JR小樽築港の改札を出ると、
そこには裕次郎さんが いた。
とたんに頭の中で裕次郎さんの歌が流れ始める。
滅多に歌わなかった夫が、歌っていた曲。
鏡に映る わが顔に
グラスをあげて 乾杯を
たった一つの 星をたよりに
はるばる遠くへ 来たもんだ
長かろうと 短かかろうと
わが人生に 悔いはない
思い出を手繰りながら歩く
駅通路から、ショッピングモールの海側を通るデッキ通路へ。
久しぶりの 懐かしい風景が近づいてくる。
ぐっとこみ上げてくる何かを、無理矢理大きく息を吐いて 静める。
7年前の今日の今頃は、まだあのひとは仕事中。まだ生きていた。
いや、そんなこと思ったって何の意味もないのにと、
思いながらマリーナに向かう。
隣にあった、石原裕次郎記念館の建物は、もう跡形もなく、
片隅に、裕次郎さんの愛艇のコンテッサ三世だけが・・・。
船の下には愛艇で海を楽しむお姿も。
意を決して?マリーナに係留された船の方へ。
確か船は、三つ奥の桟橋のあの辺り・・・
と目をこらしたけれど・・・見つからない。
私の記憶が薄れてしまったんだろうか。
数年前までは、マストの長さやレーダーのアンテナの位置で、
私は遠くからだって いつもあのひとの船を見つけられたのに。
時が7年も流れてしまったことを、痛いほど感じた。
取り戻せない悔いや 哀しさや
それでも
あのひとや自分自身の人生を、愛おしく肯定する気持ちや
いろんな思いの湧くにまかせ、
今日はマストをたたくロープの音が大人しいなぁと聞きながら一時間・・・
何度も通った扉の前まで行ってみた。
今はもう、私にはこの先に行くことができない扉。
行けたって 探す人もいない扉の向こう・・・
なんて、
あぁちょっと感傷に浸りすぎてるなぁ・・・
と苦笑しながら、桟橋から戻る。
いつもは 忙しく楽しく とても幸せに 暮らしている私。
今日と明日くらい、
あのひとのことだけを しんみりと想いながら過ごそうと決めていたのだから、
これでいい
もう一度、船が見えるはずの場所へ戻って 思い至ったのは・・・
あのひとのだった船は、今日はクルージングに出ているのかも?ということ。
写真を拡大してみて確信。
試しに調べたあるブログにも、その船が春には道南へ行ったことが載っていた。
出航している船があまりない中、
買い取って下さった方は、今もちゃんと乗って、楽しんで下さってるんだなぁと、
うれしくなった。
船が見つからなかったのは、私の記憶の薄れたせいじゃなかったことも、
なんだか とてもうれしかった。
不在の証。
あぁ、あの場所に、
あのひとの夢や喜びや苦労や楽しみや
そして自分でも思いがけなかったはずの最期の時間が
あったのだ。
7年前のこのときから 数時間後に。
駅への道を歩きながら 声が聞こえてきたような気がした。
(俺はもう船にはいないし、墓にもいないし、どこにもいない。でも・・・どこにでもいるぞ)
明日は夫の命日。
7年・・・夢の如し。