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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

官僚たちの夏 最終話

2009年09月22日 | 職業ドラマ
 最終話。物語の図式はこう。

 沖縄返還の交換条件として繊維の輸出規制。
 この総理側の動きと戦う風越(佐藤浩市)たち。

 この戦いでどちらが正しいかどうかはドラマの本質とは違うと思うので、割愛しましょう。
 敢えて一言言えば、立場によって正しいかどうかは決まってくるということ。
 沖縄住民や国家の大局を考えれば総理側が正しいし、繊維業界の立場に立てば風越たちが正しい。
 もっとも須藤総理(長塚京三)にしてみれば、沖縄返還を成し遂げた総理としての実績・名声がほしかったという気持ちがあったと思いますが。

 さてドラマの本質。
 作者が描きたかったのは<弱者のために生きる人間><私欲を捨てた人間>ということでしょうか。
 それを象徴しているのが亡くなった鮎川(高橋克実)。
 官僚の世界で言えば、鮎川や庭野(堺雅人)の生き方はおバカさんと言える。
 発展の余地のない炭坑のことなど斬り捨てて自分の出世を考え、他のことで実績を作ればいいのにそれをしない。
 片山(高橋克典)の太平洋ベルトライン構想や大阪万博の方が実績として華やかだし官僚として賢明。
 それを敢えてしないで<弱者>にこだわる風越たち。
 また風越たちは<強者>と戦っている。
 その象徴は総理(池内もそうだし、変貌した須藤もそう)。

 熱い生き方ですね。
 自分の理想を信じ必死に戦っている。
 思えば風越たちの時代は、作品中では十分に描かれなかったが、安保闘争やベトナム平和運動があった。
 日本中が熱かった時代。
 官僚も含めみんな夏の季節を生きていた。

 ところが現在はどうであろう。
 すっかり冷え切って他人のことに干渉しない。
 昔はベトナムの痛みを感じることが出来たが、今はイラクの痛みを感じることが出来ない。
 情熱は自分のために使用され、内に閉じこめられた情熱は凶悪犯罪として表に出る。
 「この国はどうなっていくんだろう?」
 と風越がラストにつぶやいたように、視聴者は風越たちの時代と現在を照らし合わせて考えてみる必要がある。

 ドラマとしてはいまひとつだったが、これらの問題を提起したという点でこの作品は評価できる。

※追記
 繊維会社の社長はこう言った。
 「行政を頼ってた自分が馬鹿だった。通産省なんかいらない」
 行政を信じて裏切られた社長の痛恨の言葉。
 彼らのために生きてきた風越たちにしてみれば、今までの人生を否定されたかのようなつらい言葉だったでしょうね。

 このせりふはその他にもいろいろな意味を持つ。
 国は情勢によって簡単に個人を斬り捨てる。
 したがって企業や個人は国に頼らず自立しなければならないということ。
 すべては自己責任、個人の時代が来たということ。
 深いですね。

 敢えて言うとこの自立・自己責任社会は小泉政権が目指したもの。
 その小泉政権の反動として登場したのが、<友愛>の鳩山政権。
 風越たちの主張は鳩山政権に近いですね。
 

コメント (2)
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