、にもかかわらず 「つくり続けていこう」 という農業・漁業関係者の姿を紹介しつつ、「これがまさに 「犬死から始めよう」 ということであり、福島で生きるということは、その引き裂かれつつも、その間のギャップを生きていくということに他ならないのだ」 との意見も出されました。
ただし、それはけっして主体的な生き方ではないのだ、という言葉が印象的です。
つまり、「こんなしなくてもよい苦労を出来事の方から押し付けられたから、せざるを得ず立ち上がったのであって、それがあたかも自ら選んで主体的に構築しようとしたわけではないのだ」 と強調するのです。

別の県内参加者からは、「どんなに 「原発はうんざり」 といわれようとも、そこで生きざるを得ない人間にとって、そのことを問い続けざるを得ない」 との発言がありました。
これらの発言からは、あの日から2年が経つにもかかわらず、この被災状況を言い表す言葉をいまだ私たちは持ち合わせていない、あるいは探し当てていない事態が示されているように思われました。

とはいえ、この出来事に対しては、それがどんなに恐ろしい真実であったとしても、その捉え方が重要ではないかという問いかけが生まれます。
同じ出来事であろうとも、その捉え方次第で前向きになれるかもしれない、そんなことが示唆されます。
すると、ある参加者から原発作業員が発した 「おれたちは歴史の中で生きているんだ」 という一言が紹介されました。
ここには、原発事故の惨事のあとに生きているにもかかわらず、生の実感が滲み出た言葉として考えさせられます。
その意味で、長いタイムラインでこの出来事の意味を考える必要があるのではないかというのですが、
さらにいえば、そこには 「現状をわかってほしい」 という福島の声も突破するかのような印象を受けました。
この惨事を見捨てずに 「わかってほしい」 という思いは福島の人々に共通する声ででしょう。
しかし、この 「わかってほしい」 という承認欲求は3.11固有のものなのか。
そのような問いかけが為されたことに対し世話人 (東京組) から、連帯しようとすればするほど、つまり 「わかり合おう」 とすればするほど、共闘しようとする仲間から拒絶された体験談が紹介されました。
所詮、他者の痛みなど分かり合えるはずもありません。
しかし同時に、「わかろうとしたい」 という引き裂かれた2つの意見のあいだで翻弄されているというのが今の状況ではないか。
だから、もしこの福島の惨事が 「犬死」 であったとするならば、それはこれまでの人生を否定しかねないことになってしまう。
だから 「犬死」 という言葉を用いることに抵抗感があったことが、あらためて提起されました。

議論は拡散しつつ、何度も同じ論点に回帰しながら進んでいきますが、
ちょうどここでカフェタイムの中ほどになり、いったんブレイクタイムが入ります。

休憩後は、本来のテーマである 「フクシマはどこへ?」 に焦点化された議論が展開します。
つまり今後へどのようにつなげていくのか、という方向へ論点が絞られました。
その中に 「ゴールを決める」 ことが重要であるとの意見が提起されました。
ただし、ゴールといっても、現在設定されている 「復興」 というゴールは経済的な政策でしかなく、それはけっきょくは不安定な要素を孕んだものなのだという意見が提起されます。
中にはフクイチ原発を観光資源化するという案も紹介されます。
しかしいずれにせよ、経済でしかゴールを図れないところに発想の貧困さを感じるのであって、むしろ 「教育」 や 「医療」 といったゴールを設定する方がよいのではないかという案も提示されます。
しかし、ゴールを 「教育」 にしたところで、現在福島県政が取り組む教育の復興は、しょせん 「福島は元気だ」 と生徒たちを担ぎ出してアピールさせることで安っぽい 「希望」 や 「復興」 を言い立てるだけで、むしろ現実を覆い隠そうとする方向にしか動いていないではないかとの痛烈な批判が出されます。
「日本の復興なくして福島の復興なし」 などという原発推進政党のPR文句など、福島の原発事故を出汁に、相変わらず 「経済成長」 しか眼中にない、したがって原発再稼動も福島復興には必要だという論理が透けて見えそうです。
つまり、そこには 「教育」 に復興のゴールを設定しようと、福島県政自体が国家に過剰適応するようにしか振る舞えないのではないかとの疑念が拭いきれないわけです。

こうした意見を聞きながら、実は3.11によって新しい問題が生じたわけではなく、これまでずっと日本社会にあった問題が3.11によって顕在化したのではなかったという見方が生まれてきます。
たとえば、ある参加者は 「住民の意見を反映させるチャンネルを我々がもたなかった」 問題を例の一つとして提起します。
その意味でゴールは 「民主主義」 ということになってもおかしくありません。

最後に、福島内/外の境界線は、実は福島内部でも引かれている問題をどう考えればよいのかという点が話し合われました。
この境界線は時間が経てば立つほど 「後ろ向きな定義」 が生まれることと軸を一にしているようです。
その中において、この出来事の 「アーカイブ」 を保存しておくことは重要ではないかとの意見が出されました。
では、それは出来事の社会的な記憶なのか、個人の思いのことなのか、なんのためにアーカイブするのか。
そのような問いに対し、「汚染の中でどう生きるべきか、それに答える倫理が必要なのであり、絶望ばかりしていられない、それは自分の存在証明なのだ」 との答えが示されました。
できれば、出会いたくなかった出来事と出会ってしまったことの意味にどう折り合いをつければよいのか、その問いを生きざるを得ないというのです。

このほかにも果たして 「犬死」 は感情的な問いなのか、むしろ感情と理性が入り混じる中で今回の議論が展開されたことに困惑しつつ、思考が活性化されたとの感想を述べる参加者の方もいらっしゃり、まだまだこのテーマが問いを見つけるだけで精一杯のところにあるような感想を持ちました。
しかし、3時間という長時間もあっという間に過ぎ去るほど、議論は濃密でしたし、論点を深めるよりも行きつ戻りつする参加者の声は、やはり 「対話」 の本来的な営みを存分に発揮するかていだったのではないでしょうか。
そのことを初参加されたFさんの感想を借りて、今回の報告文の締めくくりとさせていただきます。


「今日は哲学カフェに初参加。
友達が真剣にやっていることを知りながら、これまで参加しなかった。
今日は参加してよかった。
進行役の小野原さんの進行役に徹する姿勢に感銘を受けた。
カフェという場に集まった人々を歓待し、人々の声にじっと耳を傾けようとする姿勢。
人々の声は必ずしも一筋縄ではないが、無理に軌道を修正しようとはしない。
話はたち消えになることもあるし、再び違った形でふと現れることもある。
一見対立する話でもいつの間にか寄り添うように響き合う声もあった。
逆もある。
ここに集まる人々は、話がまとまることにあまり価値を置いていない。
これは素晴らしいことではあるまいか。
むしろ、僕やあるいは僕の友人がはなしにオチを作ろうとする姿勢が異質だった。
同じ出席者でも大学の教員が話をまとめようとするのがむしろ不自然に思える。
もちろん、このカフェの後の懇親会で進行役の小野原さんや板書役の純ちゃんの話は堰をきるように飛び出すのだろう。
第二回目のエチカ福島に向けていろいろ考えさせられもした。
僕が進行役をするにしても小野原さんほど禁欲的にはなれないし、誰も僕にそんなことを望まないだろうが、少なくともその場に集まる人たちに対するリスペクトを忘れてはいけないということを確認させられた」

ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。
てつがくカフェ@ふくしまは、まだまだ続いていきます。
またのご来場をお待ち申し上げます。

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1 コメント

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感想 (加賀谷)
2013-03-13 15:36:04
先日はてつがくカフェ@ふくしま特別編3に参加させていただきありがとうございました。
多少予測・覚悟はして臨んだのですが、想像以上にすごい・・・。
身体の中で得体の知れない渦のようなものが巻き起こっていて、正直まだ言語化とい う状況ではないです。
ただ自分の整理のためにも新鮮なうちに観想をお伝えいたします。

最初の「犬死に」はいいとして(予想してましたから)、「絶望と怒りの淵から―」という言語を外から与えられると否応なく主体>が立ち上がってま う!と訴えた方が印象的でした。

また福島ー東京(静岡など、埼玉もいましたが)という地理的、政治的立場の違いからの言説のやりとり、相互反応に福島の方々は一種の「慣れ」を感 じていて(そうでない方は泣いてらっしゃる方もいまたが)、時折ですが半ば自虐的な笑いやアイロニーといった態度で応答していることが、岩手から の私の眼には今の福島の問題がより根深いものだということを証明し ているように感じました。

マイケル・サンデルの「白熱教室」で取り上げられた問いの一つ、「自主避難者にも補償制度を設けるべきか?」(@ふくしまで「<一時>避難」と間 違えて行ってしまったような気がします汗)の例を挙げ最後に発言させていただきましたが、事後的に考えましたことお伝えいたします。

 問題だと思ったのは次のような事でした。既存のシステム、法、制度、論理に内在化しその中で違和感を感じない(感じていたとしても利権から変え ようとしない)主体から見ると、既存のそれらの線引きから毀れてしまった現実(生々しい!)複数の主体がいくら論理的に正義や正しさを主張しても 「感情論」にしか聞こえない(聴こうとしない)のでは・・?ということ強く感じました。

自主避難者は現状の法や制度(避難区域)に対する説明があやふやで何の十分な根拠もないから、そのような政治的決定に論理的不整合を見つけ、健全 な理性
を駆使し動いて主張しているのにそれが「感情論」に<映る>奇妙な異様な雰囲気。

これは、「正しさを声高に主張すればするほど伝わらない」 といった、照手さんの映画からも出てきた問いにも接続できます。そこでも問いになりましたが、<伝わる>とはどういうことか?(仙台、岩手では問 いが問いで終わった気がします)。
この雰囲気、<映ってしまう>ことの根源をちゃんと言語化していかないと何も変わらないですよね。

また「責任の所在はどこ(誰)にある?」という問い自体に何か落とし穴がないか?逆にこの問い自体の構造に内在している何かが責任(?)をあやふ やにしていないか?と疑ってみるのも大事かもしれません。最近いろんな問いを目にしますが、問いを立て方に必然的に無限遡及におちいってしまう根 源があるのではないかと思います。
それを発見、分析、解決できればいいんですけど~。

責任を問う<主体>/責任を問われる<主体>とは?、許し(赦し)と和解なども最近出始めた問いで、原発事故はかった青森、岩手、宮城からの視点 はかなり重要なことのように思えました。

しかし@釜石でもでた「震災・被災格差」という問題ですが、個々の具体的な被災状況など比較できないものを本能的(理性?)に比較しようとする (能力?)の根っこみたいなのも最近気になってます。
実はかなり大きな問題ではないか、と。

とにかく場外乱闘にならなくて(笑)よかったです!!
また勉強しに福島行きます!!
本当に勉強になりました。
                         
加賀谷

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