今年も残るところ10日余りとなりました。なんとも一年の早いこと、と毎年言っている気もします。
へんな毒、すごい毒というのを読んでいますが、こんなに毒が身の回りにあるのかと驚きもあります。過ぎたればなんでも毒であり、薬もそもそも毒です。自然界の毒で最強なのはボツリヌス毒だそうです。ボツリヌス菌が出す毒で、嫌気性なので真空パックとかに残っていると中毒になるそうです。観光地で売っている肉とか名産に真空パックがありますが、過信してはいけないということです。
クレオパトラが毒をあおいで自殺したのは、コブラに胸を噛ませたという説がありますが、一方クサリヘビ科(マムシやハブなど頭が三角の蛇)の蛇に噛ませたという説もありますが、前者は神経毒、後者は出血毒だそうです。神経毒は噛まれた後が残るくらいで息絶えるのですが、出血毒は皮膚がただれたり見た目が悪く苦しむそうで、そうだとすればクレオパトラはコブラだったのだろうと思いますね。
20日といえばビックコミックオリジナルということでこちらも読みました。
つながる脳科学、を読了。前半はシナプスとニューロンなど神経細胞の話。後半は感情とか脳の病気(鬱、統合失調症、アルツハイマー病など)とか親子の絆などの話です。親子の絆で面白かったのが、哺乳類は子育てをしなくてはならない状態で子供を産むのですが、その時赤ちゃんには輸送反応というのがあるのだそうです。犬でもネコでもライオンでも(象はさすがに無理)親は子供を加えて移動することがあります。その時子供はおとなしく手足を丸めています。これを輸送反応と言うそうで、哺乳類ならではの反応のようです。人間も泣いている赤ん坊を抱いて歩くと泣きやむのだそうです。心拍数も落ち着くのだそうです。夜泣きする子供をよしよしなんてその場で抱いてあやした経験はありますが、この時歩き回れば良かったのですね。電車でギャーギャー泣く赤ん坊が親に抱かれてホームに出ると泣きやむのはそういうことです。
「つながる脳科学」脳科学総合研究センター ブルーバックス
dマガジンでサッカーダイジェストを読みました。Jリーグの通信簿なのですが、肝心のJEFが割愛されています。dマガジンは紙版を完全にトレースしたものではないので、ページの割愛が結構あるのですが、それにしてもよりによってJEFのページとは・・・。
今日読んだものといえば、HTMLタグ辞典ですね。地域のホームページを鋭意作成中なのですが、専門の勉強をしているわけではないので、ゼロからコーディング出来るわけでなく、ホームページビルダを使っています。しかし、ソフトの言われるままだと思った通りのデザインにならないので改変するわけですが、どうしてもソースからいじらないとなりません。タグとCSSの勉強をさせてもらいました。
つながる脳科学、読み終えようと思いましたが終わりませんでした。往きは読んでいたのですが、帰りはSMART NEWS(通勤に読むNEWSの定番ですね)を読んでいて本を手に取りませんでした。SMART NEWSのグルメ欄は実に参考になりますね。今日はパスタの茹で方が勉強になりました。茹でるお湯の量、塩の量、時間、ソースと和えるタイミングなど、実際はどうなのと実験したレポートでした。
記憶とか知覚というのは一体全体どういう仕組みなのか、それは脳の仕組みを知ることですが、脳には1000億のニューロンという細胞があって、シナプスというもので縦横無尽につながっていて、そこをイオンが流れることで(電流が流れる)情報をコード化し維持することで記憶するということらしいですが、簡単にいいかえると一つ一つの細胞がある塊(連携)を持つことで記憶になるということのようです。1000億というのは銀河がもつ恒星の数位です。頭には銀河が渦巻いていてそれが思考になっているとも言えます。つながる脳科学、二日目です。
アントラーズやりましたねーー。クラブ選手権で南米と欧州以外のクラブが決勝というのは初です。Jリーグからの勢いをそのまま持ち込んでということですが、ロナウドといよいよ戦う(明日マドリードが勝つということが前提ですが、まさかのことはないですよね)日がやってきたということです。18日は歴史的試合ということです。
それはそれとして、ノーベル賞学者の利根川さんが主宰する理研(あのリケ女の理研です)の脳科学総合研究センターが創立20周年を記念してブルーバックスに書き下ろしたつながる脳科学を読んでいます。
本当に偉いのか、副題、あまのじゃく偉人伝はなかなか面白かったです。これだけ多くの人を簡潔に評論するのは(言いたいことを言うのは)それなりの量の著作を読み終えないと語れないことです。読むことが仕事の著者でありますけれど、自分のようにいろんなものに手を出している読書と違って、文学(あるいはその周辺)に集中して読むのも、大変ですなあという感想です。
「ほんとに偉いのか」小谷野敦 新潮新書
歴史上の人物となった人は固定的な見方になっていることが普通です。武田勝頼は無能だったとか、徳川綱吉の生類憐みの令の評価とか、でも最近は色々な資料の発掘、見直しで人物像が変わってきていますね。近代の人もこの人は偉い、偉くないという評価が残ってしまっていますが、比較文学者の小谷野敦がこの人は偉いのかと見直しているのが面白いです。もちろんそれが正しいとかいうのではなく、本人も反論を待っていますが、人も物事も今一度見直してみると違った評価になるのは常です。
今日はビデオ三昧の日でした。1月のフルマラソンに備えて、ロング走をしたので(こういう日はいつも)午前中は体力復活のゴロゴロで居眠りもしたりで、午後も引き続きビデオを見ましたので活字は無しでした。明日は月曜日なのに忘年会です。