松本清張「昭和史発掘」の中に記された「芥川龍之介の死」はすぐれた芥川龍之介論である。
★清張は芥川をこう論じている。
「自分をさらけ出すことの出来ない作家。自意識の強い男」
彼の作品世界はまさにそれであった。
作品を通して自分を語るということがない。(「或る阿呆の一生」だけは違うが)
芥川は凝った文体で「精巧な細工の小函」を作り上げる。
作品とは常に距離を置いて眺めている芸術至上主義。
それは当時隆盛であった自分をさらけ出して語る告白体の自然主義の文学とは大きく違うものであった。
芥川は古今東西の古典を巧みな文体で再構成し、1個の芸術を作った。
芥川は東洋の無常観、西欧の世紀末的頽廃をうまく取り込み、作品世界を作った。
それらに自分はない。
あるのは本で得た知識(東洋の無常観、西欧の世紀末的頽廃)と、それを作品に落とし込むこと。
清張はその文学世界をこう評している。
「知恵の遊び」
また、その人生をこう評している。
「読書遍歴的な人生観念」「書巻や小説に人生を見、人生に小説を見ていた」
★芥川はこの様に超世俗的な人間であった。
それは実務家で「文藝春秋」を立ち上げた友人の菊池寛や馬車馬の様に自らの唯美主義を貫いた谷崎潤一郎とは大きく違っている。
菊池や谷崎には現実があった。
現実と闘うたくましさがあった。
しかし芥川は現実を前にオタオタする。
芸術的作品世界に逃げ込む。
今で言えば、芸術的才能を持ったひきこもりかもしれない。
しかし、一方で芥川は女性との情事においては結構積極的であった様だ。
動物的本能の女・Hにのめり込み、いっしょに自殺しようと思った女・Mにも想いを寄せる。(特にHとは「軽蔑し、憎み、愛し、時に衝動的に絞め殺したくなる」関係であった様だ)
だがこれらの体験から作品になった作品は「或る阿呆の一生」と数編。
芥川は自分をさらけ出して作品を書くということが出来なかったのだ。
しかし「或る阿呆の一生」の様な作品を書かざるを得なかったのは、当時の文学的流行が、自分をさらけ出す自然主義文学だったから。
芥川は谷崎潤一郎の様に自分の小説世界をひたすら突き進むということが出来なかった様だ。
流行や評判を気にして、それが作品にまで影響してしまう。
自分の文学世界が壊れてしまう。
松本清張はそれが芥川の自殺の原因「ぼんやりした不安」のひとつではないかと論じ、その芸術至上主義的な初期の作品群こそ芥川の素晴らしさであると結んでいる。
この作品は「作家とは何か?」「作品とは何か?」を考える上で、大変参考になる。
★清張は芥川をこう論じている。
「自分をさらけ出すことの出来ない作家。自意識の強い男」
彼の作品世界はまさにそれであった。
作品を通して自分を語るということがない。(「或る阿呆の一生」だけは違うが)
芥川は凝った文体で「精巧な細工の小函」を作り上げる。
作品とは常に距離を置いて眺めている芸術至上主義。
それは当時隆盛であった自分をさらけ出して語る告白体の自然主義の文学とは大きく違うものであった。
芥川は古今東西の古典を巧みな文体で再構成し、1個の芸術を作った。
芥川は東洋の無常観、西欧の世紀末的頽廃をうまく取り込み、作品世界を作った。
それらに自分はない。
あるのは本で得た知識(東洋の無常観、西欧の世紀末的頽廃)と、それを作品に落とし込むこと。
清張はその文学世界をこう評している。
「知恵の遊び」
また、その人生をこう評している。
「読書遍歴的な人生観念」「書巻や小説に人生を見、人生に小説を見ていた」
★芥川はこの様に超世俗的な人間であった。
それは実務家で「文藝春秋」を立ち上げた友人の菊池寛や馬車馬の様に自らの唯美主義を貫いた谷崎潤一郎とは大きく違っている。
菊池や谷崎には現実があった。
現実と闘うたくましさがあった。
しかし芥川は現実を前にオタオタする。
芸術的作品世界に逃げ込む。
今で言えば、芸術的才能を持ったひきこもりかもしれない。
しかし、一方で芥川は女性との情事においては結構積極的であった様だ。
動物的本能の女・Hにのめり込み、いっしょに自殺しようと思った女・Mにも想いを寄せる。(特にHとは「軽蔑し、憎み、愛し、時に衝動的に絞め殺したくなる」関係であった様だ)
だがこれらの体験から作品になった作品は「或る阿呆の一生」と数編。
芥川は自分をさらけ出して作品を書くということが出来なかったのだ。
しかし「或る阿呆の一生」の様な作品を書かざるを得なかったのは、当時の文学的流行が、自分をさらけ出す自然主義文学だったから。
芥川は谷崎潤一郎の様に自分の小説世界をひたすら突き進むということが出来なかった様だ。
流行や評判を気にして、それが作品にまで影響してしまう。
自分の文学世界が壊れてしまう。
松本清張はそれが芥川の自殺の原因「ぼんやりした不安」のひとつではないかと論じ、その芸術至上主義的な初期の作品群こそ芥川の素晴らしさであると結んでいる。
この作品は「作家とは何か?」「作品とは何か?」を考える上で、大変参考になる。