何だかんだで、歴代シリーズの系譜まで絡めて「スタプリ」全体の紹介をしてしまった。この手の話は作品をよく見ている層には面倒くさがられるだけだし、見てない層にはまったくもってどうでもいいし、書いても何の得にもならないのだが、やるからにはきちんとやらねば気のすまぬ性分だから仕方がない。日本語を解する人の中には、「誰もが知ってる手近な素材を片っ端からどんどん使って物語の成熟の過程を考察する。」というぼくの趣旨を理解してくれる方も百人くらいはいるだろう。ネットの上に置かれていれば、いつの日か、何かのきっかけでそんな人たちの目にふれて刺激を与え、ひいては日本文化の質的向上に寄与する可能性も皆無とはいえまい。そう信じて続けましょう。
今回は余談。「スタプリ」には好感をもっているけれど、ひとつ苦言を呈するのを忘れていた。異星人初のプリキュア・キュアミルキーとなったララの名乗り、「天にあまねくミルキーウェイ! キュアミルキー!」についてだ。この「あまねく」は誤用なのである。

じつはこの誤用には先蹤(せんしょう)があって、2016年の『魔法つかいプリキュア!』でも、3人めのプリキュアとなるキュアフェリーチェが「あまねく生命(いのち)に祝福を! キュアフェリーチェ!」との名乗りを上げていた。

2度まで重なるからには単なるミスではなく、スタッフのあいだに勘違いが行きわたってるのであろう。「あまねく」は、「遍く・普く・洽く」と書いて、「広々と。すべてにわたって」という意味の「副詞」なのである。これをあたかも「動詞」のように使っているから誤用なのだ。
動詞は「歩く。運ぶ。移す」のようにU音で終わる。「ひしめく」という似た意味の動詞があるせいで、「あまねく」も動詞と錯覚されやすいのだが、そうではない。たとえば「星々が夜空にあまねく。」なんて使い方はできない。副詞はそれ単独で「状態」をあらわす述語にはなりえないので、主語「星々」を受けることはできないのである。この場合だと、たとえば「星々が夜空いっぱいに広がっている。」とか「星々が夜空に満ち満ちている。」と言うべきところだ。
「星々が夜空にあまねく。」という文章については、さほど文法に詳しくなくても多くの人が違和感をおぼえるだろうが、しかし「夜空にあまねく星々」だったら良いんじゃないの、と感じる人はいるかもしれない。「あまねく」が名詞「星々」を修飾している格好で、これは「天にあまねくミルキーウェイ」「あまねく生命に祝福を」と同じことである。
だけどこれらも文法としては間違っている。なぜなら、副詞は名詞(ミルキーウェイや生命)を修飾できないからだ。副詞が修飾できるのは、動詞、形容詞、そして同じ副詞の3種だけである。どうしても名詞に懸けたいならば、村上春樹の『風の歌を聴け』の中の有名な一節、語り手の「僕」がミシュレの『魔女』からの引用として述べる「わたしの正義はあまりにあまねきため、というところがなんともいえず良い。」のように、「あまねき」と活用しなきゃいけない。
(ちなみはこれは魔女裁判官の台詞で、「自分の正義は絶対である。」という絶大な、より正しくは傲慢な自信を示している。この信念に基づいて、かつて数多くの無実の女性が命を散らしたのだった)。
今たまたま法華経の(漢訳からの)日本語訳を読んでいるので、そこから「あまねく」の正しい用例を引こう。
「(釈尊は)光を放って、東方にある無数の諸仏の世界をあまねく照らされました。」
「願わくは、此の功徳をもってあまねく一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん。」
「十方界には形(かたち)分け衆生(しゅじょう)あまねく導きて……。」
このとおり、「照らす」「及ぼす」「導く」と、みな動詞に係っている(2番目の文は「一切に」という副詞に係ってるとも見えるが、ふつうは動詞に係るものとして取る)。
むろん、「照らす光」「及ぼす功徳」「(衆生を)導く仏」というように、動詞はあたかも形容詞のように名詞を修飾することができる。しかし、これらは述語として文末に置かれる時と一見同じ形をしているが、文法的には「連体形」といって、活用変化をしている扱いなのだ。
だから「あまねくミルキーウェイ」「あまねく生命」という名乗りを決めたスタッフは、やはり「あまねく」を動詞と錯覚していることになる。
子供向けファンタジーアニメの言葉遣いに目くじらを立てるな、という意見もあろうが、子供向けだからこそ、内容はもちろん、日本語にも気を使ってもらいたいとぼく個人は思う。ただ、ネットの上ではもっともっと汚らしくて出鱈目な日本語が蔓延しているんだから、ここだけを突っついてもしょうがないなあというムナシサはある。
それに、正直なところをいうと、「あまねくミルキーウェイ」「あまねく生命」とやるのは、文字として読めば気になるが、耳で聴く分にはそれほど不愉快ではない。語感はそれほど悪くない。「言葉は世につれ」というやつで、いまプリキュアを見ている世代が大人になる時分には、案外「あまねく」がほんとに動詞として扱われるようになっちまうのかもしれない。
補足01) このあと思いついたのだが、上記のプリキュアさん2人の名乗りも、「天にあまねく(広がる)ミルキーウェイ」「(世界に)あまねく(満ちる)生命に祝福を」というように、いくつかの語句が略されてると解釈すれば筋が通らぬこともない。さりとて、苦しいことに変わりはないから、やはり「天にあまねきミルキーウェイ」「あまねき生命に祝福を」と、正しく連体形にしておくべきところだろう。
補足02) このあとたまたまgyaoで『宇宙戦艦ヤマト2199』を観たところ(全編通して観たわけではない)、スターシャさんが「あまねく星々、その知的生命体の救済、それがイスカンダルの進む道。」てなことを言っていた。この作品がテレビ放映されたのは2013(平成25)年。なるほど。どうやらこのあたりが誤用の元凶であったか。
さらに補足) ララはひかるのパートナーだから、多くの点で対になっている(ストッキングとか)。この名乗りにしてももちろんそうで、ひかるの「宇宙(そら)に輝くキラキラ星!」と対句を成すものとして、ララの名乗り「天にあまねくミルキーウェイ!」がある。どうしても「輝く」と韻を踏ませたかったわけだ。コメント欄でぼくは「天を綾なすミルキーウェイ!」にしたらよかったと書いたけれども、「~を綾なす」ではきれいに韻を踏まない。そうなると、コメント欄にてakiさんが提唱しておられる「天をつらぬくミルキーウェイ!」のほうがいいか……。ただ、格助詞が「~に」ではなく「~を」になってしまうのと、「天の川が天を貫く」という語感が、いまひとつぼくには馴染めない。いちばん手頃な「きらめく」は、「き~ら~めく~ ほ~し~のちからで~」と、歌詞のほうで使っちゃってるしなあ……。というわけで思いついたのが「たなびく」。夜空を雄大に流れる天の川の感じをうまく捉まえている……のではないか。「天にたなびくミルキーウェイ!」でどうでしょう。「七夕」と音が通じているのもミソである。
今記事は副詞「あまねく」の使い方について、ですね。
これ、私の感覚では、
「キュアフェリーチェはセーフ、キュアミルキーはアウト」
…てな感じになります。
というのも、キュアフェリーチェの口上「あまねく生命に祝福を」では、「を」という動詞につながる助詞で終わっているため、当然そのあとに「与えん」「もたらさん」あるいは「願わん」(まあ本人が神でもない限り、「願わん」が正解なんでしょうがw)などのしかるべき動詞が来ることが予測されます。日本語って、当然予測される分かり切った言葉はバシバシ省略する癖があるので、これもそういう用法だろうと考えることは十分に可能です。
「語句の省略の可能性」については、eminusさんも補足でおっしゃっていますね。省略されている動詞の場所が、私の考えとは違いますけど。
翻ってキュアミルキーの「天にあまねくミルキーウェイ」の方は、フェリーチェの「を」に当たるような、語句の省略を示す符牒が見当たらないので、この言葉はこの言葉として完結していると考えるのが自然です。とすると、副詞である「あまねく」を連体修飾語として使っていることになり、やはり誤用ということになると思います。
アニメ制作側がどの程度この言葉の用法を意識されていたかはわかりませんが、キュアミルキーの口上はキュアフェリーチェの先例を見て、「語句の省略」に気付かず間違った用法を導き出してしまったのかもしれませんね。
ぼくはもとより関係者でもなければ、熱心なファン(つまり劇場に足を運んだり関連グッズを買い支えるような)でさえなく、日曜朝にチャンネルを合わせるだけの無責任な視聴者ですが、多少なりとも視聴率アップに寄与できたようで嬉しいです。
いつもながらの鋭いご指摘ありがとうございます。
なるほど。目的格「祝福を。」で切っているので当然ながら後に続く動詞が略されてるわけで、そちらに副詞「あまねく」が懸かっているとの解釈ですね。思い至りませんでしたが、ひとつの文章と見れば、仰るとおりですね。
フェリーチェさんは中盤からの追加戦士ですが、記事でも述べたとおり、ぼくはこの年は初めの十数話しか見られなかったので、この人には馴染みがないのです。でも調べてみると、なにやら最終盤においては作中にてほぼ神格に迫る存在にまで成られるようで、だからほんとに「祝福を与えん。」「祝福をもたらさん。」かもしれません。どうでもいいけど、「齎す」って漢字で書くとむちゃくちゃ難しいですね。
あくまでも語感の話だけど、「(祝福を)あまねく願う。」っていうのはぼくの印象では少し苦しい気がします。「森羅万象、生きとし生けるものたちの隅々にまで、願う。」というニュアンスになるのでしょうが、そこまでの訴求力を動詞「願う」に担わせるのは、ふつうの人間には難しいだろうから……。
ただこれも、フェリーチェさんが半ば神格ってことを前提とすれば、必ずしも無理ではないですね。
だとすると、「すべての(生命に)」とか「あらゆる(生命に)」のような平凡な連体詞を使わず、こういった論争(?)が起こるのを承知で(?)「あまねく」なんて文語調の副詞を持ち出したのは、フェリーチェの威厳を強調するための演出だったのかもしれません。
だけど、これはakiさんではなくスタッフの方に言いたいんですが、「副詞は動詞の直前に置くのが基本だから、やっぱりこれは紛らわしいですよ。」ということだけは付け加えたく思います。
ミルキーさんの「あまねく」はやっぱりアウトですよねえ。「フェリーチェの先例を見て、語句の省略に気付かず間違った用法を導き出してしまった。」というご推察も当たっていると思います。だからやっぱり、上のフェリーチェさんの口上ともども、「あまねき」と連体形にしとけば無難でした。それでは児童にわかりづらいと判断したんでしょうけど、そんなこと言ったら既にもう「あまねく」自体がわかりづらいんだもの。せっかくの機会なんだから、子供さんに古き良き日本語を伝えて、語彙を豊かにしてあげればいいではないですか(もちろんこれも、akiさんではなく、スタッフの方に言っておりますが)。
実は私も「あまねく生命に祝福を願わん」では苦しいな、と思ったんですが、まさか女神様とは思いもかけず、てヤツです。
「あまねく」は現代語では副詞として用いられますが、ネットで見てみると元は形容詞「あまねし」の連用形で、他の活用形は現在には生き残っていないので、形容詞ではなく副詞の扱いになるということのようですね。となると、「あまねく」は文語っぽくはあっても一応現代語扱いですが、「あまねき」となると一気に古語扱いになってしまうので、やはり子供向け番組では使いづらいのだと思います。
後、気になっているのはやはりミルキーさんの口上。
「天にあまねく~↑ ミルキーウェイ!」
言葉そのものも誤用なんだけど、ミルキーウェイ(天の川)が天にあまねいたら(動詞化w)、「ミルキーウェイ(道)」じゃなくて「ミルキープレーン(平原)」なんじゃなかろうかと…
せいぜい
「天をつらぬく~↑ ミルキーウェイ!」とか
「天をいろどる~↑ ミルキーウェイ!」とか
の表現が意味的にも正確なのではないかと思うんですが、語感のカッコよさはやはり「あまねく」に劣るんですよねw
まああれだ。こういう口上というのはカッコいい見えを切るところが身上なので、文法的なあれこれは二の次なんでしょうな。身も蓋もないですがw
あ、そうだ。「↑」にこだわらなくていいなら、次のような見えの切り方もありますね。
「天の架け橋! ミルキーウェイ!」
語感的に、ぐっと大人っぽく、凛々しさが増す感じ。…ララさんのキャラに合うかどうかは判断しかねますがw
なにも、「すべてのコメントに返事を書く。」ことを自らに課してるわけではないけれど、いつも刺激的なので、返信を書くことの誘惑に抗いがたいですね(笑その②)。
ララさんの口上を考えるのは、言葉遊びというか、頭の体操としても面白い。
「架け橋」は、「体言止め」になるのを厭わぬならば、素敵ですよね。地球とそれ以外の星々との橋渡しという含みもあって、作品のテーマにも適っている。
女の子らしく、きれいなニュアンスで、ということならば「いろどる」がいいかな。でも、ぼくだったら同じような意味で「綾なす」にしたい。「天を綾なすぅぅ~↑ ミルキーウェイ!」って、悪くない響きじゃないですか。
「あやとり」って遊びは今でもかろうじて残ってるから、古めかしくともギリギリありだと思うんですよ。
もし子供さんが「綾なすって何?」と親御さんに尋ねたら、そこからまた親子の対話も始まろうってもんで。