★物事や事件に対してどうリアクションするかで、その人物のキャラクターが出て来る。
たとえばスーパーで試食をやっている時、そのまま通り過ぎていく人、何だろうと思って近づく人、美味しそうだと食べてしまう人……。リアクションで人柄が出て来る。
さて今回の場合は<黒船>。
まず龍馬と江戸にやってきた溝渕。そのリアクションは藩命に従って言われるがままの海岸の警備。
半平太(大森南朋)弥太郎(香川照之)は上申書を書く。
同じリアクションでも溝渕と半平太らでは、大きく違う。
さて龍馬(福山雅治)。
そのリアクションは黒船を見にいく。
好奇心、行動の人という感じですね。
龍馬と同じリアクションをしたのが、桂小五郎(谷原章介)。
さすが、維新の三傑として名を馳せただけのことはある。
半平太や弥太郎が江戸にいたら同じく見に行ったかもしれないが、半平太は藩命を重んじて警備をしていたかもしれない。
このように物事にどうリアクションするかで、その器やキャラクターが出て来るんですね。
そして、その選択が後の人生を決める。
龍馬の場合は<黒船>が大きな転機になったようだ。
もともと<自分探し>をしに江戸に来ていた龍馬。
黒船を見て、<剣術を学ぶ自分>を疑うようになってしまった。
一時、手紙の中で「わしはいくさで異国人の首を討ち取る」と書いたが、それは剣術修行をする現在の自分を無理やり正当化するための方便。
龍馬の本音は次の言葉にあった。
「あんな化け物に剣は役に立たない」
「いくさになったら刀など役には立ちません!わしは何のために剣術を修行しているかわからんのです!」
しかし、これらの言葉は<侍>である自分、<剣術修行>をする自分を否定することであり、期待して送り出してくれた<土佐の家族>を失望させることでもある。
これは、かなりつらい葛藤。
今までの自分を全否定する行為であるから。大好きな家族を裏切ることであるから。
★さて、ここでまとめると、坂本龍馬は<捨てる人>である。
それは龍馬のその後の行動を見ればわかる。
<剣>を捨て、脱藩して<藩>と<家族>を捨て、勝海舟のもとに行き<尊皇攘夷>の仲間を捨てる。
人は今まで築いてきたものや家族や会社などのしがらみをなかなか捨てられないものですが、龍馬は<捨てる>ことを厭わない人物。
これが龍馬の大きさ。
もっとも現在の龍馬は捨てることにためらいがあるようですが……。
作者は龍馬を我々と同じ悩める<等身大の人物>として描いている。
それは描き方として十分にあり。
今後、さらにどう変わっていくか楽しみだ。
※追記
自分探しをしている龍馬。
本当の自分をまだ見出せていないが、少なくとも<剣の道に生きる自分>というのは違うと気づいたようだ。
この気づきには「生きるとは他と同じようになることではない。おまんの生き方を探しなさい」という乙女の手紙が影響している。
土佐藩の<侍>として生きること、剣を極め<道場主>として生きること、これでは大勢の中のワン・オブ・ゼムになってしまう。
坂本龍馬はあくまでオンリー・ワンを目指すのだ。
それは決して楽な道のりではない。
たとえばスーパーで試食をやっている時、そのまま通り過ぎていく人、何だろうと思って近づく人、美味しそうだと食べてしまう人……。リアクションで人柄が出て来る。
さて今回の場合は<黒船>。
まず龍馬と江戸にやってきた溝渕。そのリアクションは藩命に従って言われるがままの海岸の警備。
半平太(大森南朋)弥太郎(香川照之)は上申書を書く。
同じリアクションでも溝渕と半平太らでは、大きく違う。
さて龍馬(福山雅治)。
そのリアクションは黒船を見にいく。
好奇心、行動の人という感じですね。
龍馬と同じリアクションをしたのが、桂小五郎(谷原章介)。
さすが、維新の三傑として名を馳せただけのことはある。
半平太や弥太郎が江戸にいたら同じく見に行ったかもしれないが、半平太は藩命を重んじて警備をしていたかもしれない。
このように物事にどうリアクションするかで、その器やキャラクターが出て来るんですね。
そして、その選択が後の人生を決める。
龍馬の場合は<黒船>が大きな転機になったようだ。
もともと<自分探し>をしに江戸に来ていた龍馬。
黒船を見て、<剣術を学ぶ自分>を疑うようになってしまった。
一時、手紙の中で「わしはいくさで異国人の首を討ち取る」と書いたが、それは剣術修行をする現在の自分を無理やり正当化するための方便。
龍馬の本音は次の言葉にあった。
「あんな化け物に剣は役に立たない」
「いくさになったら刀など役には立ちません!わしは何のために剣術を修行しているかわからんのです!」
しかし、これらの言葉は<侍>である自分、<剣術修行>をする自分を否定することであり、期待して送り出してくれた<土佐の家族>を失望させることでもある。
これは、かなりつらい葛藤。
今までの自分を全否定する行為であるから。大好きな家族を裏切ることであるから。
★さて、ここでまとめると、坂本龍馬は<捨てる人>である。
それは龍馬のその後の行動を見ればわかる。
<剣>を捨て、脱藩して<藩>と<家族>を捨て、勝海舟のもとに行き<尊皇攘夷>の仲間を捨てる。
人は今まで築いてきたものや家族や会社などのしがらみをなかなか捨てられないものですが、龍馬は<捨てる>ことを厭わない人物。
これが龍馬の大きさ。
もっとも現在の龍馬は捨てることにためらいがあるようですが……。
作者は龍馬を我々と同じ悩める<等身大の人物>として描いている。
それは描き方として十分にあり。
今後、さらにどう変わっていくか楽しみだ。
※追記
自分探しをしている龍馬。
本当の自分をまだ見出せていないが、少なくとも<剣の道に生きる自分>というのは違うと気づいたようだ。
この気づきには「生きるとは他と同じようになることではない。おまんの生き方を探しなさい」という乙女の手紙が影響している。
土佐藩の<侍>として生きること、剣を極め<道場主>として生きること、これでは大勢の中のワン・オブ・ゼムになってしまう。
坂本龍馬はあくまでオンリー・ワンを目指すのだ。
それは決して楽な道のりではない。