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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

麻雀放浪記 その2 /真・雀鬼

2005年12月14日 | 邦画
 前回、まわりの脇役があまりにも強烈であるが故に主人公の「坊や哲」がかすんでしまったということを書いたが、それは哲があまりにも一般人に近いリアクションをするからで、実はシナリオではしっかり描かれている。

 ひとつはクラブオックスのママへの恋心。
 女手ひとつで外国人と対等に渡り合えるママの姿に憧れ、積み込み・通しといったコンビ技の指導も受けて、哲は恋心を抱く。ママが哲の筆下ろしの相手だったからなおさらだ。哲は麻雀の世界で金を稼いで「ママと結婚したい」という様なウブなことを言うが、これも哲が純粋な青年であることを見事に描いている。

 ドサ健とはこんなやり取りがある。
 「これからはカモになるシロウトを育てて稼いでいく時代だ。いっしょに組まねえか?」と聞かれて哲はこう答える。
 「集団は苦手なんだ」
 優しい純粋な青年でありながら、組織の中で暮らす一般人には違和感を感じている哲のキャラクターもよく表現している。それに答えた次のドサ健のせりふもカッコイイが……。
 「そうか、好きにしな」
 また、ドサ健が恋人のまゆみを肩に博打をしようとする時も哲は一般人の反応をする。
 「可哀想じゃないか」哲は心からのバイニンではないのだ。

 ラスト、出目徳が死んで家に運んだ時、ドサ健は「いい勝負だったな。あんな博打二度と忘れねえ」と言い、女衒の達は「おっさんみたいないいバイニンになって、おっさんみたいに死にますよ」と言うが、哲は「おっさん」と一言だけ言う。
 哲はこの時、何を思ったのだろうか。

 「麻雀放浪記」の流れで「真・雀鬼」を見た。
 20年間無敗の男・安藤章一を描いたものだが、この主人公はきつい。
 とにかく無口なのだ。何を考えているかわからない。
 安藤は大蔵省・主計局の官僚・赤司に麻雀の勝負をし、仲間になるように言われるが、頑なに拒み続ける。
 この拒むことが安藤のキャラクターなのだが、その理由は最後の最後まで明かされない。だから、麻雀が強いこと以外、安藤のキャラクターが立って来ない。
 最後に安藤は「金、コネで動かせない人間などいない」と主張する赤司に言う。
「確かに俺は野良犬だが、お前は飼われなきゃ自分でエサもとれねえ家畜だ」
 組織に入ることは家畜になることだと安藤は考え、赤司と手を組まなかったのだ。
 このせりふを言って、初めて安藤の魅力が出て来る。
 非常に人物造型の難しい作品だと思った。

 なお、「家畜」と言われた赤司は安藤との勝負の後、逗子の御前という政界の大物から見放されて出世ラインからはずされる。

★研究ポイント
 キャラクターを描くポイントは、リアクションである。
 ある事象・事件に対し、どうリアクションするかでその人物のキャラクターが出て来る。

★追記
 「麻雀放浪記」には、印象的なせりふがたくさんあるので書いておきたい。
 「(博打で)勝ち続けるやつは金の代わりに体なくしてる。体をなくしていないやつは人間をなくす」
 「てめえらに出来るのは長生きだけだ。クソたれていきているだけだ。そのせいでてめえの女が自分の女かもわからなくなっている」
 「おまえは俺の女なんだ。だから俺のために生きなきゃならない」
 「死んだら負けなんだ。負けたヤツは裸になる」

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