「君の名は。」のためのメモ 003 名前について
三葉(みつは)の名前の由来は、ミヅハノメ。
イザナミの病および死によって生まれた神々のなかの一柱。
以下、wikipedia「ミヅハノメ」の項より、一部を抜粋(2016年10月現在)。
『古事記』では弥都波能売神(みづはのめのかみ)。
『日本書紀』では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記。神社の祭神としては水波能売命などとも表記される。淤加美神(おかみのかみ)とともに、日本における代表的な水の神(水神)である。
「ミヅハ」は、「水走」の意と解して、灌漑のための引き水のことを指したものとも、「水つ早」と解して水の出始め(泉、井戸など)のことともされる。『古事記』には他に闇御津羽神(クラミツハ)があり、これも同じ語源と考えられる。
「ミツハ」に「罔象」の字が宛てられているが、罔象は『准南子』などの中国の文献で、龍や小児などの姿をした水の精と説明されている。
wikiからの引用はここまで。折口信夫(おりくちしのぶ)の論考「水の女」も、面白いので参照のこと。
折口信夫「水の女」 青空文庫
以下はぼく個人の考察。
彼女の姓「宮水」も、文字どおり「お宮」と「水」で、三葉と水との親和性は露骨なまでに明らかだし、さらにいえば、彼女が「水神」とも同一視されていると見なしても、けして無理ではないだろう。そして水神はまた龍神でもある。
いっぽうの「瀧」は、さんずい(水を表す)に「龍」で、だから彼が三年の月日を隔てて三葉と結びつくことは、その名前からも暗示されている。
同時に、この作品においては、「彗星」も、「龍」と二重写しになっている。長く尾を引いてなだれおちてくる星は、古代人の目にはあたかも龍と映ったであろう。瀧が「ご神体」を訪れたとき、かつて(1200年まえ)この地に落ちた彗星が、龍神の姿で描かれているのを目にした。
その「ご神体」の場所自体が、さらにその前、2400年前に彗星が落ちた場所なのだ(前回、1200年前に落ちた場所はカルデラ湖……「糸守湖」になっている)。
「ティアマト彗星」のティアマトとは、メソポタミア神話の女神で、やはり龍の姿で描かれることが多い。この女神は分裂して怪物を生み落とし、破壊をもたらすが、そのあとで再生を司るともいう。
三葉という漢字表記にももちろん意味がある。
「三」は古来より神話においても昔話においても重要な数で、もちろん本作でもそうだ。何よりもまず、三葉と瀧との世界を隔てる歳月が三年。
新海誠監督は、「三部作」構成を好む。「君の名は。」も、冒頭のコミカルな「とりかえばや」騒動と、中盤の「失われた町を求めて」旅をするミステリー、そしてラストの町民避難のためのスペクタクルと、ある種の三部構成になっているという見方もできる。
人間関係では、
三葉と祖母(一葉)、妹(四葉)で三人。
三葉とテッシー、サヤちんで三人。
瀧と司、高木で三人。
瀧と奥寺先輩、司で三人。
時空を隔てる三葉と瀧が、ほんとうに「ふたりきり」になるのは奇跡みたいなもので、それは最後の最後まで待たねばならない。それまで二人は、幾度となく、(まさに菊田一夫の「君の名は」のごとく)「すれ違い」つづけるのである。
「葉」は、もちろん植物のことでもあるが、ここでは「言の葉」の意味合いがより色濃いかと思う。
「古今和歌集」の「仮名序」に、「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉(ことのは)とぞなれりける。」とある、あの「言の葉」である。
新海監督が2013年に発表した前作のタイトルが「言の葉の庭」で、この作品のヒロイン雪野 百香里(ゆきの ゆかり)が、そのまま「古文の先生」として「君の名は。」にも登場し、「かたわれ時」についての大切な話をしている。声優も同じ花澤香菜。
この場面で「作者不詳」として板書されている和歌は、万葉集の「誰そ彼と われをな問ひそ九月(ながつき)の 露に濡れつつ君待つ我そ」。
なお、古今和歌集に収められている小野小町の和歌「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを」は、「とりかへばや物語」と並んで、この作品のモティーフのひとつだ。
立花瀧の姓である「立花」の「花」が、「葉」と対になっていることはいうまでもない。